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帝都にそびえる王城、その広大な舞踏の間には、今宵も高位貴族たちの社交が華やかに繰り広げられていた。
アーダルベルトはいつもの如く、淡々と、しかし礼儀正しく挨拶まわりをこなし、少しばかりの酒を手に庭へと出る。
その後ろには、ぴたりと控えるリリエッタとヴィルヘルムの双子の影。
城の庭園は夜風に吹かれ、月光に濡れた花々が静かに揺れていた。
騒がしい場から少し離れ、3人はその美しさを眺めながら、言葉少なに過ごしていた。
「……こうして静かな場所に来ると、やはり落ち着くな」
アーダルベルトが低く呟くと、
「ええ、旦那様は人混みが得意ではありませんから」
「社交よりは書類の方が性に合ってますしね」
と、双子がそれぞれに返す。
その時だった。
花の合間から、ひとりの令嬢が現れた。
肩をざっくりと出した黒に近い濃紺のドレス。
気取らない立ち姿と、周囲を気にしない自然な足取り。
その人物は、侯爵家の令嬢――エリス・フォン・グロースだった。
「あら……お邪魔だったかしら?」
そう言って彼女は、月明かりの下で、気さくに笑った。
「グロース侯爵令嬢か。……庭に来ていたとは知らなかった」
「ええ。舞踏会って、どうにも居心地が悪くって。私、どうも評判が悪いみたいだしね?」
肩をすくめるその様子には、どこか男勝りの気風がある。
笑い方も飾り気がなく、どこか「社交界の貴婦人らしくない」雰囲気を纏っていた。
「悪魔召喚がどうとか、呪術に手を出しているとか……もう笑っちゃうわよね。どこでそんな話になるのやら!」
ハッハッハと、まるで作り話を茶化すように笑うエリス。
しかしその瞬間――
リリエッタがすっとアーダルベルトに身を寄せ、声を落とした。
「旦那様、彼女……本当に契約していますね。割と強いですよ。私たちと同等くらい、ですかね」
アーダルベルトは視線を変えずに小さく問い返す。
「分かるのか?」
「ええ、気配の残滓を感じます。ただ、あまり嫌な感じはしませんね。……本人も、残滓も。」
その言葉に、ヴィルヘルムも小さく頷いた。
「むしろ、この気配……影にいますね。旦那様、おそらく彼女、守護タイプの契約です」
「守護?」
「ええ。契約の方向性としては、攻撃や支配ではなく、"護られている"感触がありますね」
「なるほど……」
それを聞いたアーダルベルトは、初めて、じっくりとエリスを見つめた。
社交の中で流される、曖昧で根拠のない悪評。
だが実際は――表面とは裏腹に、強かな芯と、不器用な優しさを秘めた者なのかもしれない。
「どうしたの? そんなに見つめられると照れるわよ、閣下」
「ああ、すまない。少し、考え事をしていた」
「ふふ、どうせまた頭の中で国家の帳簿でも付けてるんでしょ?」
「それもあるが……どうやら、私は貴女のことを少々誤解していたらしい」
「……ほぅ?」
エリスが意味深に眉をあげる。
リリエッタとヴィルヘルムが、それぞれ静かに目を細めた。
「ふむ……旦那様。あの令嬢、面白いかもしれませんね?」
「ええ、興味深いお方です」
「……お前たち、勝手に話を進めるな。まだ何も言っていないぞ」
と、アーダルベルトは少し呆れたように言いつつ、視線を再びエリスに戻す。
夜の舞踏会の庭園。
その出会いは、偶然か、あるいは必然か――
花の香と夜風にまぎれ、運命の歯車が、静かに回り始めていた。