取り残された者
朝は、何事もなかったかのように訪れた。
鳥の声。
薄い霧。
昨夜と同じ村の景色。
それが、
アレクシオンには耐えがたかった。
(……いない)
分かっている。
分かっているはずなのに、
目が、無意識に探してしまう。
白い外套。
金色の瞳。
穏やかな声。
だが、
どこにもいない。
ローザリアは、
もうここにはいなかった。
「……出立するぞ」
巡礼の護衛をしていた騎士が、
淡々と告げる。
彼らにとって、
これは「任務の失敗」でしかない。
聖女を奪われた。
それだけだ。
怒りも、嘆きも、
すぐに別の仕事に上書きされていく。
「王都へ戻る。
状況を報告する」
騎士たちは動き出す。
誰も、
立ち止まらない。
アレクシオンだけが、
その場に残った。
剣を握ったまま、
動けずにいる。
(……行ったのか)
あの光は。
自分の前から、
消えてしまったのか。
昨夜まで、
確かにここにいた。
同じ火を囲み、
同じ夜を過ごし、
同じ道を歩いていたはずなのに。
(……隣)
その言葉が、
胸の奥で、空しく響く。
自分は、
何者でもなかった。
勇者でも、
騎士でも、
選ばれた存在でもない。
ただ――
一時、剣を振るっただけの男だ。
「……アレクシオン」
名を呼ばれて、
顔を上げる。
年配の騎士が、
少しだけ気まずそうに言った。
「君は、どうする?」
どうする。
答えは、
決まっているはずだった。
村に戻る。
畑を耕す。
日々を生きる。
それが、
彼の人生だった。
だが――
「……戻ります」
口にした言葉は、
王都だった。
騎士は、
一瞬だけ目を見開いたが、
すぐに頷いた。
「そうか」
それ以上、
何も問わなかった。
アレクシオンは、
歩き出す。
ローザリアが連れ去られた方向とは、
逆の道。
それでも、
足は止まらなかった。
(……俺は)
何もできなかった。
剣を抜いた。
走ろうとした。
叫んだ。
それでも、
届かなかった。
(……違う)
違うはずがない。
もし、
自分がもっと強ければ。
もし、
あの場で立ち塞がれたなら。
もし、
隣に立てる資格があったなら。
その考えが、
胸の奥で、形を持ち始める。
(……資格)
資格が、なかった。
それだけだ。
王都へ向かう道すがら、
魔族の被害を知らせる報せが、
何度も行き交った。
村が襲われた。
街道が荒らされた。
犠牲者が出た。
誰かが、
誰かを守れなかった話。
アレクシオンは、
それを聞くたび、
胸の奥が、ざらついた。
(……まただ)
守れなかった。
守るべきものが、
目の前から消えていく。
王都が見えたとき、
彼は立ち止まった。
高い城壁。
人々の往来。
日常。
ここには、
ローザリアはいない。
それなのに、
彼女の不在だけが、
この場所を満たしているように感じられた。
(……俺は)
何者でもないままでは、
終われない。
その思いが、
胸の奥で、静かに固まっていく。
まだ、
怒りではない。
まだ、
憎しみでもない。
ただ――
置いていかれたという感覚。
それだけが、
彼を前へ進ませていた。
アレクシオンは、
城門へ向かって歩き出した。
知らず知らずのうちに、
彼はもう、
元の場所へ戻れなくなっていた。
(第8話・了)




