ヘソを出すべきではないか
茶屋町でヘソを出している人が少なからず歩いていました
ヘソだしにはヘソだしで
一昨日茶屋町の若者にヘソだしが一割含まれていて、非常に違和感を覚えました。
大相撲でもヘソだしの力士はいません。
とにかく、
北朝鮮が発射したミサイルの数と同じ数発射する
嘘マスコミの制裁でマスコミ報復制裁をする
食料危機の責任まで押し付けられちゃかなわんの用意がある
複雑になりすぎた報復のやり返し方法で、このヘソだしには
茶屋町に行ってヘソを出してくる
というのは、どうだろうか。
おそらくヘソだししている若者には、報復になると思われる。
しかしながら、そんなことはしない。
お腹が痛くなりそうだからです。
何を言いたいのかというと
ある効果を期待しての制裁
これが、新たな制裁を生んで、やり返しの応酬になるのを、年と共に避けるということを覚えたからです。
平和な世の中が続いた気になっている大半の世代は、戦争になるとどれだけ惨めな生活を強いられるかわからない。
病気をしたことがない人が病人の気持ちがわからないのと一緒です。
今年の夏、さっそく暑いのを我慢するとか、今年の正月おせちなしで、おしくらまんじゅうとかになるのは、ウクライナの和平交渉を西側諸国が失敗したことに責任がある。
これまでアメリカに際限なくミサイルを撃ち込まれてきた中東は、ざんまぁ、、みたいな立場。
チェチェン、シリアのニュース映像を見てきた自分としては、ウクライナこそ防げた武力抗争、防ぐべき惨事であるというのんきなことを言っていないで、とっととやめてほしい。
ヘソを出してでも抗議したい。
それにしても、武器供与を他国にするということは、自国で乱射したくなる人がいても、いたしかたないとアメリカも悟るべき。
そうそう、日本では赤ちゃんがコインロッカーから生まれるとは、避難にきたウクライナの人には思われたくない。
理想を超えた、出鱈目な超福祉国家を目指したい。
制裁とかいうんだったら、ヘソを出して牽制すべきではないか




