あなたはミンスクで協議が行われていた頃何をしていましたか?
私は色ボケていました
あなたは、2014年から2016年の頃は何をしていましたか?
つまりは、ミンスク議定書、ミンスク合意、ミンスク2と、ヨーロッパのリーダが頭を抱えていた頃、東独出のメルケル首相が活躍していた、あってはならないことを避けるべき協議がなされていた頃のことです。
私は、色ボケていました。
55歳から定年退職できる会社で、60歳から年金早期受け取りが可能な世代で、55歳までの自由時間と退職してからの自由時間が同じと知ったため、脳内でドパーミンが溢れて、耳から垂れていました。
ところが、コロナで旅行も無理、戦争で無線もイマイチ。残ったのは園芸と楽器だけです。
悔しいのでスキーを再開しました
さて、西側諸国でじわじわと縮めたプーチンというバネが、ビヨンと伸びてしまったわけですが、その原因は
ミンスクで協議していた頃と西側のリーダの質が違ってきたことにもあるのではないでしょうか。
例えば、メディアはトランプの
お前んとこの金ピカの屋根をミサイルでぶっ飛ばすぞ
とプーチンを脅したのを、トランプおろしを狙ってトランプ狂人説として何度も放送していました。
今思えば2016年以降これまでプーチンを抑えていたのは狂人トランプかもしれません。
バイデンというよりもアメリカは、プーチン狂人説にして責任を押し付けてしまえば
インフレ
アフガニスタン撤退
を忘れさせるに十分な、ウクライナの可哀想な映像を繰り返し流せます。
アメリカはヨーロッパと違い、武器とエネルギーは輸出し放題ですし。
そういえば、香港って、どうなったんでしたっけ?
などと、ボケていてもいいことは起きないので、
ホームページに
remember AO-40
NoWar
ウクライナとヨーロッパロシアのQSLカード
を飾りました。
今報いが来ています