Chapter.26
【前回のラストを一部プレイバック】
「旅行、楽しかったですか?」
「そりゃーもう、充実してましたよ。……聞く?」
話したくてウズウズしている様子で、やどりが首をかしげた。
「はい、ぜひ」
茅埜も聞きたくて、満面の笑みのままうなずいた。
* * *
俺は焦っていた。
ホームに降り立ったと同時に、少し足早に歩を進める。電車が遅延して、待ち合わせの時間に遅れそうだからだ。
遅れるのがわかった時点で連絡は入れているから、向こうもそのつもりで待っているはず。怒るようなやつじゃないけど、待たせるのは性分に合わない。
長いエスカレーターをクールダウンに利用しつつ、延々続くんじゃないかと思わせるターミナルを進んでいく。
(あ、いた)
「ごめん、待った?」
「おう、大丈夫。俺もさっき来たとこ」
羽田空港で紫檀と落ち合った俺は、挨拶もそこそこに自動チェックイン機へ向かう。
「オレよりやどりのほうが色々調べるの上手かと思って、あんまり下調べしてこなかったけど、良かった?」
「それはお察しの通り大丈夫だけど、職務怠慢すぎやしませんか」
今回の旅行は取材旅行――要するに“仕事”なんだけど、と暗にほのめかすが、紫檀はどこ吹く風。単なる“親友”として会話を進める。
「だーいじょうぶ。その代わり、評判の食事処めっちゃ調べてきた」
「なにそれ、サイコウじゃん」
まぁ別にどっちでもいいや、と親友同士の会話をしながら搭乗に必要な手続きを済ませていく。何も言わずとも同じような行動ができるのは、幼馴染の特権だろうか――。
紫檀は中学時代からの幼馴染で、今度出す本の担当編集者でもある。取材旅行とはいえ、気心知れた親友との単なる観光旅行という意識がどこかにあるのは否めない。
(まぁきちんと仕事はやるんですけど)
言い訳みたいに考えて、隣を歩く紫檀に歩調を合わせる。
「まだもうちょっと時間あるね。メシ食った?」
紫檀が腕時計を確認して問いかけてきた。
「いや、まだ」
「時間半端だもんねー。これから乗って、向こう着くの何時くらいかな」
発着ロビーのソファに座りながら紫檀はスマホを操作している。
「確かフライトは一時間半くらい」
「じゃあ19時くらいには着くかー」
「で、広島空港から市内までは、ストレートに行けたとして45分くらいだったかな」
「うわー、マジか。それまで持つかなぁ」
紫檀は自分の腹をさすって再度腕時計を見た。(手にスマホ持ってんじゃん)と心の中でツッコミつつ、
「別に、ここか向こうの空港で食ってもいいよ」
打診してみる。
「んー、どうしよっかな。いまはまだ平気だし、どうせなら向こうで名物食べたいな~」
「そうね。まぁ、三泊四日あるんだから、初日くらいご当地ものじゃなくてもいいんじゃない?」
笑いながら言った俺の言葉を特に気にするでなく
「うーん。いや、やっぱ我慢する。向こう着いてから決めよー」
いじっていたスマホをジャケットのポケットへ入れた。
紫檀とはいつもこんな感じで、公私は分けてるつもりだけど、どこかで砕けるのは否めない。それが心地良い関係だからいいんだけど。
スマホと入れ替わりに、紫檀はバッグの中から一眼レフのデジタルカメラを取り出して、念のため、と空港内を撮り始めた。
「羽田なら、来ようと思えば来れるからいいよ?」
「でもこっち側は飛行機乗らないと入れないでしょ?」
「まぁそうだけど」
「あと、個人的な思い出とか仕事の都合とかもあるわけ」
「そうですか」
おそらく買ったばかりのデジカメを抱えて、紫檀は嬉しそうに窓の外を撮影している。
(あぁ、新しく買ったカメラが使いたいんですね)
紫檀の考えに気付いて、俺はそれ以上なにか言うのをやめた。紫檀はなおも嬉しそうに、窓の外やロビー内を、ご丁寧に人があまり映り込まないように撮影していく。それに触発されて、俺も一枚、と窓の外にスマホのレンズを向け、シャッターを押した。
パシャリと電子音がして、風景が画像として保存される。
(信楽さんに……いや、別にこれは写真でもいいな)
あくまで個人的な感想だけど、彼女の絵は機械よりも現実風景や心象風景、人や動物という意味での生き物のような、どこかに柔らかさがあるものをモチーフにしたほうが魅力的だ。
【月に雁】で描いている食器や調度品の絵も素晴らしく上手ではあるが、それらは写実的というか、少し無機質で、彼女の持つ温かみがあまり出ない。
もしポートフォリオに収録された絵がそれらのものだったら、俺は彼女の絵を選んでなかったように思う。
(じゃあここのロビーには特に描いてほしいものないじゃん)
そう思って、もし資料が必要になったらあちこち撮影している紫檀のデータをもらおう、とスマホを上着のポケットに滑り込ませた。
「ねー、見て見てやどり! オレ、プロっぽくない?!」
ソファに戻ってきた紫檀が興奮気味にデジカメの画像を見せてくる。
「あー、そうね、上手なんじゃない?」
「なにそれ、もうちょっと褒めてくれても良くない?」
「なんなのお前、彼女なの?」
「それを言うなら彼氏でしょ」
「性別を正確にするとかじゃなくてさ」
「いーじゃん、見てよほら!」
ロビー内で撮影した数枚の写真を隣に座った紫檀が見せてくる。まぁ確かに、構図やモチーフには気を配っているようだった。
「うん、上手ね」
「でしょ?!」
ぞんざいに褒めたつもりだったが、それでも紫檀は満足したようで満面の笑みを浮かべた。
そうこうしている内に搭乗開始時間が来て指定された窓際の席に座る。注意事項の動画が流れたと思ったら滑走路を走り出し、あっという間に空の上へ。ほどなくして一部電子機器の使用許可がアナウンスされた。
椅子の下に入れたバッグからスマホを取り出し、電源を入れる。機内Wi-Fiに接続して、仕事の連絡が来ていないかを確認したりする。
(信楽さんからは特に来てないか)
なにもなくても連絡ください、と言ってからも、彼女からの連絡頻度は変わらない。
それはそれで仕方ないんだけど、何故かどこかで期待というか、連絡が来ることを願っているようだ。
自分の気持ちに気付いてはいるんだけど、はっきりと認識はしたくない、というのが本音だ。彼女に挿絵を描いてもらうシリーズ小説はまだ何冊か刊行を予定しているし、彼女以外に挿絵を描いてもらう気持ちは、いまのところない。もし彼女と気まずくなったり疎遠になれば、仕事だし大丈夫だろうけれど、挿絵はなしで進めなくてはいけない可能性がある。
(それはちょっとリスキー……)
彼女を大切にしたい気持ちと、仕事に対するそれが絡まって、前へ進む道を阻んでいる。もし私生活でうまくいったとしても、それが理由で採用したのではないか、と勘繰られるのも煩わしい。
(んー、八方ふさがり)
ふと窓の外を覗き見ると、そこには赤紫色に染まった一面の雲が広がっている。時間は夕刻。夕焼けの日差しが雲を染めていた。
(おー、すげぇな)
彼女のフィルターを通すとこの光景がどう見えるのか気になった。窓の外へスマホのレンズを向けて、なるべく雲が多く画角に入るようにして写真を撮った。
「あ、そうだ。向こう着いたらなんだけどさ」
メッセアプリを立ち上げようとしたら、紫檀が手帳を見ながら話しかけてきた。
「うん」
ホームボタンを押し、スマホをポケットに入れて紫檀のほうを向く。
「あ、ごめん。良かった?」
「うん、いいよ」
仕事なわけでもないし、そこまで急ぐようなこともない。
紫檀の呼びかけは、前もって連絡が来ていたスケジュールの確認と、新作とは別に執筆している連載の件など。話している内に着陸の時間もせまってきた。
「じゃあ、そういう感じで」
「はーい」
脇息に肘をつき頬杖をつく。窓の外には、広島の夜景が広がっている。電子機器類の電源を切らなければいけないギリギリで二枚目の写真を撮って、電源を切った。
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