1.戻りたい
一人暮らしを始め五年が経った。
五年……。八十年と言われる人生の中で決して短くない時間。
私にとってこの五年は、炭酸が抜けたソーダみたいに味気のないものだった。
思い返せばこの五年間、職場とアパートを行き来をしていただけの気がする。
両親からは彼氏の一人でも連れてこいと言われる始末だ。
職場での出会いもなかったわけじゃないけれど、これと言って親しい関係となった男性もいなかった。
異性に食事に誘われても、そんな気になれない。高校時代の失恋が、私の心を縛るのだ。
ここ最近、親しかった友人や家族とも時間が合わず会えていない。
仕事が終わればすぐ帰る。寄り道はしない。
そしてアパートに着いたらポストの中を確認をする。毎日それの繰り返しだ。
大抵どうてもいいチラシしか入っていないのだけれど、今日は違っていた。
チラシに挟まれた状態で1枚の葉書入っていた。
それは――結婚式の招待状だった。
差出人の名前を見て、私は激しい目眩に襲われた。
部屋に入って、ベッドに横になっても吐き気がする。
差出人の名前は北見優成
私の初恋の男の子。
優成と私はいつも一緒だった。
幼馴染という気心のしれた間柄だった私達は、よく周りから夫婦みたいだと言われものだった。
言われる度優成は照れくさそうに顔を赤らめながらも、満更でもない顔していた。何より私も悪い気はしなかった。
いつからか、私は優成が傍にいるのが当たり前だと感じるようになっていた。
だから私は自分の気持ちを優成に伝えることはしなかった。
きっと優成も私の気持ちを理解してくれるだろうと、そう思っていた。
私は優成のことを幼馴染としてではなく、異性として好きだった。
しかしある日を境に優成は私から距離を取るようになった。
――それは私に彼氏ができた日だ。
私の通っていた高校の文化祭では、希望した生徒が体育館の壇上に登って、全校生徒の前で日頃の思いの打ち明ける行事があった。
打ち明ける内容は人により様々だが、メインとなるのが異性への告白だった。
私はそこで告白された。
告白してきたのは当時所属していたテニス部の先輩だった。
あまり接点のなかったが、先輩曰く私が入部した当初から私の事が気になっていたらしい。
相手は私より年上でテニス部のエース、なによりイケメンだった。
そんな人から告白されたのに断ったりしないだろうと、全校生徒からの向けられた期待は、私から断るという選択肢を奪った。
私はその告白を受け、先輩と付き合うことになった。
正直先輩に対して恋愛感情などなかった。
それでも年頃の女子だったので、恋愛に関してはそれなりに興味があった。
せっかく、初めて彼氏ができたのだからデートもしてみたかった。
そんなこともあり、私は先輩とすぐに別れるようなことはしなかった。
それが大きな過ちだとに気付いたのは、大分後になってからだった。
私と優成は二人一緒に登校していた。私が先輩と付き合うようになってからは、互いに一人で登校するようになった。
休みがあれば、優成から誘われて二人だけで出かけることもあった。当然それもなくなった。
先輩と交際を初めて何ヵ月か経った頃、私は先輩からキスされた。
突然の出来事だった。いきなり抱きつかれたと思ったら、目を瞑った先輩の顔が目の前にあった。
私は目を閉じなかった。閉じれなかった。
――私の視線の先に優成がいたから。
ファーストキスを奪われたことよりも、優成の見られてしまったことの方が私にはショックだった。
その日以降、優成は私のことを名前でなく名字で呼ぶようになった。しかもさんづけで。
優成は私からどんどん離れていった。そして離れれば離れるほど、ある女性と親しくなっていった。
その女性は、招待状に名前が書かれていた新婦。
中澤友梨花。私の姉。
姉さんは私ほどではないにしろ優成と親しかった。優成も実の姉のように慕っていた。
そんな姉さんが優成と付き合い始めたのは、私が先輩と別れる直前。
きっかけは、先輩と付き合った私のことを、優成が諦めきれないと姉さんに相談したこと。
最初は優成のことを応援していた姉さんだったが、なかなか先輩と別れない私を見て、私が本当に先輩のことが好きなのだと思ったらしい。
優成から私が先輩とキスしたことを聞いて、姉さんは確信にした。
泣きじゃくる優成を見て、姉さんは優成を守ってあげたくなったらしく、傍にいてあげようと思ったそうだ。
優成も優しく慰めてくれる姉さんに惹かれるようになった。
そして姉さんと優成が親密になっていく。次第にそれは恋にまで発展した。
姉さんが優成のことを好きになるのも、優成が姉さんのことを好きになるのもそう時間はかからなかった。
このままではいけないと思い、先輩と別れた時には手遅れだった。
――今度は私が姉さんと優成のキスしてるのを目撃した。
胸が締め付けられるような思いだった。
傍にいた人間が離れていってしまうことが耐え難い苦しみであるのだと、その時になって私はようやく理解できた。
私はそんな思いを優成にさせてしまっていた。何ヵ月も。
そのせいで、長年想っていた優成は私の運命の人ではなくなってしまった。
いや、違う。私自身が運命の赤い糸を無意識に切ってしまっていたのだ。
いつも後悔している。先輩の告白を受けなけれは良かったとか、受けたあとにすぐに別れて優成に好きだと伝えれば良かったのではないかと考えてしまう。
ごく僅かだが希望はあった。それは姉さんと優成が別れること。
だがそれも完全になくなってしまった。二人は結婚し、永遠の愛を誓う。
「ああああああぁぁ!!」
誰もいない部屋で一人で叫ぶ。私を慰めてくれる人はいないのだ。
(そんなに辛いならやり直してみれば?)
「だれっ!」
頭の中から声がした。
私はショックのあまり、幻聴まで聞こえるようになってしまったのだろうか……。
(誰って言われても……)
「何よ……これ……」
またしても頭の中から声がする。部屋の中には私一人。誰かが潜めるほど私の部屋は広くない。
(そんなに怖がらなくても大丈夫だよ。ボクは君の願いを叶えに来たんだ)
「何言ってるの?」
(幼馴染の優成くんの恋人になりたいんでしょ? だったら過去に戻ればいい)
「そんなことできるの?」
何故だか私はこの不可解事象に期待を持ってしまった。
考えたところでどうせ声の主の正体は分からない。
テレパシーのように頭へ直接言葉を伝えることが出来る存在なのだ。
きっと凄い力を持っているに違いないと、そう思った。
(できるよ。君が望めばね)
「戻りたい! 戻らせて!」
(まあ、そのまま過去に戻らせる訳にはいかないかな)
「私のできることなら何でもするから! お願い!」
(別に何かしてもらう必要はないかな。過去を変えるってことは、ある意味で殺人に近い行為だけど、それでも平気?)
「どういう意味?」
(君が過去を変えた場合、君のお姉さんと優成くんの間で生まれてくるはずだった子供が生まれてこなくなる。君はその命を奪ってしまうことになる)
私は……それでも……。
――優成と結ばれたい!
「かまわない」
(わかったよ。じゃあ、目を閉じて)
目を閉じた途端、急に意識が遠くなるのを感じた。眠りにつくのとは違う、どこかに意識が飛ばされていくような感覚――。
………………
…………
……
読んで頂きありがとうございます。
本作は2、3話で終了する予定です。