似ている傷
城の朝は、
いつもより遅く始まる。
陽は昇っているはずなのに、
光は慎重に差し込む。
ローザリアは、
回廊の窓辺に立っていた。
外を見ているようで、
実際には何も見ていない。
「……眠れたか」
背後から、
あの低い声がした。
振り返ると、
ヴェルゼリオが立っている。
昨夜と同じ距離。
一歩も、近づかない。
「はい」
嘘ではなかった。
眠りは浅かったが、
悪夢は見なかった。
それだけで、
十分だった。
「……城の中を歩いてもいい」
命令ではなく、
配慮だった。
「ありがとうございます」
ローザリアは、
軽く頭を下げる。
聖女としての癖。
その仕草を、
ヴェルゼリオは黙って見ていた。
二人は、
言葉少なに城を歩いた。
広い城だが、
人の気配はほとんどない。
「……誰も、いないのですね」
ローザリアが言う。
「必要ないからな」
短い答え。
それ以上の説明はない。
「……寂しくは、ありませんか」
思わず、
口をついて出た言葉だった。
聞くつもりは、
なかった。
ヴェルゼリオは、
少しだけ立ち止まる。
「……慣れている」
それだけ。
だが、
ローザリアは気づいた。
それが、
答えになっていないことに。
「……私も」
彼女は、
視線を床に落とした。
「いつも、
人に囲まれていました」
巡礼。
祈り。
救いを求める声。
「でも……」
言葉が、
一瞬詰まる。
「誰にも、
触れられていない気がして」
その沈黙を、
ヴェルゼリオは遮らない。
「聖女だから、でしょうか」
自嘲でも、
愚痴でもない。
ただの、
事実の確認。
「役割があると、
そこに人は触れない」
ヴェルゼリオが、
静かに言う。
ローザリアは、
はっとして顔を上げた。
「……同じだ」
その言葉が、
胸に落ちる。
「魔王だから、
誰も近づかない」
「近づけば、
殺されるか、
利用されるかだ」
淡々とした声。
だが、
感情がないわけではない。
ただ、
長い時間をかけて、
削られてきただけだ。
二人の歩調が、
自然と揃う。
意識して合わせたわけではない。
ただ、
同じ速度だった。
「……似ていますね」
ローザリアが言う。
「立場も、
役割も、
まったく違うのに」
ヴェルゼリオは、
否定しなかった。
「……ああ」
それだけで、
十分だった。
沈黙が、
心地よい。
昨日までの沈黙とは、
質が違う。
何も言わなくても、
押し付けられていない沈黙。
中庭に出る。
昼の光が、
石畳を照らしている。
「……ここにいると」
ローザリアは、
空を見上げる。
「私が、
誰か分からなくなります」
不安ではない。
むしろ、
その逆だった。
「それは……」
ヴェルゼリオは、
少し考えてから言う。
「初めて、
役割から離れているからだ」
ローザリアは、
ゆっくりと息を吐いた。
胸の奥が、
じんわりと温かい。
燃え上がるような熱ではない。
ただ、
確かにそこにある熱。
小さく、
静かで、
消えそうで――
それでも、
目を離せない。
「……ありがとうございます」
何に対してか、
自分でも分からなかった。
ヴェルゼリオは、
答えない。
ただ、
その場に留まる。
近づかず、
離れず。
その距離が、
今は正しかった。
遠くで、
何かが動いた気配がする。
城の外。
まだ、
はっきりとは分からない。
だが、
時間が限られていることだけは、
二人とも理解していた。
それでも――
今は、
ここにいる。
それだけで、
十分だった。
(第20話・了)




