違和感の輪郭
回廊に、
規則正しい足音が響いた。
迷いのない歩き方。
整えられた気配。
リリシアンは、
顔を上げる前から、
それが誰なのか分かってしまった。
――アレクシオン。
角を曲がって現れた彼は、
いつもと変わらない姿だった。
背筋は伸び、
表情は穏やかで、
乱れはどこにもない。
「リリシアン殿」
丁寧な一礼。
「おはようございます」
「……おはよう」
言葉を返しながら、
胸の奥が、
わずかにざわつく。
(……おかしい)
理由は、
はっきりしない。
ただ、
昨夜が“特別な夜”だった人間の顔には、
どうしても見えなかった。
「……姉さんは」
少し間を置いてから、
口を開く。
「ローザリアは、
まだ部屋に?」
アレクシオンは、
迷いなく頷いた。
「はい。
少し、お疲れのようでしたので」
その言葉は、
配慮に満ちている。
だが――
それ以上のものが、
含まれていなかった。
(……それだけ?)
婚礼の翌朝だ。
疲れは、
確かにあるだろう。
だが、
それだけで説明できるほど、
昨夜は軽いものだっただろうか。
目の前の男は、
落ち着き払っていた。
安堵も、
戸惑いも、
探さなければ見つからない。
それが、
ひどく気にかかった。
「……大変な一日でしたね」
探るように、
そう言う。
アレクシオンは、
微笑んだ。
「ええ。
ですが、無事に終わりました」
――無事に。
その言葉が、
胸に引っかかる。
(……“終わった”?)
何が、
どこまで。
考えかけて、
胸の奥で、
あり得ない想像が、
一瞬だけ形を取った。
――もし、昨夜。
姉が、望まない形で触れられていたのだとしたら。
息が、
わずかに詰まる。
すぐに、
首を振った。
(……違う)
証拠はない。
そんな断定は、
できない。
それに、
姉は弱くない。
誰よりも、
自分の意思を持つ。
……そうだ。
だからこそ。
今朝の沈黙が、
余計に不自然に見えてしまう。
「……ローザリア様は」
アレクシオンが続ける。
「昨夜から、
とてもお疲れのご様子でした」
「ですから、
お休みいただいた方がよいと」
その言い方は、
丁寧で、正しい。
けれど、
リリシアンの胸に、
小さな棘が刺さる。
“お休みいただいた方がよい”。
それは、
相談ではなく、
判断の言葉だった。
(……姉さんのことを)
(姉さんの意思より先に、
決めている?)
そんなはずがない。
そう思いたい。
だが、
アレクシオンの表情は
揺れていなかった。
彼はただ、
確信を持っている顔をしている。
それが、
最も不穏だった。
「……婚礼の後も、
いろいろと手続きがあるでしょう」
リリシアンは、
あえて、何も言わなかった。
今ここで言葉にすれば、
姉の沈黙を、
他人の解釈で塗り替えてしまう気がしたからだ。
(第37話・了)




