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Chapter.3

【前回のラストを一部プレイバック】


「じゃあ、来るときはまた早めにお邪魔します」

「はーい、ごめんね、よろしく」

 “ちょっと特別”な席の予約主が誰なのか。気にも留めないチヤは会計を済ませて店をあとにした。

 それから早数か月。やはり奥の席はいつも使えるし、隣の【予約席】に誰かが座ることはなかった。


* * *

 今日もアイデアを出しに【月に雁】へ入店したチヤを「チヤちゃん」雁ヶ谷が呼び止めた。

「はい。こんにちは」

 挨拶をするや手招きをされたチヤがカウンターに近寄ると

「こんにちは。今日は来てるよ、予約席のキミ」

 小声で言って、店の奥を指さした。

「あら。じゃあいつもの席、行かないほうがいいですか?」

「いや、新しくできた常連さんが隣に来るかもって伝えて、了承得てるから大丈夫」

「やった。ありがとうございます」

「いえいえ。今日のご注文は?」

「ミルクティーのあったかいのを」

「かしこまりました」

「お願いします」

 チヤは期待と不安を入り混じらせながら席に向かう。

 いつも座るのは店の奥に続く通路の直線上、壁際の席だ。くだんの【予約席】は逆サイドの壁に設えられた大きな水槽側。カウンターへの出入り口と座席の間に置かれたパーテーションが目隠ししていて、席に着くまでは誰かいるのかすらわからない。

(教えてもらってなかったら、きっと驚いてたな)

 雁ヶ谷の心遣いに感謝しつつ、さして広い空間でないのを識っているので、先にリュックをおろし、脱いだコートと一緒に抱えた。

「しつれいしまーす」

 小声で言って手前の席に荷物を置き、壁に背を向ける方向に着席した。チヤの声が聞こえたのか“【予約席】のキミ”は会釈を返す。

 気配を感じて会釈をし返し、斜向かいの席に座る“【予約席】のキミ”の顔を見て、チヤの脳内には“!”がひしめいた。

(しっしし、新成先生じゃない?!)

 咄嗟に冷静を装い、いつものようにバッグからスケッチブックとペンケース、スマホを取り出しながらチラ見して確認するが、間違いない。チヤが焦がれて、尊敬している小説家、新成シンナリ 宿ヤドリ、その人だ。

 頭の中で小さな自分が(えー! うそー! やだー! 信じらんなーい!)とドタバタ走り回っている。

(えー! えー! でも絶対に声はかけない!)

 それはテレビで“新成先生”を見て最初に誓った、自分との約束事。

 “ファン”と名乗ったら、その関係はきっとそこで止まってしまう。

 人に話すと“現実見なよ”と言われがちだが、チヤは宿の“ファン”にとどまりたくなかった。

 ここでキッカケを作らなければ、それきりの関係かもしれない。けれど【予約席】の依頼主ならば、この先も来店する可能性はある。たまに来たとき近くの席に座る人、という認識でも、ないよりはマシか、と忙しなく一瞬で考える。

(とりあえず、いつも通り……)

 “モチーフを探す”という目的があるとはいえ、隣のテーブルをジロジロ見るわけにもいかず、壁や着席している椅子の周辺やテーブルの上を見る。

(とはいえ、さすがに何度も描いちゃったんだよなー)

 家具類もアンティークで素敵だが、向かいの椅子には自分の荷物が置かれていて細部を見ることができない。しかも集中できそうにない……とモチーフを決めかねてスケッチブックの代わりにアイデア兼スケジュールノートを開くと、

「お待たせしました、ミルクティーです」

 雁ヶ谷がチヤのテーブルにティーセットを置いた。

「ありがとうございます」

「あれ、もしかしてモチーフになるものなかった?」

 いつもならスケッチブックにペンを走らせている頃。雁ヶ谷はそれを覚えていて、声をかけた。

「うーん。このあたりの物、あらかた描かせてもらっちゃったんで……」

「食器、なんか持ってこようか?」

「え、嬉しいです。お願いしたいです」

「じゃあとっておきの持ってくるから、描けたら見せてね」

「はい、是非」

 オッケーと雁ヶ谷が返答して、隣のテーブルへ向き直る。

「コーヒーおかわりいかがですか?」

「あ、じゃあ、お願いします」

 新成の甘い低音ボイスに、チヤの胸がキューンと締め付けられる。

(ああぁ…肉声も素敵ぃ……)

 これまでに刊行記念のサイン会などが開催されていたが、チヤはそれらに参加したことがない。理由はもちろん、ファンとして接したくないから。

 自分でも自意識過剰なのでは? と思わなくはないが、願掛けのような意味合いもあって貫き通している。

 宿はテーブルの上にタブレット型PCを置いて作業中だ。

 カタカタと控えめに鳴るキーボードの音は、変則的だが心地よい。そのリズムが新しい作品を生み出しているのだろう、と思うと、チヤの胸は一杯になる。

 冷めない内に、と運ばれてきたミルクティーに口を付ける。チヤの口の中に広がるほの甘さは、心のどこかにもじんわりと浸透するよう。

(あー、すごい贅沢……)

 目を細め、ミルクティーを味わいながら宿の奏でる音に耳を傾けていると、

「お待たせしました~。コーヒーおかわりお注ぎします」

 雁ヶ谷が小さなワゴンをカラカラと押しながらやってきた。

「ありがとうございます」

 宿の返答から少し遅れて、コポコポと小さい音を立てカップにコーヒーが波打つ。

 ごゆっくりどうぞ、とゆっくり振り向き、

「チヤちゃんは、これね」

 雁ヶ谷曰く“とっておき”の食器は確かにとっておきな有名高級メーカーのティーポットとシュガーポット、クリーマーのセットで、雁ヶ谷はそれらを愛おしそうにそっとテーブルの中央に置いた。白い陶磁器にピンクの花が焼き付けられていて、工芸品としても充分に見ごたえがある。

「わっ、可愛い」

「これからも言ってくれれば、コレクションから出すよ」

「えっ、いいんですか。壊しちゃったら怖いんですけど」

「そんな粗雑な扱いするような人じゃないでしょ。安心できなきゃ貸さないし」

「うわー。ありがとうございます」

 雁ヶ谷の趣味は食器のコレクションで、カウンターの後ろには飾り棚が備え付けられている。そこそこの地震でも倒れないどころか中身が動かないような特注品らしい。いまチヤの目の前に置かれているのはそのうちの一組だ。

「描きやすいように触って動かしていいからね。描き終わったら呼んでね」

 雁ヶ谷は言って、ワゴンの押し手に手を戻した。

「はい」

「で、描けたら見せてね」

「はい、必ず」

 雁ヶ谷がカウンターに戻ると同時に、チヤは食器の位置を考える。

 写真などと一緒で、構図によって出来上がりに差が出てくるし、描き始めてからだと移動ができないので、そっと動かし微調整しながらじっくり、慎重に決めていく。

 簡素に描けるスケッチではもったいない、詳細に描くデッサンにしようと決めて、スケッチブックの新しいページを開き、色鉛筆の束を傍らに置いた。

 まずは物体を捉えるために輪郭を描いていく。大体の輪郭を描き終えたら、次に彩色。実際には見えていないような色を混ぜると質感がリアルに仕上がるから、と、傍から見ていたら予想外のような色も選ぶ。

 何度も色鉛筆を持ち替え、モチーフと紙を見比べながら塗り重ねていく。色を乗せていると、なにか脳内物質が分泌されているのではないかという快感が芽生えてきて、つい時間を忘れてしまう。それが心地良くて絵を描いているのではないかと思うほどだ。

段々と紙の中にティーカップのセットが現れてくる。影や光を入れて微調整をして、

(……よし)

 一時間ほどで一枚の絵を完成させた。

 集中していたので一瞬忘れていたが、斜向かいの席に座る宿はまだ退店していない。

 顔を上げたときチヤの目に入った宿は、パソコンから体を離して小休止中だった。なにか考え事をしているのか、中空に視線を止めている。

 ほころびそうになる表情を意図的に引き締めたチヤは、なにか追加の注文をしようとメニューに手を伸ばす。ちょうど窓際のテーブルを片付け、カウンターに戻ろうとしていた雁ヶ谷と目が合ったので、小さく挙手して呼び止めた。

「お、描き終わった?」

「おかげさまで。こんな感じです」

 チヤがスケッチブックをかざして、雁ヶ谷に見せる。

「おぉー、さすがだね。貸す甲斐あるわ~」

「それはなによりです」

「じゃあこれ、あとで回収しちゃうね?」

「はい。ありがとうございました。あ、あと、追加オーダーいいですか?」

「もちろん。なにになさいますか?」

「ケーキセットで、レアチーズケーキと、紅茶をお願いします」

「はーい。ケーキセットのレアチーズと紅茶で」

「マスター、俺もいいですか」

 雁ヶ谷の背後から宿が声をかける。

「うん、もちろん」

「ホットのカフェオレで」

「はーい、カフェオレホット。かしこまりました」

 オーダーを取り終えた雁ヶ谷はカウンターへ入っていった。ほどなくしてオーダー品をワゴンに乗せて運んできた雁ヶ谷は、その帰りにティーセットを回収して行った。

静かな空間に薄く流れるBGMと作業を再開した宿のキーボードを叩く音が心地よく混じり合っている。

(ずっとこうしてたいなー)

 静かにノート類を片付けながら、宿の作業音に耳を傾けるチヤの願いは残念ながら叶わず、入店してから二時間ほどが経った頃、カフェオレを飲み終わった宿は退店した。宿が席を立つとき、自分宛にした会釈を一生忘れないと誓いつつ、うしろ姿を見送る。

(あぁ! 幸せだった……!)

 頭の中で至福の時間を噛み締める。と同時に急に肩から力が抜けた。思いのほか緊張していたらしい。

 さきほどまで宿がいた空間は、チヤの目にはほんのり光って見える。

 直接会話をしたわけではないけど、同じ時間を共有したという満足感が残った。もし軽率に声をかけていたら至福の時間が目減りしていたかも、と思うと、次のチャンスに繋げる決意をした自分を褒め称えたい。

 ほどなくして、宿が使っていた食器を片付けに雁ヶ谷が姿を見せる。

「ここ座ってた人、また来るかもって言ってたから、こっちの席使われてたらよろしくね」

「はい」

 会話の内容からはどの程度の親密度か窺えなかったが、雁ヶ谷は宿が有名作家ということを知っているのだろうか。チヤはふと疑問に思う。

「……いいんでしょうか。いらしてる時も、ここ座っちゃって」

「予約してるのこっちだけだから、別にいいよ。チヤちゃんだし、別に騒がしくするわけじゃないしさ」

「それは、そうですね」

「うん。それに、長時間利用してくれるときは追加注文してくれるし」

「あー、まぁ。単純にここのごはんとかお茶が美味しいからなんですけどね」

「そりゃあありがとう。これからもコレクション(食器類)、言ってくれればある程度貸し出すからね」

「やった。嬉しいです」

「店に飾る絵、今度正式に依頼しようかな」

「それも嬉しいですけど、もっと有名な方々のを飾っていただいたほうがいいですよ」

「欲ないねぇ」

「……そうでもないですよ?」

「ふぅん」

 雁ヶ谷は何か言いたげにニヤリと笑って「ごゆっくりどうぞ~」とカウンターへ戻っていった。

 特に宿の小説を読んでいる姿を目撃されたことも、宿のことを話題にしたこともなかったけれど、チヤが思わず(なにか勘付いたのかな?)と邪推してしまうようなニヤリ顔だった。


* * *

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