4話 「上層」
チコのバッグの中からトランシーバーが鳴っていた。
すぐに取り出しアンテナを引っ張り上げて応答を開始した。
「はい。チコです」
予想はできていたが相手はベールからだった。
心配そうな口調ではあったがチコの安否を確認出来て安心したようだ。
地下にいたせいで通信が出来なかったのもあり、ようやく通信が繋がったのだ。
どうやらベールがレイチェルに異常事態を伝達していたようだ。
時間を尋ねたところ、どうやら宿の部屋から出てもう3時間は経過していた。
つまり、その程度の距離しか移動していないということにもなる。
場所についても街の人達はここの存在を知っていたようだ。
時々モンスター達が暴れに来ることもあり、その都度兵士達が追っ払っていたという。
救援も要請しているとの事でこのまま牢屋に居てもなんとかなりそうだったが、
先ほどのゴブリンの一件を聞いた以上はじっとしているわけにはいかない気もした。
ベールにこれまで得たすべての情報を伝えた。
やはり彼の存在に気付いていたようだ。時々視線を感じていたと。
リベラという女の事も伝えた後、もう少し調べてみると言ってベールとの通話は終了した。
トランシーバーをバッグにしまい、再び要塞を調べることにした。
無駄な戦闘は避けたい。チコは上層を目指し、階段を探し始めた。
「奴が脱走したそうじゃな?」
女の声が誰かに向けてそう言った。
「そのようですね。全く…オーク達に任せるべきではなかったんですよ」
紳士面な男が手下の失態に苦言を呈していた。
「そうですわ。せっかく休めると思ったのに」
壁に寄りかかり、メイクをしながら女は愚痴を零した。
豪華な椅子に腰かける黒髪の女はそんな二人に対して喝を入れる。
「戯けが!そういうならさっさと奴を始末してくるんじゃ」
「分かりましたよ~、さっさと済ませましょ?ジャック」
「そうだね、メリダ」
ため息交じりに女は呆れ顔をする紳士面な男と一緒にその部屋から出て行った。
軋む音を立てた後、響くような音と共に扉は閉まった。
杖を抱え、椅子にもたれつくように腰を深くして座った。
そして彼女もため息をついた。
「…ついにこの時が来たのじゃな」
その頃。
西南支部の死神役所では、レイチェルが急ぎでシエラに異常事態に関する伝言をしに会長室へ来賓していた。
「なんじゃと!?チコがさらわれたじゃと?」
「はい。遅くまで戻らないと不審に思ったベール様がその街を探していたところ、
チコ様のカバンにつけていた飾り物が落ちていたと」
「確か、あの街の近くには大きい要塞があったはずじゃ…モンスターの襲撃に巻き込まれたか」
「いえ、どうやらさらわれたのはチコ様だけのようなんです。
街が荒らされたりしている様子はないそうです」
ますます不思議な状況だ。死神だから襲ったわけでも無さそうだ。
何か敵側の狙いがあっての事か。現状、謎が多すぎる。
シエラは引き出しからブレスレットを取り出した。
「会長様?」
「わらわも向かおう。チコを失うのは惜しいのじゃ、ましてや――」
「……わかりました。会長の依頼に関してはこちらで代わりの死神を手配しておきます」
「すまぬ…レイチェル。これだけは護らなければならぬ」
少ししてチコはようやく階段を見つける。
こんなに広い要塞で階段が一つしかないというのはどういう神経しているのか。
怒りが都度都度増していく中、2体のオークに死銃で奇襲をしかけ、鎌を強打させて気絶に追い込んだ。
すぐに応援が来る前に階段を駆け上がり、近くの部屋に身を潜めた。
薄暗い部屋に入り込んだチコはバッグから蛍光ライトを取り出して辺りを見渡した。
誰かの部屋だろうか。多少飾り付けが備わっていた。
奥の方に木製の机があり、その上に日記のようなものが置いてあった。
チコはその日記を手に取って中を見た。
解読できる文字ではないだろうと思っていたがなんとその日記は自分で解読できる文字だった。
【ここで俺は何をしに来ているのだろうか。気づけばここに居て、あの女の指示に従う日々を過ごしている。
一体俺は何者なのか。一応化け物達のリーダーとしているが正直言うと実感が湧かない。
それに刃向かえば、あの女に殺されるだろうしな…俺はこのまま死ぬまでこうするしかないのだろうか】
「化け物達のリーダー…あの狼男のことかしら」
そういえば問い詰めたゴブリンからも兵士たちの指揮をしていると言っていた。
そうなのであれば狼男も被害者なのだろうか?あの女とはおそらく主であるリベラの事だろう。
とりあえずこの日記は回収することにした。問い詰める際に使えるはずだ。
探索を続行するチコに今度は死神用の携帯が鳴った。シエラ会長からだ。
直ちに電話に出るとシエラは彼女の安否を確認した。
「まだ大丈夫そうじゃな?」
「なんとかですが…心配をおかけして申し訳ありません」
「気にするでない。今、そちらの方に援護に向かっておる」
「え、会長直々にですか?!」
あまりに予想外で大きな声を出してしまい、慌てて周囲を警戒した。
「もう、そういう関係でもないほどの縁じゃからな。正直退屈なのじゃ」
「確か依頼を持ってませんでしたっけ…」
「あれは代わりを頼んでおいた。気にするな」
「いや…気にはしますよ…」
思わず突っ込んでしまったがそういう彼女の言い返しがシエラ本人は楽しんでたりもしていた。
要塞の位置は把握しているようで、ベールと合流し、すぐ向かうとのことだ。
シエラから通話を閉じ、チコは携帯をしまった。
レイチェルも大変だなと思った。今回の件も含め、会長の投げやりに付き合わされるのだから。
今はそういう事を言っている場合ではない。すぐに部屋を出てここの主の元へ向かうことにした。
警戒態勢になったせいか現在のフロアの警備も強化されてしまっている。
場合によっては強行突破も辞さない展開もあり得る。
次にチコが入って目に映ったのは何やら得体のしれない液体が入った巨大な瓶が何本か置かれ、
その下にケーブルと機械が沢山置かれた部屋だった。
一見して何かの研究室のような感じだ。悪臭といった感じは一切なく、
そこにもオークやゴブリンが異常事態にも関わらず何かを作り上げていた。
その材料にチコは目を疑った。
「嘘でしょ…」
なんとベルトコンベアに流れていたのは人間の死体だったのだ。
死んで間もないのか未だ腐った形跡のない者もいれば数年経ったミイラに近い者もあった。
得体のしれない液体の中に死体を漬け込んで、おそらく時間を置くのだろう。
一体何をするつもりなんだ。見れば見るほど具合が悪くなってきた。
そんな中でも身を潜めて、チコは何か資料を手に取った。
都合よくそれは研究室にある機械の概要書だった。
どうやら液体に漬け込んで数日放置すると亜人に整形されるというのだ。
「あ、亜人として生まれ変わるっていうの…?」
チコは思わずそう呟いた。考えてみれば狼男に捕まった時、男は二足歩行だった。
ましてや手も人間のように指があった。
オークやゴブリンと比較すればどことなく人間に近かった。
「まさか…!」
あの狼男もこの液体に漬け込まれて生まれたのでは?
チコはそう勘ぐった。そうであるなら男も完璧な被害者だ。
すぐに亜人を解く方法を探し出すが決定的な文言を見つけてしまった。
「…亜人になった以上、解く手段は一切ない…」
つまり、元に戻せないということだ。
諦めずほかのページをくまなく探すも救済処置の救の字すらなかった。
仕方なく概要書を証拠として回収しようとした時、背後の扉の方から足音が聞こえた。
(ガチャッ…ギィィ…)
オーク達がここに来たと察知したのだろうか、部屋に入るや否や左右を見まわした。
目標の人物が居ないと思い、オーク達は部屋を後にした。
ドアの真上に鎌でぶら下がっていることも知らずに。
「危なかった…」
鎌を消し、さっと着地したチコは亜人を解く方法を諦めざるを得なかった。
何か方法があれば無理やりでも解除させてあげようと思ってはいたのだが。
部屋を後にしたチコは今度、階段を見つけることにした。
おそらくこの階層で調べられる部屋はない。
階段を探す中、ついにチコは巡回のオーク達に見つかってしまった。
大声を発しながら敵はチコの後をひたすら追いかける。
このままじゃまずい。ひとまず階段の鎧オーク二人を魔術を使って撃退することに。
「ウォーター…」
右手を地面につけると地面から二つの水の玉が湧き出てきた。
チコはそのまま右手で体を回転させ、鎌で水の玉を鎧オーク達に向けて撃ち出した。
「アドロプション!」
水は見事に二人のオーク達の体に当たり、弾くことなく球体はオーク達の身体を包み込んだ。
そのまま横を素通りして階段を駆け上がった。
先ほどまでとは違い通路がなく、そのまま大きな扉があった。
後には退けない以上は入るしかない。チコは部屋に入って扉の鍵を下した。
なんとか撒けたと思い、前方へ振り返るとそこには狼男が立っていた。
彼はもはや獲物をこれから狩らんとばかりの目つきだった。だがその目つきにチコは何か既視感を持った。
何故だろう。
「あなたはフライヤさ…うぐっ!!」
突如、チコの頭に激痛が走った。思わず鎌を落としてしまうほどの痛みに声を漏らす。
「あぁッ!…ぐッ!!」
それでもなお、男の攻撃を回避しようと奴の顔を見る。
無慈悲にも狼男はチコに襲い掛かってきた。
なんとか回避するも鎌を召喚する程の心の余裕が無かった。
死銃もろくに構えることもできない。
攻撃手段がないことをいいことに男は攻撃を続ける。
(間に合わないっ!)
必死の回避も限界だった。攻撃がかすった後、男の爪がチコの右肩を切り付ける。
そのあと、背中を蹴られ壁に激突した。
咳き込むチコの髪を掴み、止めの一撃を繰り出そうとした。
この時、チコは誰かの姿を思い出しかけていた。
「あっ…いぃっ!」
頭と傷ついた痛みに耐えながらも時々脳裏に浮かぶ何かがチコに何かを訴えかける。
【チコッ!俺だ…!】
青い髪の男が自分の名前を呼んでいる。
何かが次々とチコの記憶に入り込んでくる。おそらく現世の記憶だろう。
学校?体育館?…手洗い場…。
間髪なくよみがえる記憶の中で、人だかりの中にいる青い髪の男の場面を思い出した。
男が私を見つけるなり、集団を掻い潜って私の元に詰め寄った。
【さっ帰るぞ。チコ】
その言葉にチコは大切な何かを完璧に思い出した。
彼は…狼男は…私の愛する人。
「あっ…っ!フラァッ…!」
その一言に男の手が止まり、チコの髪をゆっくりと放した。その直後、チコにさらなる激痛が襲う。
さっきとは比べ物にならないほどの痛みだ。チコはさらに声を荒げて痛みを訴える。
「あぁああっ!!痛っぎっ…!!」
頭を抱え、悶えるチコを男はただ棒立ちするだけだった。
チコはついに痛みに耐えられず気を失ってしまった。
そして、私は殺されたと痛みが消えたと同時に察した。