「委員長タイプ? 今時珍しいね」
「今年度から、ここに転校することになりました、坂崎伊織です。よろしくお願いします」
なるべく快活な女子高生らしい声色でそう言って、自分は頭を下げた。4月上旬。始業式直後の、女子高2年生の教室はざわめいた。
こうやって挨拶することは想像できていたけれど、クラスの前で挨拶するのは、否応なしに緊張する。
――自分の、決してバレてはならない秘密を差し置いても。
「えーそれじゃあ見てわかると思うけど、席はそこだから。出席番号順だね」
担任の牛川総一先生は、言いながら左手前の空席を示した。廊下側から2列目の、一番前の席。実に身が引き締まる。
促されて、自分の席へ歩く。ポケットに入れている鍵束の鈴が、くぐもった音を鳴らす。隣の席――出席番号1番――の生徒の目が、眼鏡の奥から自分を鋭く見た。それは転校生への好奇の視線ではない、値踏みをするような視線だった。
とはいえ。
始業式の日から授業があるわけでもなく、その後は今後の予定や諸注意事項を説明されたのち解散。転校初日ということで、自分だけは職員室で学生証などの受け取りがあったが、つつがなく帰宅となった。
生徒の姿もまばらになりつつある校舎を出て、駐輪場に停めてある自分の自転車に、鍵束から外した鍵を差して回す。カシャンと、馴染みのバネの感触。……ごくごく普通の自転車のはずなんだけど、フェミニンなデザインが多い女子高生向けの通学自転車達のなかでは、どうも無骨で目立っていた。
覚えたての通学路を駆け抜け、春休み中に引っ越しておいたアパートメントに到着。まだ不慣れな一人暮らしは不養生を早くも体現しつつあるけれど、それもせいぜい1年の話だ。それに、自分の目的のことを考えれば、自らの身を案じるなんてバカげてる。
鍵束を使ってドアの鍵を開けて部屋に入り、すぐにまた鍵をかける。女子高生の一人暮らしなんだから、戸締りには人一倍気を配る必要があるだろう。
人心地ついて、ふと、引き出しを開ける。
いくつかの、茶封筒に収められた便箋――三司織葉の、最後の声たち。
オルハは、坂崎伊織の中学時代の同級生であり、大切にしたい存在だった。別々の高校に進学してからも、そこそこな頻度で会ったり連絡を取るくらいには。
けれど、そのような関係になってから、会う度にオルハは……壊れていたように見えた。それに比例するように、会うまでの間隔は次第に延びていって、ついには手紙になった。それからしばらくこの手紙のやり取りだけが続き、いつのまにかオルハは、冬休みの間に、通っていた女子高の屋上から落ちて亡くなっていた。警察の捜査がなされたが、”自殺”と断定されたらしい。
そのことを自分が知ったのは、オルハの死から1か月は経ってからだった。
きっとオルハは、誰にも頼れなかったのだと思う。それこそ、この自分にすら。そうして、終ぞ誰にも助けを直に請う事無く、オルハは死んでしまった。
それでも。
最後に声を……救援を、自分に送ってくれたことについては、いけない感情だと思いながらも、嬉しさを覚えずにはいられなかった。
だって、最後にくれた便箋には、こう書いてあったから。
『わたしが死んだなら、それは綾原和代のせいだから』
その一文を読んだ瞬間、自分はその女を殺すと決めた。
そのために、アヤバラが通っている女子高に、転校してきたのだ。
次の日。
朝のホームルームに間に合うように登校できた。初っ端から遅刻するという、最も避けたい事態は回避した。人を殺す前から悪目立ちするのは、出来る限り避けなければ。
もしかすると、朝から質問攻めに遭うかも、そう思っていたけれど……まだ誰も近寄ってくる様子は無い。唐突な転校生の存在に、周囲の生徒たちはまだ様子を見ることにしたらしい。
まだ馴染みの無い教室で、自分の席に座り、ポケットの中の鍵束をもてあそぶ。3本の鍵と鈴が耳障りに鳴る。その音で、自分は安心できる気がした。
「おはようございます」
ピン、と張り詰めたような声を掛けられ、意識を声の主に向ける。
自分から見て右隣の席、出席番号1番の生徒だった。
「隣だから、班分けで一緒になる機会も多いかなと思って」
おろした黒髪に、ぱっつんの前髪。
眼鏡の奥の視線は、今は和らいでいる。
「綾原和代です、よろしくお願いしますね」
オルハの便箋を読んだ時から、わかっていたことだ。
出席番号はフルネームの五十音順で決まる。そして「あ」から始まる苗字は、比較的珍しい部類であると言えるだろう。よって、アヤバラカズヨという名前は、出席番号1番になる可能性が高い。
だけど、その推論を前もって持ち合わせていたのに、「オルハを殺した仇が目の前にいる」事実を認識したあの瞬間、装っていた平静を維持できていたかどうか、正直わからない。
動揺に揺れる授業をなんとか切り抜け、昼休み。
いつか、隣に殺したい相手が居るこの状況にも慣れてしまうのだろうか? しかし、自分が慣れてしまう程この教室に馴染んでいなければ、きっとアヤバラは殺せない。自分が抱えるこの秘密を、気取られるワケにはいかないのだ。
けれどこの教室に慣れたとき、まだ自分はアヤバラへの殺意を抱けているのだろうか? いや、というかそもそも、本当に自分はアヤバラを……人を殺せるのだろうか?
いや、殺すと決めたのだ。だから自分は今、ここに居る。大それたことであると自覚したうえで。だから、早くこの教室に馴染まなくては……。
堂々巡りの自問自答は、購買のパンを飲み込んでも続いた。
初日の授業を終え、放課後。
秘密を抱えた状態の自分は、なにかやらかしていないか常に不安になる。……長居は無用だ、早く帰ろう。そういう理由で、部活にも入るつもりはなかった。
「あ、あの……伊織、さん」
三人でやって来たクラスメイトのひとりが、声をかけてきた。
ついにか、といった気持ちではあるが、ここで無視しているようでは馴染めないので、応じる。
「なに?」
「この後一緒に、お茶でもどうかな?」
「お茶、というと……」
転校してくる前――高校一年生の頃の、共学の高校で。
少なくとも自分は、そのような文化には触れてこなかった。
「え? あぁ……どっかでゆっくり話さない? ってことよ。だって転校生じゃん、訊きたいことはいっぱいあるし」
そういってクラスメイトは、自分のことを見回した。
「ん~……もう少しあとでもいいかな? 自分がこのクラスに多少馴染んでから、なら良い」
まだまだ、自分はこの環境に慣れていない。そんな状態で打ち解けようものなら、どんなミスを犯すか分かったものじゃない。それに、今の視線は……。
だから、しばらくは回避しておこう。そう判断した。
「う、うーん……そっか」
「あ、じゃあじゃあ! カズヨは? キリコも一緒にさ!」
クラスメイト達はそう言って、隣の席のアヤバラと、その後ろの席の生徒に声をかけた。
「えっ、あ。わたしはカズヨが行くなら……」
キリコと呼ばれた生徒は、どうにもオドオドした様子で応え、アヤバラの方を窺う。
しかし――
「行きませんよ。お休みの日ならともかく、放課後に遊ぶのは問題行為だと思います」
アヤバラはぴしゃりと言い放ち、鞄を取り上げて教室を出て行ってしまった。
「ダヨネー……」
「わかってたことじゃん、無謀なんだから。ほら行こ」
「あ、伊織さんもそのうちね! じゃーねー」
それを見たクラスメイト達も、判ってましたよと言わんばかりの態度で去って行く。
「……ズイブンと御堅い人だこと」
自分は呆然と、開いた教室のドアを見て呟いたのだった。
アパートに帰宅し、施錠。
荷物を置き、洗面所へ向かって手洗いうがい。
クラスメイトの視線を思い出して、鏡のなかの自分を、改めて見る。
女子高の、ブレザータイプの制服。それを着こなせるだけの、比較的整った顔立ち。髪はまだまだ短いベリーショートだけど、これからは伸ばすつもり。
共学の高校に居た1年前までは、男子たちから”かわいい”と評されるくらいだったから、自分の顔立ちに自信は有るのだけど……女子しか居ない環境ならば、目立つようなものでもあるまい。というか、目立つと困る。
となると、やはりあの視線の原因は、コレしか無いだろう。
制服のボトムスに、自分はスラックスを選択していた。
……元々居た高校では、嫌々スカートを履いた節もあったのだが。
ジェンダーや自転車通学の観点などから、この女子高ではスカートかスラックスかが選択できた。選択できた以上、目立ちはすまいと思っていたのに、まだまだスカートの方が大多数らしい。
とはいえ、れっきとした校則で選べたんだから、周囲に対しては特に隠し立てする必要も無いか。
ブレザーに、選択可能だったスラックス。
そんな女子高の制服を着こなす自分は、パッと見は普通の女子高生だった。
馴染むためには、堂々とする他ないだろう。
そう考えながら、自分は今日を昨日に送った。