祝福の外側
朝の光が、
窓辺に差し込んでいた。
柔らかく、
穏やかな光。
昨日と同じはずなのに、
今日は、
部屋の中に入ってくるまでに
少し時間がかかる気がした。
ローザリアは、
椅子に腰掛けたまま、
しばらく動けずにいた。
衣は整っている。
髪も、乱れてはいない。
鏡に映る自分は、
聖女であり、
王族であり、
勇者の妻として、
何一つ欠けていなかった。
(……大丈夫)
心の中で、
そう言う。
昨夜のことは、
考えない。
考えれば、
言葉が必要になる。
言葉は、
整えられてしまう。
整えられた言葉は、
本当の感覚を、
覆い隠してしまう。
だから、
触れない。
朝食の時間が過ぎたことは、
分かっていた。
侍女の気配も、
何度かあった。
けれど、
声をかける前に、
気配は引いていく。
――休ませる。
きっと、
そう判断されたのだろう。
それが、
ありがたかった。
誰かに、
説明をしなくて済む。
理由を、
用意しなくて済む。
胸に手を当てる。
鼓動は、
静かだった。
乱れていない。
(……平気)
自分に言い聞かせる。
昨夜、
拒んだわけではない。
責めたわけでも、
否定したわけでもない。
ただ、
「待ってください」と
言っただけ。
それなのに――
どうして、
こんなにも、
内側が閉じてしまうのだろう。
首元に、
指が触れそうになって、
やめる。
触れれば、
思い出してしまう。
一方的に、
奪われるような速さ。
呼吸が、
追いつかなかったこと。
そして、
その瞬間に――
思い出してしまった、
別の夜。
(……いけない)
ヴェルゼリオの名を、
心の中で押し戻す。
思い出してはいけない。
比べてはいけない。
あの時間は、
もう終わった。
自分で、
終わらせた。
(……これは、
私の選択)
王族として。
聖女として。
世界を守るために、
選んだ道だ。
だから、
耐えるべきなのだ。
外から、
人々の声が聞こえる。
祝福。
感謝。
希望。
誰もが、
未来を信じている。
その中心に、
自分がいることも、
分かっている。
(……逃げられない)
逃げたいわけではない。
ただ――
今は、
踏み出せないだけだ。
扉の向こうに、
気配がある。
足音。
――アレクシオン。
気配だけで、
分かってしまう。
声は、
かからない。
それが、
救いだった。
今、
話せば、
きっと「整えられて」しまう。
「大丈夫ですか」と聞かれ、
「はい」と答え、
それで終わってしまう。
それは、
嘘ではない。
けれど、
真実でもない。
(……閉じていよう)
今は。
外では、
祝福が続いている。
世界は、
正しい方向へ進んでいる。
その正しさの外側で、
ローザリアは、
静かに息をした。
触れなければ、
壊れない。
言葉にしなければ、
保てる。
そう信じて、
今日をやり過ごすしかなかった。
(第40話・了)




