祝福の檻
婚約の報せは、
一夜にして王都を巡った。
鐘が鳴り、
教会が祝福を告げ、
街路には白い花が飾られる。
「勇者と聖女の婚約だ!」
「これ以上ない結末だ!」
「神々の導きに違いない!」
人々の声は、
喜びに満ちていた。
誰もが、
それを“救いの完成”と呼ぶ。
王宮の回廊を歩きながら、
ローザリアは、
その声を聞いていた。
祝福。
称賛。
感謝。
どれも、
拒む理由のないものばかり。
(……正しい)
そう思うことは、
できた。
王命であり、
民意であり、
教会の教えでもある。
だから、
間違ってはいない。
間違ってはいないのに――
胸の奥が、
ひどく静かだった。
喜びも、
悲しみも、
波立たない。
ただ、
淡く閉じていく感覚だけが、
そこにあった。
「ローザリア様」
声をかけられ、
足を止める。
アレクシオンだった。
整えられた衣。
丁寧な所作。
穏やかな微笑み。
「お忙しいところ、
失礼いたします」
彼は、
一歩分の距離を保ったまま、
深く頭を下げる。
「婚約の件……
改めて、
お礼を申し上げたく」
言葉は、
礼を尽くしている。
「私を選んでいただき、
ありがとうございます」
その一言が、
ローザリアの胸に、
静かに落ちた。
――選んでいない。
だが、
それを否定する言葉は、
どこにもなかった。
「……いえ」
声は、
自然に出た。
「王族として、
当然のことです」
それ以上、
何も付け足さない。
アレクシオンは、
その答えに満足したように、
わずかに頷いた。
(……正しい)
彼の中で、
すべてが、
あるべき形に収まっていく。
彼女が選び、
自分が応え、
世界が祝福する。
この構図に、
疑う余地はなかった。
「準備は、
私が進めております」
彼は続ける。
「教会とも、
日取りについて
すでに話が進んでいます」
「……そうですか」
ローザリアは、
それを止めなかった。
止める理由が、
見つからなかったからだ。
廊下の向こうから、
リリシアンが歩いてくる。
姉の姿を見つけ、
足を止めた。
「……姉さん」
呼びかける声が、
わずかに揺れる。
ローザリアは、
振り返る。
いつもの微笑みで。
「どうしたの、リリィ」
その声は、
優しく、
変わらない。
だが――
近くで見れば見るほど、
リリシアンの胸は
ざわついた。
(……違う)
顔色でもない。
言葉でもない。
“閉じ方”が、違う。
何かを守るように、
ではなく。
何かを、
外へ出さないように。
「……忙しそうだね」
探るような言葉。
「無理は、
していない?」
ローザリアは、
一瞬だけ、
考える間を置いた。
「……大丈夫よ」
嘘ではない。
本当に、
何も感じていないのだから。
それが、
リリシアンには
一番怖かった。
(……大丈夫じゃない)
そう言いたかった。
だが、
ここには祝福しかない。
否定すれば、
誰かを傷つける。
だから、
言葉は喉で止まる。
エルシアは、
少し離れた場所から、
二人を見ていた。
(……幸せそう、だよね)
そう思おうとして、
心のどこかが、
小さく引っかかる。
でも、
理由が分からない。
だから、
考えないことにした。
世界は、
前へ進んでいる。
祝福は、
増えていく。
その中心で、
ローザリアは
静かに立っていた。
檻は、
音を立てずに閉じる。
金色の光に包まれたまま、
誰にも気づかれずに。
(第32話・了)




