第1話 硝子の檻、あるいは人材派遣という名の椅子について
奥様、……いいえ、かつて私をゴミ屑のように捨て去った、親愛なる勇者様。
私は今、この手紙を、かつて貴女たちが「最果ての地」と呼んだ、暗く湿った森の奥深くからしたためております。いえ、どうか怯えないでください。私は貴女に復讐をしようなどという、大それた考えは毛頭持っておりません。ただ、私の身に起きた、あまりにも奇妙で、そして蜜のように甘美な出来事について、誰かに聞いていただきたかったのです。
あの日。貴女が私の背中を蹴り飛ばし、「役立たずのFランク」と罵った日のことを覚えておいででしょうか。
冷たい石畳に頬を擦り付けた時の、あのザラリとした感触。口の中に広がった鉄錆のような血の味。そして何より、貴女たちの嘲笑が鼓膜を震わせた時の、頭蓋の芯が痺れるような屈辱。
(ああ、私は無力だ。無価値な肉塊だ)
絶望の淵で、私は泥水を啜りながらそう思いました。しかし、勇者様。運命とはなんと皮肉で、残酷な喜劇なのでしょうか。
私が意識を失いかけたその刹那、視界の闇に、螢の光にも似た、青白く不気味な文字が浮かび上がったのです。それは網膜に焼き付き、瞬きをしても決して消えようとはしませんでした。
╔══════════════════════════════╗
║ 権能覚醒:【人材派遣】 ║
║ 対象:無 ║
║ 徴収率:70%(自動天引き) ║
╚══════════════════════════════╝
なんと無機質で、冷徹な響きでしょうか。
私はその時、目の前に現れた一匹のみすぼらしいゴブリンを見つめました。腐った肉のような異臭を放つ、下等な魔物です。本来ならば、剣を持たぬ私が食い殺されて終わる場面でした。
けれど、私の唇は勝手に動き、まるで恋人に愛を囁くように、その呪文を唱えていたのです。
「――契約」
瞬間。
ゴブリンの濁った瞳から、生気という生気が吸い出されるのが見えました。いえ、見えたのではありません。感じたのです。私の身体の奥底、背骨の髄へ向かって、温かい泥のようなものがドロリと流れ込んでくるのを。
(あ、あぁ……! なんだこれは、熱い、熱いぞ!)
それは、ゴブリンが得た「経験値」でした。
彼が森で虫を殺し、木の実を拾い、生きていくために行った労働の対価。その七割が、何もしない私の身体へ、勝手に、強制的に、流れ込んでくるのです。
私が指一本動かすことなく、ゴブリンは私の手足となり、私の代わりに傷つき、汗を流す。
彼が泥にまみれて得た報酬の甘い汁だけを、私が安全な場所で啜る。
これほどの背徳的な愉悦が、この世に存在するでしょうか。
私は震える指先で、虚空に浮かぶ「管理画面」という名の、透明な硝子の檻を操作しました。そこには、ただ数字としての「ゴブリンA」の命が明滅しています。
「行け。水汲みだ。死ぬまで働け」
私の命令は絶対でした。ゴブリンは虚ろな目で、機械仕掛けの人形のように頷くと、森の闇へと消えていきました。
チャリン。チャリン。
私の脳内で、経験値の貯まる音が響きます。それはまるで、貴女たちが愛してやまない金貨の擦れる音色にも似ていました。
勇者様、私は気づいてしまったのです。
剣を振るう必要などない。魔法を覚える必要もない。
私はただ、この世界の「椅子」に座り、世界中の魔物たちを、英雄たちを、私の手足として派遣し、その生き血を啜っていればいいのだと。
さて、そろそろ筆を置きましょうか。
実は先ほど、私の愛すべき「派遣社員」が、とてつもなく大きな獲物を捕らえてきたようなのです。
鱗の一枚一枚が黒曜石のように輝く、それは美しい「滅びの魔竜」だとか。
彼もまた、私の忠実な下僕として、素晴らしい働きを見せてくれることでしょう。
それでは勇者様、またいつか、どこかの戦場でお会いしましょう。
その時、貴女が剣を向ける相手が、果たして誰の所有物なのか……よくよくお確かめになりますよう。
敬具




