両極端の花
ある日ミラージュが友人達と昼食を食堂で食べていると、そのすぐ後ろをディシュが通り過ぎ、通り過ぎざまに大きく転んで、手にしていた食事を頭からかぶってしまうという事が起きた。
何事かと誰もが見守る中、ディシュが泣きそうな顔でミラージュを睨みつけると「わざと転ばせましたね」と叫んだ。
何の事かとミラージュが首を傾げると、「スカートを引っ張ったじゃないですか!」とさらに叫ばれ、ミラージュはため息を吐きながら「そんな事をした覚えはない」と言う。
確かに、前を向いて食事をしていたミラージュが背後を通り過ぎたディシュのスカートを引っ張るなど、至難の業なのだが、ディシュはそう説明されても「引っ張られた!」と叫び続ける。
あまりの騒ぎに職員が駆け付け事情を聞いたが、状況的にミラージュがディシュを転ばせることは不可能だと判断され、ディシュの汚れを取る為にその場から強制的に退場させられたが、相変わらず食堂はざわついている。
「ミラージュ様、大丈夫ですか?」
「ええ、わたくしは問題はありませんわ」
「まったく、あのような不届き者が学園に居るなんて、この学園の品位に関わってきますね」
「そのような事を言うものではありませんわ。貴族の血が流れているのですもの、彼女だっていずれ貴族がどのようなものなのかわかる事でしょう」
「ミラージュ様がそうおっしゃるのなら」
友人達はミラージュの言葉に渋々と言った感じに引いて食事を続けたが、ミラージュの心の中はそれどころではなかった。
今のはまさに、乙女ゲームのイベントの中で行われるものの一つで、実際にはミラージュがディシュを突き飛ばして笑いものにすると言うものなのだが、時期的にもディシュが食事を頭から被るという事も一致してしまっている。
ここでミラージュはディシュが自分と同じようにこの世界、乙女ゲームの知識があるのだと確信した。
そうしてディシュは乙女ゲームを攻略するためにミラージュを悪者に仕立て上げ、イベントを発生させていき、ヒロインとして活躍するつもりだと考えた。
そして、それは間違っておらず、ディシュはミラージュもまた乙女ゲームの記憶があり、破滅を回避するために動いているとわかっていながらも、自分の為に利用する気でいる。
しかしながらミラージュのガードが思いのほか強く、今回のように無理やりイベントを発生させるか、悪口を言いふらす事しか出来ないことに歯がゆい思いをしている。
貴族令嬢となり、複数の男子にちやほやされる乙女ゲームに折角転生したというのに、乙女ゲームの通りに事が運ばずに、どうしたらミラージュを陥れて自分を輝かせることが出来るのかと考えているのだ。
しかし、ミラージュは乙女ゲームに関わる気は全くなく、むしろ、乙女ゲームに関わり破滅を迎えるような真似をしたくない為に、積極的に避けているような状態だ。
鏡の中の、まるで悪の花とも言える自分がいつ飛び出してきてしまうのかと怯えている。
ミラージュは鏡の中の自分のように、乙女ゲームの中に出てくる自分のようになるまいと今まで必死に努力をしてきたのだ、それを、ヒロインだからだと言うだけでディシュに邪魔をされるわけにはいかない。
ヒロインとして華々しい貴族としての生活を送りたいディシュと、今までのようにおとなしい平穏な人生を送りたいミラージュ。
二人の考えは何処までも正反対である。
ディシュはそれ以降も何かあるたびに乙女ゲームのイベントを再現しようとミラージュに近寄ったり、ありもしない悪口を言いふらしていく。
いい加減迷惑だとミラージュが思い始めたころ、事件が起きた。
ディシュが何者かによって階段から突き落とされてしまったのだ。
階段から転げ落ちて腰を強く打ったディシュはそのまま病院に運ばれることになった。
ただ、ディシュが階段から落ちた時、ミラージュは生徒会室で仕事をしており、現場に駆け付けた時はすでにディシュを病院へ搬送するところだった。
いったい何が起きたのかと周囲の者に事情を聞くと、ディシュが「ミラージュ様、やめてください!」と叫んで階段から落ちてきた、と言う。
たった今しがた駆け付けたミラージュが階段からディシュを突き落とすなんて無理な事は誰しもがわかることで、ディシュが一体何をしたいのかと多くの者が首を傾げる中、ミラージュはディシュの執念深さに恐怖を抱いた。
そこまでして自分を陥れたいのだとわかったからだ。
乙女ゲームの最大の見せ場とも言える階段からミラージュがディシュを突き落とすイベント。
その時期が近づいてきてミラージュは絶対にディシュにも近づかないようにしていたし、時間がある時は生徒会室にこもり仕事をするようにしていた。
明らかなる自作自演だとわかる事なのだが、何がそこまでディシュを駆り立てているのだろうか。
乙女ゲームの中のヒロインは、自分が貴族の仲間入りをしたことに戸惑いを隠すことが出来ず、接する男子と交流を重ねていくうちに、貴族としての責務や自信を持つというストーリーだったはずなのに、ディシュにはそのような兆候は見られず、むしろ数少ない男子生徒を集めて逆ハーレムでも作りたそうな雰囲気を持っている。
この国において、貴族の男が少ない事から、貴族の女性が不特定多数の男性と体の関係を持つ事は珍しい事ではないし、それは男性にも言えることなのだが、ディシュはまるで自分だけの逆ハーレムを形成しようとしているようにミラージュには見える。
一人の貴族の女性が大勢の貴族の男性を独占する事は、この国においては王族であっても許されることではない。
それは、この国の貴族の血を絶やすことになる可能性があるからだ。
どの男の子供かわからずとも、生まれた子供は確実に母親である女性の子供なのだから、家を継ぐには何の問題もないとされている。
ディシュとて、そういう意味で、貴族の血を絶やさないようにするために女伯爵の伴侶の庶子として貴族の仲間入りをしたはずなのだ。
女伯爵の血は受け継いではいなくとも、貴族の男の血を受け継いでいることは確かだと判明したために、貴族になる事が出来た。
それは、一人でも多くの子供をこの貴族という狭い世界に生み出すためだ。
くりかえすが、複数の男性と関係を持つ事は決してこの国において悪い事ではない、むしろ子供を作るという意味では推奨されている。
しかしながら、自分だけのものに複数の男性を捕らえることは禁止されているのだ。
女王陛下であっても、伴侶は一人、後宮など持ってはいない。
夜会などで一夜限りの関係を持つ事はあっても、それを独占しようとはしないし、伴侶となっている者が他の女性と関係を持つ事も黙認している。
ミラージュが婚約者と婚姻してもそのようになるだろうとは思っている。
貴族の女にとって、重要なのは跡取りを残す事なのだ。
女社会であるため、もちろん領地経営や国の運営も女の仕事ではあるが、何よりも大切なのは、次代に命を繋げること。
貴族の女として生まれた者には、物心がつく頃からどんなことを差し置いてもその事を言い含められる。
例え伴侶を得ることが出来たとしても、それは自分だけの存在ではなく、他の女性と共有してもおかしくはない財産なのだと、そう教えられるのだ。
生まれた時から貴族の女である者は、その事に疑いを持つ事はない。
どんなに愛し合う男であっても、他の女を抱くことを容認することが当たり前だと思っている。
そこに何のわだかまりも生まれないとは言わないが、そういうものなのだと、そう理解しているのだ。
だが、平民として暮らしてきたディシュは違う。
多くの男にちやほやされることで、自分は特別なのだと思っているようなのだ。