Chapter.18
【前回のラストを一部プレイバック】
(がんばったら、なにかいいことあるかな)
ぼんやりと思って、ペンを走らせる。その画面には、頬杖をついて笑うやどりの顔が描きだされていた。
(…好き…なんだよね……)
もう何年も想い続けてきたその気持ちを、今更曲げることはできない。知れば知るほど、やどりに惹かれていくのだから。
(少しずつ、近付いていけたらそれでいいや……)
やどりの絵を描き終えて、茅埜はパソコンの電源を落とした。
* * *
ある日の昼過ぎ、茅埜は遅い起床を迎えた。
(あぁー、良く寝た)
カーテンと窓を開けて室内を換気しつつ伸びをする。
(さて、お仕事しよ)
カットの仕事を終わらせるためにパソコンの電源を入れた。
茅埜が挿絵を描いた宿の小説が発売されてから一週間が経ち、茅埜の挿絵の評判も上々といったところ。
しかしやはり、反対意見もあるもので……うっかりネットで【新成先生の小説に挿絵なんかいらない】【新成先生の文章に絵での説明は不要】なんて感想を見てしまった。
好印象な意見もたくさん読んだのに、やはりマイナスな言葉はより突き刺さる。
(うーん。寝ても忘れられなかった……)
ソフトを立ち上げて下絵のデータを開き、ペンタブで主線を入れていく。左手をキーボードに押せてアンドゥしながら描き進めていくが、いまいち気に入る線が描けない。
(腕とか道具の問題じゃなくて、メンタルだな……)
力を入れて挑んだ仕事ほど、酷評されるとメンタルがやられる。
これまでもちょこちょこ見かけてはいたが、挿絵の仕事ほど大きなものを手掛けたのは勤め人として働いていた頃以来で、批判への耐性が落ちていたみたいだ。
はぁ…と吐いたため息とともに、ぐぅ、とお腹が鳴る。どんなに落ち込んでいてもお腹は減るもので。
重い腰を上げて冷蔵庫を見るが、あいにく買い置きの食料がなにもない。
(うー、買い物いくかぁ~)
しぶしぶ身支度をして、外に出る。ついでだし、と散歩がてら【月に雁】でブランチをとることにした。その帰りにスーパーへ寄って、食料品を買い出す算段。
(新成さんいるかなぁ)
いたら会えるだけで元気になれるから、できれば会いたいな、なんて考えつつ店へ向かうと、
「あ」
聞き覚えのある声が聞こえた。
「あっ」
店に入る前にやどりとバッタリ出会う。なんて僥倖。
「こんにちは」
やどりが笑顔で茅埜に挨拶した。予想外の遭遇に茅埜は少し泣きそうになってしまった。心のダメージは自分が思っているより深いようだった。
「こんにちは」
笑顔を作って茅埜も挨拶をする。
「入るよね?」
「はい」
「先どうぞ」
やどりはドアを押さえて茅埜を店内へ誘導した。
「ありがとうございます」
礼を言って出入口をくぐると、「いらっしゃいませー」雁ヶ谷の軽快な挨拶が飛んできた。
「こんにちは」
「どうも」
茅埜とやどりが口々に言う。
「おや珍しい」
「そこでバッタリ会って」
やどりが簡単に説明すると
「へぇ、そりゃ運命的だね」雁ヶ谷が笑いながら言って、「ご注文は?」矢継ぎ早に続ける。どうやら言い訳は受け付けない様子。
「なににしようかな。信楽さん、決まってたら先どうぞ」
「え……っと……」
言われた茅埜もメニューを見て悩んでしまう。
「先に席行く? あとからお伺いに行きますよ?」
「じゃあそうしようかな。どうします? 今日も奥行きます? 俺と一緒になっちゃうけど」
やどりが悩み続ける茅埜に声をかけた。
「あっ、はい。そうします」
「じゃあ雁ヶ谷さん、あとで声かけます」
「はーい。ごゆっくりどうぞ~」
雁ヶ谷に見送られ先を行くやどりに着いて、茅埜も歩を進める。
「先に入ってもらったほうがいいかも」
「そうですね、そうします」
狭い通路でやどりが壁に張り付いて茅埜を先導した。リュックを椅子に置いて奥の席へ座ると、やどりもいつものパーテーション前の席に着く。
二人でテーブル上に置かれたメニューを眺めながら、しかし茅埜はどこか上の空で。それに気付いているやどりも口数が少ない。
茅埜の頭の中で、色々な言葉がグルグルと回る。
いまなら聞けるんじゃないか。茅埜は思う。
それは、ネットで批判を読んだときに浮かんだ疑問。
“本当に、私で良かったですか?”
きっと、誰が挿絵を担当していても同様の書き込みはあっただろうし、茅埜だってそれをわかっている。対象者がどうこうというより、事象に対しての不満があるから書き込んでいるのだと。
だけど。もっと、実力のあるイラストレーターが描いていたら、違っていたかもしれない。だから。
ポートフォリオを見て決めてくれたのなら、と思っているのに、どこかでそれを否定してしまう。
メニューを眺めるだけでオーダーは決まらない。なんと切り出そうか茅埜が悩んでいると、
「あ、そうそう」宿が思い出したように口を開く。「今度、岳元経由で正式に依頼しますが、次の本も挿絵、お願いできますでしょうか」
「えっ、はい、ぜひ」
茅埜がメニューから顔を上げて、慌てて返答する。
「今月中には尾関さんから話が行くように進めますんで」
「はい」
不安そうだった茅埜の顔がまた少し曇るのを見て、やどりが再度口を開いた。
「……なんかあった? 仕事詰まってるなら待つけど」
「あっ、いえ、違うんです。あの……私でいいのかなって」
ハッキリと言えない茅埜の二の句を待つやどりは、メニューを置いて話を聞く体制を取る。それを察知した茅埜も、「その……」意を決して言葉をつむいだ。
「挿絵はいらなかったんじゃないか、って…書かれているのを、ネットで見てしまって……」
自分の言葉が自分に突き刺さる。想像していた以上に堪えていたようで、説明するのも胸が痛い。
「あぁ……。まぁ良くあるし、気にするなって言っても気にする性格だろうけど」と前置きしてから「小説を書いた本人……要は俺が、“シガラキさんに”ってお願いしてるんだから、それ以上の肯定、ないんじゃない?」やどりが言った。
「……はい」
パッと、視界が開けた気がした。
「それに、好きだし」
伏し目がちなやどりが言って、
「信楽さん、の、作品」
たどたどしく続けた。
「…私もです。新成さんの小説、とても素晴らしい作品だと思います」
「……ありがとう」
「こちらこそ……」
照れくさいような気まずいようなその雰囲気は、決して居心地が悪いわけではなく、くすぐったくて心地よい。
ハッキリと言えばいい。お互いにそう思っている。
それができないのは、いまの関係が壊れてしまうのが怖いから。
きっと同じ気持ちを抱いていると感じるけど、前に進むのが、少し、怖い。
やどりには、茅埜とは別の怖さもある。
かつての伴侶と辛い別れがあったことを、どうしても思い出してしまう。
もしまた、同じように別れる時が来てしまったら――。
そう思うと、肝心な一歩を踏み出す勇気が出ない。
茅埜には言えるタイミングがなくて言っていない。いや、タイミングは計ればいくらでも作れるのに、どこかでその機会を避けている。
いつかは言わなければ、と思っているけど、その“いつか”をいつにするかは決めていない。
「注文! しましょうか」
ぴょこんと跳ねるように背筋を伸ばしてやどりが言った。また逃げた。そんな風に思いながら。
「そうですね」
傍らに置いていたメニューを再度取って、ようやっと雁ヶ谷を呼んだ。
曇っていた茅埜の顔は、思考と共に晴れていた。
* * *
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