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Chapter.7

【前回のラストを一部プレイバック】


 突然の依頼とスケジュール管理とで脳内は飽和しそうだけど、やっと掴んだチャンスを逃すなんてことはしたくないから諸々フル回転させてなんとかやり遂げると心に誓う。

 それとは別に、足取りがなんだかフワフワとしているのは否めない。【月に雁】で宿と遭遇した帰りに体験したものと似ているけど、あのときとは状況が違う。だって、チヤのスマホには宿と直接やりとりできる連絡先が登録されている。

(それとこれとは話が別! 仕事! 仕事なんだから、しっかりやる!)

 けれど、ほんの数時間前までは考えてもいなかった現実に、身震いしそうで思わず自分の腕を掴んでいた。

(うわ~! がんばろう!)

 身体の底から湧き出るようなやる気を胸に、画材屋へ立ち寄り新しいスケッチブックとクロッキー帳、原稿用紙を買い足した。


* * *

 打ち合わせから数日後、チヤは宿ヤドリに呼び出されて【月に雁】へ来ていた。

 待ち合わせなのだから同じテーブルに座ってもよさそうだが、雁ヶ谷(カリガヤ)曰く“ちょっと特別”な予約席に、宿の許可なく座るのは気が引ける。

 いつもの席にいつものように座り、向かいの椅子に置いたバッグからアイデアノート兼スケジュール帳とペンケースを取り出した。スマホと一緒にテーブルの空きスペースに置く。

 注文済みの飲み物が来るのを待つが、当然のごとくソワソワと落ち着かない。

 約束の時間まではあと15分。

 いつもより気合いを入れた服装で来ようかとも思ったが、普段着を覚えている可能性もあるし、そこから何かにじみ出てしまうのも嫌だったので、やめた。メイクに一手間かけたことで自分を納得させる。

 カランコロンカラン♪

 店のドアに取り付けられたカウベルが来客を報せた。コントなどで良く聞く“記号化”した音に合わせて、チヤの心臓がドキリと波打つ。

 少しして、通路の向こうから宿が姿を見せた。軽く腰を上げて頭を下げるチヤに気付くと、笑顔になって歩調を早める。

「すみません、お待たせしました」

 宿は寒さに頬と鼻を赤くしている。

「いえ、全然。私が早く来てしまっただけなので……」

「いえいえ、お待たせしたことにかわりないので」

 宿はバッグを手前の椅子に置き、脱いだコートは背もたれにかけた。

「寒いっすね」

 笑いながら言って、チヤのはす向かいの席に座る。【予約席】のプレートは、テーブルの中央に置かれたまま。

「すっかり冬ですよね」

 なんて言いながら、打ち合わせの時よりラフな姿を逃すまいと、チヤが角膜シャッターを切りまくって脳内に焼き付けていく。

 挨拶が終わったのを見計らったかのように、雁ヶ谷が二人分のカップを乗せたトレイを持ってやってきた。

「失礼します。お待たせいたしました。こちらがミルクティー。こちらがアメリカンです」説明をしながら、各テーブルへソーサーに乗ったカップを置いた。「ごゆっくりどうぞ」一礼をして、パーテーションのすぐ裏に設えられたスイングドアからカウンター内へ戻って行く。

「僕のわがままでご足労をおかけしてすみません」

「いえ、申し出たのはこちらですし、ご希望いただけるのは嬉しいことですので……」

(むしろプライベートな時間をありがとうございます!)

 と五体投地したい気分だが、脳内だけにとどめておく。

「ありがとうございます。……冷めないうちにいただきますか?」

「そうですね」

 何度か息を吹きかけて冷まし、二人そろって口を付ける。温まり切っていない指先にカップの熱さが沁みる。

 あー、うま。と宿が呟く。それがとても自然で、普通で。

 いままで遠くに感じていた宿が、急に身近に思えた。

 同時に、急速に現実味を覚えて、チヤは密かに慌てる。目の前に宿がいる、という事実に、緊張感が気付いてしまう。指が上手く動かなくなるのは、いまはちょっと、遠慮したい。

 ふぅ、と少し甘くなった息を吐いて、気持ちを落ち着かせる。

「ノート、お預かりしていいですか?」

 宿も一息ついたのを見計らって、チヤが申し出た。

「あ、そうだった」と宿がバッグの中から文具店の袋を取り出し、証書を渡すかのように両手で持って「お願いします」チヤに差し出した。

「かしこまりました」

 やけに神妙な宿に倣って丁寧に受け取った袋からノートを取り出し、テーブルが濡れていないことを確認してから、袋を敷いてノートを置く。ペンケースからサインペンを取り出すチヤを、宿が目を丸くしながら見つめているのに気付き、

「…今日、このまま少しお時間大丈夫…でしたか?」

 確認を怠っていたことを思い出して、チヤがおずおずと切り出す。

「はい。時間は大丈夫ですけど、この場で? と思ってビックリして……」

「あ、そうですよね。説明不足ですみません。10分程度いただいて、この場で描かせていただきます」

 たまに、絵を描く習慣がない人に驚かれることなので、説明も慣れたものだ。

「えっ、すごい。隣で見ててもいいですか?」

「えぇっ。それは……いいですけど……」

「やっぱり気になります?」

「緊張はしますね……」

「無理にとは言いませんが」

「見えにくいかもしれませんが、それでもよろしければ」

「やった。じゃあ、お言葉に甘えて」

 宿がニカッと笑って、席を移動した。

(あぁ~! かわいい~!)小さなチヤが脳内でもんどりうつ。

「私のノートと同じ絵柄でよろしいですか? 他の鳥も描けますけど」

「シガラキさんのと同じでお願いします」

「かしこまりました。では……」

 サインペンの蓋を開け、チヤがノートに線を描き始めた。


* * *

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