ここにいると貞操が危ない
二週間近く放置しておりました。お久しぶりです。海鼠です。
決して飽きたとか忘れていたとか続きがおもいつかねーって訳ではなく、妙なバイオリズムのせいか、時折まったく手がつかなくなる時期がありまして。
あ、今言い訳かっこわるいって天の声がどこからともなく聞こえてきました。続きを待ってくれていた方には本当にごめんなさい。まだまだがんばっていく所存ですので見捨てないでくれると嬉しいです。
今回はあまり内容が入ってないです。散々待たせてそれかypって感じですいません。とりあえず次の話のつなぎということでどうかひとつ・・・。
今俺の目の前には、人間ではない生物がいる。それは二本の手を持ち、二本の足で立つ、成人程の大きさの体を持つ昆虫の様な生き物だった。
「傷はほぼ治った様ね。激しい負荷をかけちゃ駄目だけど、もう歩くぐらいなら普通に出来るわよ」
蟷螂を思わせる容姿に備わった複眼で、俺の足を見ながら頭の中に女性の声を響かせる。
コレ……、いや彼女は、実は俺の主治医だったりするのだ。彼女はアンブレッツといわれる種族であり、名をマテファという。
彼女の頭の中に直接響く声は、なんと魔術によるものだそうな。なんでもアンブレッツには声帯がないらしく、多種族とのコミュニケーション手段が限られる為、この様なやり方が用いられているらしい。
何というか、魔術とか聞くとここが異世界なんだなとひしひしと感じさせてくれる。いやそれを言ったら、昆虫が医者やってる時点でそうなんだけどね。最初見たときは食われるかと思ったよ。
オーファスこと足フェチ変態野郎に足を舐られた日より二日。開いた傷は何故か驚く程早く治り、薬に関しては人を足元にも及ばせないとされるアンブレッツ族の医師から、出歩いて良しとのお墨付きを貰った。
傷は塞がっているものの、念のためと足の包帯はまだ解かれていない。
「あんまり無理しちゃ駄目よ〜。また開いて王子様にむしゃぶりつかれちゃ嫌でしょう?」
「その話は止めて下さい……」
足フェチ変態野郎のあの変態行為は、この城で働く人々に瞬く間に知れ渡った。人の口に戸は立てられないとはいうが、あんな恥ずかしくて気持ちの悪い出来事が、兵士や文官やメイドさんなどの間で口々に噂されるなんて、羞恥で死にたくなる。
ミネイラさんなんて目を輝かせながら、『私の初めてお仕えした方が将来の王妃だなんてっ』と明後日の方角で感動されてしまった。なんだか妙に高揚してしまった彼女に声をかけづらく、とりあえずやんわり否定しておいたが、多分聞こえていないだろう。
とにかくそんな感じで噂が広まり、未だ独り身の王子の嫁最有力候補とか言われているらしい。こっちとしては冗談ではないのだが。
俺は元々男だし、この世界の人間ではないのだから、いずれ元の世界に帰るか男に戻るつもりだ。変態の嫁など断固として辞退する。
しかし周囲はそう見ていないらしく、何故かリュラさんは王妃になるならば云々という言葉を頻繁に用いる様になり、それ以外でも何故か俺とは直接関係ない筈の大臣や将軍が面会を求めてやってきたそうな。
ミネイラさんが何かと理由をつけて断ってくれたらしいが、なんかこう、外堀が埋められていっている気がしてならない。
だから俺は、いつまでもベッドで安寧としている訳にもいかず、予てから考えていた計画を実行に移す事にした。
「本当に行くのですか?」
そう尋ねてきたのは変態野郎ことオーファス。相変わらず形の良い顔を悲しそうに歪め、ただそれだけでも哀愁漂うイケメンが完成するのだから世の中不公平。
俺はマテファさんに許可を得た翌日に、あの森に出向く事をリュラさんに告げた。少々遠いらしく、本来であれば馬で向かうのだが、あいにく俺は馬に乗った事がない。ならば馬車でと、頼むよりも早くオーファスが手配した。正直この反応は予想外だったのだが、こいつから離れられるのは好都合でもあり、あえて異を唱える事はしていない。
俺はオーファスとは直接目を合わさず、側に控えるリュラさんに視線を合わせている。
「お世話になりました。傷の手当から身の回りの世話まで、ご迷惑をおかけしました」
「そんな、貴女をお世話する事を迷惑だなんて。むしろ一生お世話させて欲しいぐらいですよ」
「リュラさんにミネイラさん、ありがとうございます。本当にお世話になりました。こうして旅の手配までしてもらって、言葉もないです」
「私はユウキ様を唯一の主と誓いました。感謝の言葉を頂けるなど、身にあまる光栄ですっ」
「私は命じられただけですので、感謝の言葉は不要でございます」
「ユウキさん、私には感謝の言葉はないのでしょうか。いえ、決して感謝しろとは申している訳ではありません。ただ貴女のその可愛らしい口から紡がれる美しい声を、もっと聞いていたいのです」
リュラさんミネイラさんと言葉を交わしていると、変態から発せられる雑音が酷い。
オーファスのやつ、カミングアウトしてから態度がガラリと変わり、俺への応対に粘着性が増した。この上なく鬱陶しい。だからあの日以来ずっと無視し続けている。
「冷たいですね。ですが、そんな冷たい氷で閉ざされた貴女の心を、私の内に宿るこの熱い想いで溶かす。その時を思うだけで、退屈な日々が色を持って輝いている様ですよ」
やめろよ鳥肌が立っただろ。っていうかお前キャラ変わり過ぎだ。
最初の頃はまだ理知的な好青年だった筈が、いつの間にこんな嫌悪感溢れる馬鹿になったんだろう。
オーファスの熱の篭った視線から逃れる為に、俺は用意された馬車へ逃げる様にして乗り込んだ。
「アセイル、ユウキさんの護衛を頼みます」
「はっ。この命に替えましても」
いつぞやの軽装ではなく、これが完全武装といった格好の板金鎧に身を包んだアセイルさんが、同じく馬車へと乗り込んできた。
俺達が乗り込んだ事を確認した御者が、馬を進ませた。
遠ざかる馬車を、三人が見守る。一人は涙ながらに手を振り、一人は何の感情も表さず佇み、一人は微笑みながら馬車を眺める。
「読み違えましたか」
無表情の使用人リュラは、自らが仕える主の横顔を見遣り呟いた。
「彼女がここを去ると言った時、策を労して引き留めるかと思いましたが」
それ程までにあの少女に陶酔していた風に見えた。だが、現実にオーファスは引き留めるどころか、進んで少女の出立を手引した。
「勿論それも考えたさ。出来る事なら、ユウキを今すぐにでも私のものにしたい程、私はユウキを好いている」
視線は外さず、オーファスが答える。口調や雰囲気もいつもと違う、ごく身近な人間に対してのみ扱う、リュラにとってはいつもの態度。
「しかしそれではユウキは手に入らない。私が欲しいのは彼女の心なのだから」
普段、異性になんら関心を持たぬ主の変わり様に、リュラはある種の感動すら覚えた。決して表情には出さぬが、一時は同性愛疑惑さえ抱いた相手が、変われば変わるものだなと。
いや、疑惑は未だ溶けてはいない。あの美麗なる少女の奇妙な告白は、ある意味ではむしろ、彼女の主への疑惑をより一層深める形となっている。
「ですがあのまま行かせてしまってもよかったのですか? 場合によっては都合の悪い事になりかねませんが」
少女の正体は男性。その真偽は定かではないが、仮に真実だとするならオーファスにとっては不都合となる。リュラも最初は少女の精神状態を疑ったが、ここ数日の動向を聞く限り問題はなさそうだった。となれば、少女は真実を述べたとでも言うのか。
「リュラは彼女の話をどう思った?」
「……正直に申せば、眉唾物ではあります」
「だろうね。私も完全に信じきってはいないよ」
信じているなら嫁に、などと考えはしないだろう。答えは自ずと不信となる。
ならば何故行かせたのか。リュラは己が主の思考を読み切れなくなっていた。
「私が信じていないのは、ユウキが男性に戻れるといった部分だよ」
性別が変わってしまった。ならば元に戻る術を探さなくてはならない。だが、そう簡単に見つかるのか。仮に見つけたとして、本当に戻れるのだろうか。
「多分私達が言葉で説明してもきっとユウキは信じきれないだろう。だから自らの目と耳で確かめて来て貰うのさ」
「もし男性に戻れた場合は?」
「それなら仕方がない。諦めるよ」
「貴方様の想いとは、その程度だったのですか?」
やや突き放す口調のリュラの言葉に、オーファスようやく彼女に視線を向ける。表情には笑み。
「そんな事はないさ。それに、私は信じてるんだよ」
一呼吸おいて彼は言った。
「彼女はここに帰って来るとね」
それはとても自信に満ち溢れた笑みだった。