勇者様
朝は、静かに始まった。
焚き火の名残が白く燻り、
夜露が草を濡らしている。
ブラムは、
斧の刃を確かめながら、
隊列を一通り見回した。
「……順調すぎるな」
独り言のように呟く。
魔族との遭遇はあったが、
致命的な被害は出ていない。
前に出る勇者と、
それを支える後方。
戦いは、
噛み合っている。
噛み合いすぎている、と言うべきか。
「勇者様、
この先の村ですが――」
斥候の報告に、
アレクシオンが短く頷く。
「被害が出る前に、
進みます」
判断は早く、
迷いがない。
それ自体は、
悪くない。
だが――
(……休ませる気がねぇ)
ブラムは、
それを口にしなかった。
勇者という立場に立つ者は、
往々にして無理をする。
だが、
この男の無理は、
少し質が違う。
自分の体を削る、
というより。
先に行こうとしすぎる。
魔族の影を見つければ、
誰よりも早く前に出る。
止めようとすると、
穏やかに制する。
「大丈夫です」
その言葉が、
何度も繰り返された。
(……大丈夫、ねぇ)
ブラムは、
眉をひそめた。
一方、
エルシアは最後方で、
祈りを絶やさなかった。
回復と防御。
それが、
自分の役目だ。
だが――
(……早い)
進軍の速度が、
少しずつ上がっている。
誰も倒れていない。
誰も声を上げていない。
それでも、
息が詰まる感覚があった。
「勇者様」
村に立ち寄った際、
人々がそう呼ぶ。
期待と、
救いを込めた声。
アレクシオンは、
そのすべてに応えた。
「安心してください」
「必ず、
魔王は倒します」
迷いのない断言。
それを聞くたび、
エルシアの胸は、
少しだけざわついた。
(……ローザ姉様なら)
「必ず」なんて、
言わなかった。
「できる限り」
「最善を尽くします」
いつも、
そうだった。
夜。
再び野営に入る。
火を囲みながら、
ブラムは酒袋を振った。
「……飲むか?」
アレクシオンは、
首を横に振る。
「結構です」
その視線は、
炎の向こう、
闇の奥を見ていた。
「休まねぇと、
持たねぇぞ」
「問題ありません」
即答だった。
(……問題あるから言ってんだ)
ブラムは、
それ以上言わなかった。
エルシアは、
少し離れた場所で、
静かに祈りを続けている。
その視線の先に、
勇者の背中があった。
(……信じている)
誰よりも、
自分自身を。
それは、
勇者に必要な資質だ。
けれど――
(……近づいてる)
魔王城に。
物理的な距離だけじゃない。
心の距離が、
何かを置き去りにしたまま、
縮まっている。
翌朝。
出立の合図よりも早く、
アレクシオンは立ち上がっていた。
「進みましょう」
その声に、
異論は出ない。
誰も、
止めなかった。
勇者様だから。
その言葉が、
いつの間にか、
理由になっていた。
ブラムは、
斧を肩に担ぎながら、
小さく息を吐く。
(……ああ)
これは、
信頼だ。
だが同時に、
思考を止める合言葉でもある。
エルシアは、
ローブの胸元を押さえ、
小さく祈った。
(……どうか)
誰も、
置いていかれませんように。
その願いが、
誰に向けられているのか。
彼女自身にも、
まだ分からなかった。
隊は、
再び歩き出す。
魔王城へ。
「勇者様」を先頭に。
(第14話・了)




