弾く五玉の先に何を見るのか
プロローグ : 珠算名人戦
その日も、雪が降っていた。毎年この季節になると神奈川県の秦野ではしんしんと雪が降り積り、道端を覆っている。寒気に包まれる外とは裏腹に、老舗旅館である「陣屋」は熱気に包まれていた。この日、高橋検一十段、北島道雄名人は日本一の計算力を懸けて戦う。挑戦者である高橋は若干13歳。史上最年少で計算力の最高段位である十段まで上り詰め、来たる今日、史上最年少での名人挑戦という記録を打ち立てた。そんな計算の天才を以ってしても、名人にはなれないというのが下馬評だった。一方、今年四十五になる北島は、現在日本計算界に存在する八大タイトルのうち名人を含む四冠を保持していた。高橋も天才ならば、北島もまた天才。誰もが北島の名人位防衛を信じて疑うことはなかった。計算力を争う八大タイトル戦にはそれぞれ特殊なルールが存在し、極限の状況での計算力が求められる。とりわけ名人戦では計算スピードが求められ、与えられた一時間という制約の中でどれだけの問題を解くことができるのかを競う。計算方法は問われない。暗算であろうが紙に計算を書こうが、早ければ何の問題もない。各々が自分達のスタイルを用いて、計算というフィールドで暴れているのだ。名人である北島は特に電卓を用いた計算に長けていた。長年愛用しているスペイン製の電卓を用いて、四則演算を一瞬で解いていく様はしばしば、異教徒を切り裂く騎士に形容される。




