8話 和解
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次の日の晴れた朝。東から日差しがまっすぐに差し込んでいる。
俺たちは出発前にテントを撤収したり荷物を片付けたりしていた。
「ふぁ~……」
俺はテントを畳みながら手で口元を抑えてあくびをする。重たい瞼を必死に持ち上げ黙々と作業していた。
「あれ…すごく眠そうだね。大丈夫?」
リリアンは荷物を整理しながら俺に話しかけた。
「あぁ、ごめん。大丈夫…そのうち目が開くから」
「そう…。もしかして、夜は昨日のことで悩んでた?」
「いや…! あの、なんか俺もっと強くなりたいって思ってさ。昨日みたいに危ない目に遭うことだってあるし…」
「そっか…アランは十分強いと思うけどな…」
「あはは…」
愛想笑いをすると、半目のまま一点を見つめる。
…強くなりたいのは本当だが、もう1人の俺や記憶喪失の問題は、力が解決してくれることじゃないんだよな…。
次に手元を見ると、テント本体をくるくると巻き始めた。
それで少し前から考えていたが…この危険な人格がいる限り、俺は2人と一緒には…。
「あ、アラン…一回ちょっとこっち向いてみろよ」
「えっ…?」
考え事をしていると唐突に近くまで来たルーカスに話しかけられた。俺は瞬きしながら彼の方を向く。
「やっぱり…。お前、今日前髪のここ触覚みたいに飛び出てるぞ」
自分の前髪を指差しながら、無表情でルーカスが言った。
「あーそれ私も思ってた! 今日アランの前髪可愛いな~って」
「えっ……!?」
一気にさーッと青ざめていく感覚に襲われる。俺は恐る恐る自分の前髪に手を当てた。すると、確かに数束ぴょんと上に跳ねている部分があった。
「え、ええっ?! 嘘だろ…絶対朝直したと思ったのに…!!」
俺は必死に前髪を手で癖をつけるように何度も引っ張っりはじめた。
「何慌ててんだ、よくある話だろ。ま、俺はそんなヘマしないけど」
「うわぁあぁあぁあぁあっ!!」
「うおぉっ…びっくりした」
俺は動揺しながら頭を抱えその場にうずくまった。
「もうダメだ、終わった! 恥ずかしい…俺のイメージは台無しだ…変に目立たず卒なく誰にも迷惑かけず生きていきたかったのに...どうすれば防げた寝癖直しのやり方に問題がいや寝不足という状況が…」
「いや重い重い考えすぎだって!」
「あ…そうだな、リリアン。こんなウジウジしてちゃダメだ、切り替えないと…!!」
頭から手を離し、ふらふらと歩き出す。
「あれ…テントの備品って確かこの辺に置いてた気が…」
「さっき回収して本体と一緒に丸めてたじゃないっ!」
「はっ...そうか。テントを丸めてたんだよな...ははは。テントってなんでテントなんだろうな...面白いよな」
引き攣った口の端を無理に上げた。リリアンはあちゃ~とでも言いたげな顔で苦笑する。
「面白いのは今のあなた!! も~ルーカス! 変に揶揄うからでしょ笑ってないで彼をフォローしてあげて!」
「くくくっ…あ、悪い悪い。おい、アラン。誰も寝癖にそこまで気にしないから落ち着けって!」
「あ、あぁ…そうだよな…自意識過剰だよな...なんで俺ってこうなんだろう...」
再び頭を抱えて俯いた。
「だめだ、リリアン...こいつ筋金入りすぎる…! くくくっ!」
「ふっ…ふふふっ! アラン、こっちの世界に戻ってきて~!」
「うぅ……」
リリアンが俺の肩をポンと叩く。俺は動揺を誤魔化すかのように次々と湧き出る思考の処理に手を焼いていた。
ーーー
俺達は街を目指して見渡しがいい森の中を歩いていた。淡い水色の空に雲が浮かび、緩やかな風が前から吹いた。
リリアンとルーカスが楽しそうに会話し、俺は少し後ろを歩いていた。リュックのストラップを強く握ると立ち止まる。
「あのさ…2人とも! 俺、ついて行くのはここまでにするよ」
会話をぴたりとやめ、リリアンとルーカスが振り向いた。
「え…今なんて…? どういうこと?」
「2人について行くのは、ここまでにするって言ったんだ」
「えっ、えっ…なんで? ちょっとアラン、本気で言ってるの?!」
リリアンが眉を顰め俺に詰め寄る。俺はその勢いに後退ると目を逸らした。
「あ、あぁ…。知っての通り、俺の中にはもう1つの人格があるから…。そいつが表に出てきたら周りに危害を加える可能性がある。だから俺は1人の方がいいんだ」
声を絞り出すように話す。リリアンの目を見られなかった。
「な、何言ってんの? 今1人で行動したら野垂れ死んじゃうでしょ?! あなたには記憶もなければ荷物も食料も何もないんだし…」
「そ、それはそうだけど」
リリアンは少しして目を見開き、ハッとした表情をした。
「あっ…。やっぱり、昨晩は悩んでたんじゃない! なんで話してくれなかったの?」
「それは…変に、周りを不安にさせたくなくて…自分の気持ちも整理がついてなかったし…」
「…っ! そんな風に思ってたんだ…。私たちは、まだあなたにとって信頼に値しなかったのかな…」
リリアンは俯き、声を震わせた。
「違う...そうじゃない...」
「じゃあ、なんでそんな風に思うの...? 私たちはただ、あの時助けてくれたあなたを支えたかっただけなのに...」
彼女の顔が歪んでいくのがわかった。
「......っ!」
言葉を紡ごうと息を吸い込んだが、すぐに息を飲み込み目を伏せる。
…リリアンの言うことは最もだ。けど、こうするしか思い浮かばなかった...。もし2人に危害を加えたらと思うと、一緒にはいられない。
俺は唇を強くかみしめた。
「俺もリリアンと同じ意見だ」
「ルーカス...!」
「それに、もう1人のお前は本当に悪いやつなのか?そいつは盗賊と戦おうとしただけだろ」
感情を抑えるような声だった。
「でも…あいつは殺しに躊躇いがなくて…!」
「あの状況では正当防衛だ」
「……」
しばらく彼と無言で見つめ合った。ルーカスは眉を寄せると、大きなため息をつく。
「煮え切らないのか…なら仕方ない」
彼は後ろにゆっくりと下がる。凛とした手つきで腰から剣を抜いた。
「ちょ、ルーカス!! どういうつもりっ?! 流石にやりすぎじゃ…!!」
「止めるな、リリアン。俺たちの考えをわからせるだけだ」
ルーカスはリリアンを手で静止し、そのまま剣を俺に向かって構える。迷いがない真剣な眼差しが俺を見つめる。
「アラン、手合わせをしよう。もう1人のお前とやらを引き摺り出してやる」
「いやだ、なんで…っ!! どう言うつもりだよ…!!」
俺は後ろにジリジリと下がり、顔を横に振る。
あまりにも彼の行動が唐突すぎて…理解が追いつかない…!!
「そうか…じゃあ俺はいくぞ」
ルーカスが踏み込み、横払いを繰り出そうとした。
咄嗟に剣を抜いて受け止める。胸の高鳴りと同時に一気に汗が吹き出した。
「…やっぱり、お前は強いな」
「なっ……!」
ルーカスは流れる動きで斬撃を繰り出していく。俺はその斬撃をなんとか捌くが、ジリジリと後退していた。彼の剣が迫るたびに視界が揺れる。
「…なんでそんなに強いのに、怯えてるんだ?」
「やめろよもうっ!! やだよ…っ!!」
「そうか…。じゃあ、終わらせよう」
「…っ!!」
ルーカスが剣を下から振り上げ、俺の剣が上に弾かれる。ルーカスは開いた胴に足蹴りを繰り出した。
「ぐぁっ……!!」
俺は後方に吹っ飛び、背中から倒れる。
ルーカスは倒れた俺に追い打ちをかけるように踏み込む。
まずい...間に合わな......!!
「ルーカスッ!!」
リリアンが鋭く叫ぶ。ルーカスが振り上げる剣が迫る。その時、頭の中に盗賊が俺の腕を貫いた時のイメージがフラッシュバックした。傷の痛みまで鮮明に思い出し、息が詰まり身体が固まる。
...が、剣先が振り下ろされることはなく、柄の先が目先でピタッと止まる。
「....俺の勝ちだな。...どうやら、もう1人のお前はそう簡単に出てこなそうだぞ」
そう言ってルーカスは俺の上から退くと、剣を鞘に納めた。
「......あっ...!?」
俺は驚きと恐怖で声がうまく出せなかった。立ち上がろうにも腰が抜けて力が入らず滑って転ぶ。
「...っ!! やりすぎたか。悪い、アラン!」
ルーカスはそんな俺の様子を見ると、はっとしてかけ寄り俺の上身体を起こした。リリアンも俺の元に慌てて駆け寄る。
「大丈夫かっ!?」
「大丈夫??」
「....あ、あぁ......? ルーカス…な、何だったんだ...今のは...?」
俺は動転して虚空を見つめていた。
「…もう1人の人格が現れたら、そいつと話して真意を確かめようと思った。それに現れなくても、俺たちがそいつに安安とやられるほど弱くないって事をお前に証明したかった」
「…なん、で。そこまで、して…?」
ただ呆然と、眉を寄せる彼の瞳を見つめた。
「だって、こうでもしなきゃお前は納得しないだろ? 全部1人で抱え込んで、1人で何とかしようとして…。俺たちはお前にあの日、死にかけたところを助けられたんだ! だから…」
彼の抑えた口調が次第に熱くなり、辛そうに顔が歪んだ。
「お前と真剣に向き合いたかった! …この先はいくらお前が強くたって1人じゃ危険だ…ましてや、記憶喪失なんだから…」
彼は俺の襟を掴み、顔を引き寄せた。
「いい加減お前も俺たちと向き合えよっ! …もっと頼ってくれたって…いいだろ…!」
ルーカスは歪んだ顔を隠すように俯く。俺の襟から静かに手を離した。
「…っ!」
俺は目頭が熱くなり視界がぼやけた。
確かに俺、全部1人で何とかしようとして…真剣に俺と向き合ってくれた仲間を…突き放そうとしてしまった...!
少し俯き、指で目元を拭う。
「...ルーカス、リリアン…ごめん。俺、ちゃんと向き合うよ。仲間とも、自分自身とも...だから...」
声の震えを抑えて言った。2人が切なげな表情でこちらを見つめ、俺も真っ直ぐに見つめ返した。
「俺、2人について行ってもいいかな…」
「…。」
リリアンが安堵の笑みを浮かべる。ルーカスも困ったように優しく微笑んだ。
「何言ってんの…当たり前でしょ?」
「…心配しすぎだ」
「…そっか…ありがとう」
俺は剣を手に持って立ち上がると、剣を鞘に納めた。少し背を向けて、振り向きながら言葉を紡ぐ。
「…それじゃ、そろそろ行こっか」
眉根が僅かに力みながらも、微笑んで見せた。
「…あぁ」
「うん」
2人は穏やかに頷いた。前を向くと、澄んだ青空を眺め目を細める。
...あぁ、本当に...もっと強くなりたいな。大切なものを、守れるくらいに。
ルーカスとリリアンが追いつき、俺の肩をポンと叩き両脇に並ぶ。俺は首を振って彼らと目を見合わせ、3人で並んで歩き出す。
短草を踏み締めて歩くと、背後に緩やかな風がそっと吹いた。きっと踏まれても風に吹かれても、雑草だって負けずに生きていくのだろう。
ーーー
時は正午。真上に登った太陽が燦々と輝き、鮮やかに色づく緑草は風に撫でられる。緩やかな起伏が続く道は幅が広く、その傍らに点々として木々が生えている。
俺とルーカスはリュックを背負っていて、リリアンは身軽だ。
「…だいぶ見渡しが良くなってきたね…あ! みてみて2人とも!」
リリアンが前方を指差し、俺とルーカスはその方向に目を凝らす。遠目に見える密集した石造りの屋根が自然の中に溶け込んでいる。
「建物が見える...」
「街道沿いの村っぽいな」
「でしょでしょっ!? 今日は野宿しなくて済みそうだね!!」
リリアンは弾むような足取りで楽しそうに笑った。
俺とルーカスもつられて微笑む。
「…地図によるとコルグ村ってとこだな。この村はどこの国にも属さないようだが、街道沿いにあるから交易の拠点として栄えてそうだ」
「ってことはど田舎じゃないのか」
「...お前言い方悪いな」
地図を広げながらルーカスは驚いて俺の顔を見た。俺はチラッと彼を見るとリュックを背負い直し前を向く。
いや、特に深い意味はなくて。辺境にある村だと社会から断絶されてそうだなって…それだけ。
「それなら色んなお店見て回るのも楽しそうだね! よーし、先を急ご!」
リリアンが前を走り出す。
「あ、おい待てよ! 俺たち荷物持ってんだぞ!」
「何言ってんのー?! 君達はそんなに貧弱なのかなー??」
「はぁ~ったく…。仕方ない、少し急ぐぞアラン」
「あ、あぁ…!」
俺とルーカスはリュックを背負いながら小走りする。
「ふふふ! そうそう、その意気~!!」
リリアンは俺たちの方を見て嬉しそうにまた前を走り出した。
静かな森を照らす陽光は、雲一つない澄んだ青空から真っ直ぐに伸びていた。