14話 光と影
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生ぬるい風がマントをそっと後ろへ引く。その風は肌にまといつくように湿っぽく、前髪を不規則に揺らす。俺は首を左右に振り視界を整えた。
家々が並ぶ街並みから一転し、周囲は木々や茂みが覆う。足元の舗装は途切れ砂利道へと変わっていた。俺たちはざくざくと音を響かせながら歩いている。
「随分と村の外れに来るんだな…本当に村の名所なのか?」
ルーカスが眉を顰め訝しげに聞く。
「はい...この村にとって重要な場所になります。近づきすぎると危険なので、少し離れて見てもらいますが…」
「えっ…危険?」
「大丈夫なのかそれ!?」
リリアンが不安げに呟く。それに続けて俺は目を見開いて尋ねた。
「あ…驚かせてしまってすみません! ですが十分に離れれば問題ないので…」
前を歩くエディスがこちらを振り向き苦笑した。
「そ、そんなこと言ったって…!」
「…言ってるうちに着きましたよ。皆さん、目の前に見えますか?」
俺は言いかけたが勢いを削がれ、目を細めて口を噤む。エディスが見えやすいように道の脇によったので、視線を前へ動かした。
道の奥は行き止まりで、開けた場所になっていた。その辺に木材が切り倒され乱雑に積み上げられている。所々大きな岩が露出し、一つそこに洞窟の入り口のような穴が見えた。入り口付近には土砂が積み上げられ、金属製の工具などが放置されている。
「これは…坑道の入り口か? それもまだ新しい...」
ルーカスは興味ありげに前を見つめていた。
「ご名答です! 素晴らしい観察力ですね、ルーカスさん。実はこの坑道、掘られてまだ間も無いんですよ」
「ってことは、最近鉱脈がこの辺で見つかったということ…?」
リリアンが目を輝かせエディスの方を見た。エディスは微笑み、説明を始める。
「はい、大雨による土砂崩れの後、偶然この場所で魔石が露出しているのが発見されたんです。それからこの場所を調査した結果、純度の高い良質な魔石が取れることが明らかになりました」
エディスはショルダーバックから小さな石の欠片を取り出し、掌の上に乗せる。角ばっているその石は透き通るように青く、角度に寄ってキラキラと色味が微妙に変化していた。
「「おぉ〜…」」
「わぁ、綺麗!」
俺たちは顔を近づけて魔石を覗き込むように見た。
「これが、魔道具や杖の素材に使われる精錬前の魔石なのね…!」
俺とルーカスは顔を離す。リリアンは顔を近づけたまま興味深そうに観察していた。
「そうです、これは精錬前のものです。ご存知の通り、魔素の結晶である魔石は魔力増幅の効果があり、多岐にわたる幅広い用途に使用されます」
エディスは魔石を乗せた掌を握り、指で掴み直すと顔の前に持ってきた。リリアンはきょとんとしてその様子を眺めていた。
「…さて、ここで質問です。このような市場価値の高い資源が急に取れるようになった場合…この村にどのような変化があると思いますか?」
エディスの表情が一気に引き締まった。何かを訴えるような瞳が俺たちを見つめる。
「……」
俺は口元に指を当てて視線を逸らし、少し考え始めた。俺の頭の中で、広場に向かう途中で村人が話していた内容がフラッシュバックした。
ーー
『...さっきの音はやっぱり若い子達よ。...なんで彼らはルールが守れないんでしょうね』
『本当にそうですよ! これも異文化が入ってきたのがきっと悪さを...』
ーー
この会話、何か引っかかる…。
若者の反抗…、そしてそれは異文化の流入によるものだという主張…。異文化の流入…。魔石。
ーーそうか。
俺は口元から指を離し、エディスの目をまっすぐに見た。
「だから…この村は聖職者と若者が対立しているのか。魔石によって村が発展し、外部との交流が活発になった。その結果多文化が流入し村の伝統や価値観が揺らぎ始めている…」
みんなが驚いたように俺を見た。エディスの目が大きく開き、魔石の欠片を持った手が下がる。
「よく、これだけの説明で、そこまで気づきましたね…」
「村人が話しているのを、たまたま聞いたから」
「…そう、ですか」
エディスは眉を寄せて魔石の欠片を見つめると、バックにしまった。
「彼のいう通りです。魔石の発掘は村に大きな富をもたらすと同時に、不吉な風を運んできている…」
エディスはバックを強く握り俯いた。
「…私には、そう思えてならないのです…」
その指先は、ほんの僅か震えていた。暫くしてパッと顔を上げ、苦笑いする。
「あはは、すみません! 話が暗くなりすぎちゃいましたね。…さて、日も落ちそうなので宿に向かいましょう!」
「…あ、あぁ…」
呆気に取られながら歩き出すエディスを見ていた。俺たちは間を置いて彼女の後ろを歩き出す。
今のエディス…何か不自然だった。さっきもどこかで…。
俺はふと、エディスが時折見せた曇った顔や揺れる瞳を思い出した。
…そうか…だからあの時、あんな顔を…。エディスは村の未来を...!
何度か瞬きすると、視線を落とし足元に伸びる闇を見つめる。
…時の移り変わりが生み出す、光と影を見つめている…のかな。
後ろからしっとりとした風が吹き、マントが身体に張り付いたので手で振り払う。
けど…この影を無くすことは果たしてできるのだろうか…。光が照らせば影を落とすのは、もしかすると必然なのかもしれない…。
木々の隙間から見下ろせる夕陽に染まった家々を見つめ、目を細めた。
ーーー
宿に着く頃にはすっかり日が落ちていた。薄暗さの中で白い三日月が煌々と輝いている。周囲は草木が茂り他に建物は見えない。宿は石造りで古びた二階建ての建物だった。
みんなはへとへとで息切れしている。エディスが途中で日が暮れると騒いで走ってきたからだろう。俺はというと...それほど疲れてないから周囲を観察していた。
「みなさん…着きましたよ〜…!」
エディスはげっそりとして宿の看板にしなだれかかった。
「…客を走らせる案内人なんて…聞いた事ねぇぞ…」
「あ〜今日はずっと走ってばかりー…。」
「あっあっすみません…! つい説明に夢中になっちゃって、暗くなっちゃうから…。今私ランプも持ってないし…!」
ルーカスとリリアンが前屈みで息を整えながらぼやく。エディスはあたふたしながら謝っていた。
「なんだ、ランプなら俺たち持ってるけど。」
「あっ…そうか! その手が…あぁ〜なんで私ってこうなの…」
ルーカスがサラッというとエディスは頭を抱えてその場にしゃがみ込む。
「ふっ…別に気にしてるわけじゃないって。そんな落ち込むなよ」
「そうそう、ちょっと面白かったしね」
「皆さんの優しさが沁みる…」
「…走った分、早く着いたしよかったよな」
俺は歩きながら、なんとなくその場でぐんと背伸びをした。冷えた空気が熱い背中を撫でて心地いい。耳をすませば、遠くから鳥の鳴き声が聞こえる。
…穏やかだな〜...だけどこんなに穏やかに見えるのに、この村では対立が起こっている。それも俺は実際に見たんだ…。
「…てかアラン、なんでお前は全然息切れしないんだよ」
振り向くと、ツーンとした顔のルーカスと目があった。
「…えっ、あっ...なんでだろう」
上を向いて眉を顰める。そう言われると、確かに体力はある方なのかな…。
「なんだよ…嫌味かよ」
「え...?いや、ちが…だって…!」
慌てて訂正したが、ルーカスは俺に近づくと真顔で額にデコピンをした。
「あいったぁ! なんだよルーカス…」
額を手で抑え顔を歪ませる。顰めっ面のまま目だけで見上げる。
「冗談だ…けどなんかむかついたからデコピン」
「…それ、あまりにも理不尽すぎない?!」
「理不尽な体力お化けってこと?」
「〜あぁっ...もう...! 俺、そんなんじゃ...。」
「あは、ははは!2人とも面白い!」
リリアンがお腹を抱えて笑い出し、ルーカスは悪戯っぽい笑みを浮かべた。俺はなんとも言えなくなり、エディスの方を向く。石壁にもたれる彼女と目があった。
「あっ…、その……皆さん楽しそうだったから」
切なそうな目を伏せ、横毛をくるくるといじり照れくさそうに言った。
「…ごめんエディス! 案内するタイミング見失ってたよな。俺もそろそろ宿に入りたい」
俺はリリアンとルーカスの方をちらっと見た。
「…あぁ、そうだな」
「気づかなくてごめんね〜」
「いえ、いいんですよ。...皆さんが楽しそうで、何よりですから…」
エディスは困ったように微笑むと、石壁から離れる。
「それでは、早速中へご案内しますね」
彼女はこちらを見て説明しながら歩く。
「…実はうちの宿、デザートに手作りお菓子がついてくるのがウリなんです! ぜひ、楽しみにしててください」
「へぇ珍しいね、お菓子が出るなんて」
「ふふ、そうでしょう…! それにとても美味しいんですよ」
「そっかぁ、それは楽しみ」
リリアンが答えるとエディスは控えめに笑う。俺はそんなエディスから、目を離さずにはいられなかった。
...どこか俺と、エディスは似ている気がする...。それはきっと彼女が、誰にも言えずに...。
「...さあ、それでは早速開けますよ」
扉の目の前まで来ると、エディスがドアノブに手をかけた。後ろから少しだけ見える彼女の眼差しが、憂を帯びているように見える。エディスがドアノブを握り、引こうとした。その時ーー。
「うわぁあぁぁあっっ!?」
彼女はドアノブから手を離し、後ろにバランスをよろよろと崩して後ずさった。
「…人の声が聞こえたんだが、エディスか。今日は遅かったな…」
「ディーゼルさん…!」
そこには、革靴にアイボリーのズボン、茶色いチェニックを着た老人がドアノブを握って立っていた。短い白髪で長い顎髭を蓄え、老眼鏡を付けていた。
「違いますよぅ…! 私、お客さんを連れてきたんです」
「何...お客…?」
エディスは手で俺たちを指し示す。彼はドアノブから手を離し、俺たちの方を見渡した。
「そうか、旅の方々か…! うちの宿なんかに珍しい…」
彼は目を見開き、一瞬老眼鏡を持ち上げた。こちらに歩み寄り、俺たちを順番にまじまじと見る。
「君は…魔導士の子か。杖がよく手入れされている。隣の男の子は…」
リリアンとルーカスは苦い顔をしていたがその場で黙って立っていた。
なんだこの爺さん…ブツブツ言いながらすっごい見てくる、なんだそんなに怪しいのか?どういうことだよもしかしてこれが普通?おかしいのは俺!?いや、それともこれは村の伝統の一部もしくは…!
困惑し始める俺にディーゼルさんの顔が近づいた。
「さて君は…珍しい、遠い異国の少年のようだ。細身だが良い筋肉のつき方だ。剣士か…ふむ」
彼は眉を顰め、鋭い眼差しで全身くまなく慎重に観察し始める。なんで…俺だけこんな近いの?思いっきり顔が引き攣り引き気味になっていく。
「ちょっ…ち、近くないですかっ?!」
「…あ、あぁ! すまなかった!」
彼ははっとして表情が緩み、慌てて俺から離れる。一つ咳払いをして、気まずそうに笑った。
「…失礼…つい悪い癖が出てしまいました。みなさま、若いお客さんたちのようですね」
俺はほっとして胸を撫で下ろす。彼は老眼鏡の位置を整える。
「申し遅れましたが…私はディーゼル•モークリー。この宿を経営している者です。エディスはここでお手伝いとして働いています」
エディスはディーゼルと目が合うと頷いて見せた。彼は扉を開け脇に立つ。
「さあ…さっそく中へどうぞ。…精一杯、おもてなしいたしましょう」
度肝を抜かれた俺は、複雑な気持ちのまま突っ立っていた。リリアンとルーカスがありがとうございます、とお礼を言って宿の中へと入っていったので、俺も後に続いた。
宿に足を踏み入れる前に、少しだけ後ろを振り返る。夜の森で微かに聞こえる鳥の声が遠ざかるのを、俺は少しだけ名残惜しいと感じていた。