一難去ってまた一難去ってまた一難
ただひたすらに森の中を走る。重い体では速度も出ないが、それでもひたすらに走った。
追い掛けて来る影はなく、木々のざわめきだけが辺りに響いている。
そこまで来て漸く、俺は走るのを止めた。
「はぁ……、一体何がどうなってるんだ……」
大きな木の根に腰掛けて、今自分の身に起こっている事態を確認する。
視線を下げると、遮る様に白衣の胸元が押し上げられている。思わず顔を赤らめてしまいそうになり、慌てて視線を外した。
白衣の上から腕や腰などを撫で、その細さに驚いた。
「間違いないよなぁ」
生物学上、疑い様もなく女だった。股間も触って確かめたから間違いない。
「何だってこんな事に……」
俺の名前は有賀祐樹。今年高校に入ったばかりの、ピカピカの一年生『男子』だった。
入学式から早一ヶ月。気持ち的にも落ち着き、新しい友人も出来始めた頃。 いつもの様に一日を過ごし、いつもの様にベッドに眠る。だが目覚めた場所は、俺の記憶にはない所だった。それと眼鏡で白衣の変態も居た。
危機一髪で難を逃れ、とにかく逃げる事だけを考えてひたすらに走った。変な屋敷から一歩外に出るとそこは森の中。躊躇するも襲われる恐怖が勝り、裸足のままここまで走って来た。
一先ずは安心したせいか、裸足のおかげで足の裏を木や石で切ったらしく、じわじわと痛み出してくる。白衣のポケットを調べても役に立ちそうな物は何もなかった。
走った事で先程よりも疲労感が増し、立ち上がるのにも一苦労だった。
「とにかく、何処か人のいる場所を探さないと」
警察に保護して貰おう。そしてあの変態を捕まえて貰おう。
まだ現実を知らなかった俺は、楽観的にそう考えていた。
歩けど歩けど終わりが見えない森は、俺に遭難の二文字を突き付けて来る。時計が無いためどれ程を歩いたかわからないが、とりあえず希望が不安に変化するぐらいは歩いた筈だ。
積もる疲労は余裕をなくし、足の傷は踏み締める度に激痛が走る。このまま足が腐るって事はないだろうな。
もしかしてこの森はとてつもなく広く、一度迷うと出て来られない様な場所なのでは。
疲労と不安でそんな思考が過ぎった頃、草木が揺れる音と共に突然、何者かに口を塞がれた。
「女だ! こりゃ上玉だぜ!」
突然過ぎて頭が混乱していると、男がそんな言葉を叫んだ。それに呼応する様に、木々の影から更に男が二人現れる。
お世辞にも綺麗とは言えない格好で、腰には見慣れない棒状の何か。出来れば当たって欲しくはないが、予想が正しければ剣とかじゃないのか?
「何だってこんな場所に?」
「何でもいいじゃねえか。これだけ上等な女ならきっと高く売れる」
口を塞がれたまま、一人の男が布製の大きな袋を広げる。
あ、女って俺じゃん!?
うっかり忘れていた自分の状態に、途端に危機を覚える。
「んー!! んぅーー!?」
「こら、暴れんな。傷付けでもしたら、価値が下がるんだからよ」
キラリと光る刃物をちらつかせ、俺の頬を軽く叩く。その冷たさに体が震えた。
怯んだ隙に猿轡を噛まされ、手足を縛られると人が入る程の大きさの布袋を被されて、あっという間に荷物にされてしまった。
「まさかこんな所で獲物が手に入るなんてな」
獲物とは俺の事だろうか。この二十一世紀のご時世、人身売買が公然と行われているなんて。
意外と頑丈な袋の中、ひょいと担がれて身動きが取れない。
想像の中でしか知らない奴隷の人生が頭を過ぎる。
冗談じゃない!何でこんなぶっ飛んだ出来事に遭遇しなけりゃならんのだ!
「んぬーー! んふぅーー!!」
陸に打ち上げられた魚の如く、ビタンバタンと暴れまくる。が、男の強い力はその手を離さなかった。
「うるせえな。おい、ちょっと黙らせろ」
男の声がすると、頭を強く叩かれた。後頭部への強い力は、俺の意識をぐらつかせる。
「あんま手間かけさせんなよ」
その言葉を最後に、俺の記憶は途絶えてしまった。
そして次に目覚めた時、何故か俺は、天蓋付きの豪華なベッドの上で横になっていた。
「……は?」
驚愕の連続で、ちょっと事態についていけない。あれ、俺人攫いに会わなかったっけ?
でも人攫いって儲かるんだなー。こんな豪勢な部屋の優雅なベッドに商品を寝かせるだなんて。服だってちゃんて着せてある。ワンピースっぽい服だが、肌触りから中々上等な感じ。
「って、んな訳ねーよ」
どう考えてもあの男達とは縁のなさそうな場所だ。となるともしや奴らは所謂実行部隊で、ここは奴らの親玉の屋敷。そして攫った少女を品定めの名目でゆっくり味わおうと!?
……自分で想像しておきながら、意外と外れていない様な気がして怖くなってしまった。
体の調子は幾分マシになり、まだ本調子とは言えないものの、動作に支障はない。
様子を見るべきか、それとも今すぐ逃げるべきか。右も左もわからない現状で迂闊に動くとまた大変な事になりそうだし、このまま呆然としてると、何か手遅れになりかねない事態になる可能性もありそうだし。
うんうん唸りながら悩んでいると、不意に部屋のドアが開いた。
慌てて飛び起き、ベッドの影に隠れる。
「あぁ、よかった。目が覚めましたか」
現れたのは青年だった。金の髪と赤い瞳で穏やかな笑みを浮かべている。出たな親玉!
もはや手遅れな上にバレバレなのだが、ベッドの影から青年を観察する。
整った身なりと、それに見合うスラリとした長身。その優雅さに負けず劣らずの容姿は、悔しくなる程イケメンだった。
「顔色が優れない様でしたので少々心配でしたが、良くなった様ですね」
お盆を手に、ベッドの側に歩いて来る。
その動作ですら輝いて見えるのはやはりイケメン効果か。だが俺にはそんな見せ掛けは通じん!
俺は更に警戒心を強めて青年を睨んだ。
「足の怪我もそう酷くはありませんでしたよ。跡が残る事はなさそうです」
そう言われてやっと、足に包帯が巻かれている事に気がつく。どうやら手当されていたらしい。
「包帯を取り替えたいので、こちらに掛けて頂けませんか?」
ベッドの側、小さなテーブルの横にある椅子を手で示す。
なんかいい人っぽいが騙されてはいけない。怪我をしていては価値が下がるから、こうして治療して売るつもりなんだ。
だが、足の怪我を治さないと逃げる事もままならない。ここは素直に従っておこう。
警戒心は解かず、睨む視線はそのままで椅子に座る。そして、青年が跪いて俺の足を取った。優しい手つきで包帯が外されていく。
「経過は順調な様ですね。ですがしばらくはベッドから動かない様にお願いします。無理をして傷が開いてはいけませんから」
それは遠回しに逃げるなと言っているのだろうか。やはりこいつも人買いの仲間なのだな。
慣れた手つきで薬が塗られ、くすぐったさで思わず身を竦ませる。
そして包帯が巻かれようとした時、再びドアが開いた。
「まぁっ!?」
なんと現れたのはメイドさんだった。巷で流行るファッション性の高いものでなく、質実剛健を座右の銘にしてそうなお堅い格好だったが。
そのメイドさんは俺達の姿を認めると、驚愕の表情を浮かべた。
「何をしてらっしゃるのです!?」
突然怒鳴り出した。でも俺は得に何もしてない。となるとその声はこの青年に向けたものなのか。
「何って怪我の治療ですが」
「それは見ればわかります! 私は、何故貴方様がその様な事をしているのかと申し上げているのです!」
「それは私が彼女を連れて来たからですよ」
「だからといって貴方様がお手を煩わせる事にはなりません。ましてや跪くなど以っての外です!」
「固いなぁリュラは。ちょっと膝を床に付けるだけじゃないですか」
「貴方様がそうなさる事の意味をもっと御自覚下さいませ!」
目の前で展開されるやり取りをただ傍観する。メイドさんの剣幕に口を挟めないのが正直な所だが。
叱咤するメイドの言葉をのらりくらりと躱す青年に諦めたのか、メイドさんは次に俺に視線を向けた。
「あなたもあなたです! 怪我人を良い事に、この方を跪かせるなど言語道断ですよ!」
「えぇ!?」
俺何もしてないのに!?
「彼女は悪くない。私がそうしたかっただけなんだから」
「ならば尚更良くありません。貴方はこの国の王子なのですよ!?」
「へ……!?」
王子? この青年が?
っていうか人買いが王子ってどんな国だ。まさかモヒカンで刺々な人達がヒャッハーとか叫んでるような国か!?
俺の驚きの声の意味を読み取ってか、青年がニコリと笑って俺を見た。
「これは失礼しました。自己紹介がまだでしたね。私の名前はオーファス・クイントス・フォーバーン。この王国フォーバーンで、一応王子をやっております」
優雅にお辞儀し、そう告げた青年。メイドさんがまた「一応とは何ですか!」と怒鳴り出していたが、俺はあまりに突然に告げられた言葉の意味を、完全には理解しきれていなかった。