17話 「首飾」
「僕の言葉…分かるの?」
結構な幼声にフライヤは驚きを隠せなかった。本当にレイスから出ているのか疑うぐらいだ。
「あ、あぁ…そのペンダントを見たら、ベールが頭痛を起こしたようなんだ。
ああ!そのペンダントが悪い訳じゃねぇ!
実は彼女は死んだ人間なんだ。その際に生前の記憶が無くなってる。
それを思い出すたびに頭痛を起こしてるだけであってだな」
彼の必死な説明にレイスは聞き入ってくれた。
そして内容を理解したレイスはペンダントを見ながらも、問いを問いで返した。
「その、ベールってこの子の事…?」
そう言いながらフライヤの顔を見る。
「え?あぁ…そうだが」
「…人違いなのかな…」
その言葉にフライヤは首をかしげる。「人違い…?」
不意に口にするフライヤ。彼はさらにとんでもない事を言い出した。
「僕が知ってる人なら…この人の名前はメリー。メリー=アトリウムのはずなんだ」
壁によりかかって眠るベールを見ながら、聞いたことのない名前を口にするレイス。
フライヤも彼女の姿を一度見つめてからレイスに先ほどの本題を聞き返す。
「もしそのメリーって子なら、そのペンダントって?」
「うん…これはメリーが死ぬ数日前にくれたペンダントなんだ」
ペンダントを持ち上げて見つめるレイスを横で見る彼はある程度予測できた。
アクセサリーを見るやいなや頭痛を起こし、レイスから少しばかりか離れる様子を見せた彼女。
おそらくベールはメリー=アトリウムって名前で間違いはない。
彼女が事前に死界へ訪れた際、自身の名前を変えていた事も知っている。
詳しい過去を彼女が再び目を覚ます前に聞いておこう。
「もし良かったら、その過去、教えて貰ってもいいか?…えっと」
「あっ…名前言ってなかったね…ごめんなさい。僕はジャック。
…苗字は分からない。生まれて物心ついたころから奴隷として生きてきたから」
「奴隷?」
彼がその言葉を聞き返した。どうやらジャックとベールは生前奴隷として生きてきた事を明かした。
その雇い主の名を聞いてもまた驚いた。その名前がガレスだったからだ。
黒く大きな右拳を胸元に当てる彼は苦しそうな感情を抑えながら、彼の生い立ちを話してくれた。
7年前、両親が他界して独り身になった彼。引き取る場所もなく、途方に暮れる日々。
6歳というあまりに幼い年。当時からこの街の行政はひどかった。
保護や管理の制度もままならず、彼のように餓死する子も後を絶たない。
ジャックもその末路を辿る一方だった。ボサボサになった茶髪をニット帽で出来る限り隠し、
飢えを凌ごうと必死になっていた。頬は自然と凹む程、彼のお腹は限界に来ていた。
大雨の中、石橋の下で雨宿りするジャック。佇む彼の横からフードを被った男が現れる。
「お前、ここで何をしている?」
「…僕には家がない。お父さんもお母さんもいない…」
うつ向き、かすれた声を出しながらも男の問いに答える。
フードの男は顔を一旦横にして、すぐにジャックの方へ視線を戻して話し出す。
「俺のところに来い。ある程度の食料はある」
その言葉にジャックの心に希望の光が差し込む。
ニット帽が勢いで外れるぐらいの動きでフードの裾に膝をつきながらもしがみついた。
「お願いします!!何でもしますっ!だから…助けて下さい」
話しながら、彼の目からは涙があふれ出てきた。空腹が彼の冷静な判断を鈍らせていた。
フードの男は影の中で不敵な笑みを浮かべる。それを隠し、ジャックの身体を優しく起こしてあげる。
泥だらけの顔を指で拭う優しさの偽善を被った男にジャックは安心感に包まれてしまった。
差し伸べる男の手を疑うことなく握ってついていく。
それが彼にとって、悪夢にも似た日々の始まりとなる前兆だとも知らずに。
豪華とまでは言えないものの、日常的にまともな食事を頂きつつ、家事や掃除を積極的に行い、
礼儀やマナーを身につけていくジャック。フードの男もあの時以来、自身の素顔を晒して彼に接する。
金髪で褐色に焦げた肌をしていた。男の名はジークと呼ぶそうだ。
少し目つきがキツいが優しく接する彼にジャックは兄と慕って生きていたようだ。
数か月、ジークも力仕事をこなしつつ、ジャックの面倒を見る。
そして、文句のない体にまでみるみると回復していったジャック。それを見てジークはある日、提案をする。
「ジャック、お前のためにいい仕事があるんだ」
笑顔のジークが一枚の張り紙をジャックに見せる。それは豪邸の家主の元で火事や掃除をする仕事だった。
マナーも会得し、積極的な姿勢が魅力的な彼にならこなせる仕事だと思い、
ジャックを思っての提案だった。そんなジークの提案を彼は拒むことなく受け入れた。
予想はしていたがジークもその反応に嬉しくて抱きしめる。
これでお互い稼いでよりまともな生活を送れると思っていた。しかし…
「話がちげぇっ!!」
豪邸の一室で大男二人に押さえつけられるジーク。苦しみながらも抵抗するが振り払えない。
そんな彼の目線にいたのは指輪や腕輪など、数えきれない程の装飾を身につけるガレスの姿があった。
1回目の雇用契約が満了し、2回目の契約をするときに約束していた話と相違し、衝突していたのだ。
ガレスはワイングラスを揺らしながらもジークに耳を傾ける。
「ん~~?そうだったかなぁ…?俺は最初からそのつもりでいたんだがなぁ」
そう、ガレスは最初からジャックを奴隷として一生こき使うつもりでいたのだ。
それを契約期間と偽っていたのだ。ジークは1回目の契約の素振りで不審に思い、
奴の屋敷に忍び込んで、幹部達の話を盗み聞きしていたのだ。
ジークは声を荒げてながらジャックの身柄の解放を要求する。
「返せぇっ!!このクソブタ野郎ぉっ!!」
抵抗する態度に腹が立ったのかガレスは手前のガラスのテーブルを足でひっくり返し、
大男達からジークの髪を掴んで引っ張り上げる。
「テメェに指図される覚えはねぇんだクズがっ!」
そう言ってジークの顔面に向け、強烈なパンチを繰り出す。
まともに喰らい、2,3歩後ろに下がりながらも倒れることなく態勢を整える。
口が切れて血を流す。それを右の裾で拭って反撃をするも大男達がその行く手を阻む。
ならばそいつらも倒すまでとジークはそのまま殴りかかるも、多勢に無勢、簡単に拘束されてしまった。
再び押さえつけられ、先ほどと同じような状況になった。
「テメェの子は可愛く躾けておくから安心しろぉ。ダァーハハハハハッ!!」
ガレスが何もできないジークを煽るかのように高笑いする。
憎しみと怒りがこみ上げるジークはただただ歯を食いしばる事しかできなかった。
その様子を通路につながる扉の隙間から、ジャックが隠れながら見ていた。
その後、ジークがどうなったかはジャックには分からなかった。
それから数年間、ガレスから苦痛な程の人生が続いた。
暴力を振るわれ、必死に結果を残しても当たり前と言われ罵られる。自分は何度も死にたいと思った。でも、
「ジャック…?」
いつも自殺を止めるように支えてくれたのはベールであるメリーだった。
庭で泣いていた自分をメリーは優しく接してくれた。
彼女も奴隷としてこき使われて苦痛なはずなのに、泣き虫な自分を励ましてくれる。
いく時もいく時も、泣いてばかりの僕を同じように接してくれる。
僕にとって彼女は心のよりどころでもあった。
「きっといつか、報われる日が来るはずよ…だから頑張って…」
ベールはそう言ってジャックを抱きしめる。それに彼は顔を赤くする。
こういう時、どうすればいいのかジークから教えて貰ってなく、いつも棒立ちだった。
でも今回は彼女の手のを真似るように、背中に手を添える。
それにベールは反応して背中に目を向ける。すぐにジャックは手を下ろした。
「ご、ごめんっ!メリー姉ちゃん…!」
「ううん…気にしないで…」
そう返事をして、ベールは先ほどよりも強くジャックを抱きしめる。
嬉しかったのだろうか。ジャックは再びベールの背中に手を添える。一生このままで居たかった気がした。
彼が優しさに包まれている中、ベールはこの時、彼の必死な姿やガレスに罵られて辛そうな姿、
一人で泣いてる姿、支えている時の安心したような顔。
それを思い出しながら、一度身体を離して、首にかけていたペンダントを外し始める。
外したところでジャックに向かい、こう言った。
「ジャック…これを貴方にあげる」
差し出したのは黄金色の三日月の飾りがついたペンダントだった。
彼女が奴隷としてここに仕えた時から身につけていた物だと記憶していた。
そんな大切なものを受け取れないと一度拒みはしたが、
それでもベールはかたくなに、無理やりではあるもののジャックの両手に押し込む。
何もできないように再び抱きしめてこう言った。
「もう、苦しませないから…」
そう言い残して、ジャックに何も言う隙を与えずにその場を走り去った。
隠していた涙を流しながらも、彼女にはある決心が芽生えた。
(この子を護らなきゃ…そのためには私が)
アイツと共に死ぬしかないと。
その日、ガレスによる招集で奴隷のメイドや男達を呼びつけた。
そして奴はジャックの名を呼ぶ。返事をしながらも怯える足取りでガレスの傍まで歩み寄る。
するとガレスがある事ない事を達者な口でべらべらと悪行を並べる。
それをジャックに擦り付けたのだ。この時、ベールや彼女の隣にいたメイド長であるロゼッタは感づいた。
『不必要となった』と。
ガレスはジャックを蹴り飛ばし、仰向けのまま数発殴りつける。
その光景を目の当たりにするベールはとてつもない形相でガレスを睨みつける。
(この下劣なブタ野郎…)
憎しみがこみ上げる彼女をロゼッタが耳打ちする。
「…メリー…、覚悟はできてるわね」
「っ!?」
彼女はベールの考えていることを察していた。
ロゼッタは後ろにある剣を持った甲冑の飾り物を目にする。
ベールもそれを目先で見て、ロゼッタの話を聞く。
「貴方を失いたくはないと言っても無駄のようね…
いいわ、この地獄を終わらせられるなら…
あなたの勇気と犠牲はいとわない。行きなさい!」
そう言ってロゼッタは左脚に備えていた短剣を右手で抜いて、流れるようにガレスに向けて投げ飛ばす。
見事に短剣はガレスの右手に的中し、ジャックに対する暴行を止めた。
その間にベールは甲冑の飾りについていた剣を無理やり引き抜いて、刀身を引きずりながらも、
ガレスに向かって走り出した。
「だあああぁぁぁあああっっ!!!」
ベールの突進に気付いたガレスはジャックから手を離した。
ボディガード達はそれを止めようとするも他の奴隷達が妨害する。
自分一人だったら、絶対叶わなかっただろう。
それを痛いほど味わいながらも彼女は怒りをあらわにしてガレスに一直線に突き進む。
それに迷いなど一切なかった。奴の腹に剣を突き刺し、貫いた。
彼女の心はそれだけでは足りなかった。そのまま押し進み、巨大な窓へ向かっていく。
幾多の奴隷仲間をこき使い、使えなくなったら切り捨てて、餓死させてきた貴様を。
私は何度も見てきた。その度に怒りと憎しみが込み上げ、自分のように悲しんだ。
生かしてはおけない。これ以上、幼い命を犠牲にするわけにはいかない。
誰かがやらなければ終わらない。ならば私がこの手で貴様を葬らせる。
「下劣で非道な貴様の魂をぉっ!!今ここでっ!!断罪させるっ!!」
そう言い放って、ベールはガレスと共に窓を割り、
そのまま奴の巨漢を使ってテラスの手すりを破壊していく。
手すりの先は絶壁と言えるほどの崖。そのまま落下して死なせるつもりだったのだ。
「メリイイイイイイイイイイィィィィッッッ!!!」
悲痛なまでのジャックの叫び声が轟く。
膝をついて泣き叫ぶ彼を皮肉にも『満月に輝く光』が包み込むように照らしていく。
あの後、数で押し切った奴隷達の勝利に終わったのだがジャックはそれでも彼女の死を悲しんだ。
壊れた手すりの前で泣き続けるジャックにメイド長のロゼッタが慰めに来た。
「僕のせいで…メリー姉ちゃんが…」
何も出来なかった自分を責める。むしろ何も出来るはずがない。
ロゼッタは肩を掴んで、グッと抱きしめてあげた。
「貴方は悪くないわ。彼女は貴方の未来、そして皆の未来のために戦った…
彼女の勇気を、そして消え去った人生を私達が無駄にしないように生きましょう…
この悪夢はもう終わったの…だから元気を出して、ジャック…」
彼女の支えにジャックは一度顔を下ろす。
もうメリーは居ない、ジークの行方も分からない。そんな自分に生きる価値があるのだろうか。
ペンダントの光が彼の視界に入る。
それに反応して、右手でペンダントを持ち、その形をまじまじと見つめた。
そしてあの時の言葉が蘇る。
『もう…苦しませないから…』
ジャックの目は再び涙であふれかえる。
すすり泣く声を殺すかのように押さえるがそれはいとも簡単に崩れていく。
声を出して泣き出すジャック。でもそれは絶望の涙では決してなかった。
メリーのために生きなきゃ。だから僕は今ここで涙を枯らしたい。
二度と苦痛の涙を流さないために。
数日後、奴隷仲間達は自由を手にしてある者は帰省し、ある者は別の仕事に務め、ある者は旅に出た。
そんな中、僕はロゼッタ姉さんの家族に居候することになった。
ご両親はかなりの年配で彼女のようにとっても優しくしてくれた。
その優しさに時々、ジークを思い出しては複雑な気持ちになることもあった。
だけど今、この幸せな時間を大切にしたかった。ロゼッタ姉さん達には気を使わせたくはない。
そうしてジャックは数か月の間、家事や掃除などを手伝ってあげた。
しかしある日、家のチャイムが鳴る。
いつものように近隣の方の料理のおすそ分けかと思い、ジャックが玄関に走り出し、扉を開ける。
そこには見覚えのある男達が居た。ジャックはそれに絶望を感じた。
すぐにロゼッタに逃げるように伝える。
男達はジャックを捕まえ、袋に抑え込まれた。そして何か煙のような物を袋の中に投げ入れた。
(これは…催眠ガスッ?!)
もがいて抵抗するもガスの影響で意識が朦朧とし始める。力が弱まり、最終的には眠りについてしまった。
ジャックが目を覚ました時、自分は椅子に座っていた。どうやらどこかの薄暗い部屋の中にいるようだ。
鉄の棚がいくつか置いてあるところがあれば倒れたままのものもある。
両手、両足が椅子を通して縄で縛られていて、身動きがまともに取れなかった。
大男達に連れてこられた事を思い出してもがくジャック。そこに聞き覚えのある声が耳に入ってきた。
「ジャック、久しぶりだなぁ~?」
「っ!?その声…ガレス!?」
機械スピーカー越しでも奴の声が分かった。だが二度と聞きたくはなかった。
それに奴はメリーによって命を絶ったはずだ。何故生きているのかと尋ねる。
「あぁ~?俺があんな落下で死ぬと思っているのか?確かにはらわた抉れはしたがよ」
普通、はらわたが抉れたら死ぬはずだが。心の声でそう言いながらもジャックは怒りを露わにして言う。
「お前のせいでメリー姉ちゃんは死んだんだ!!」
「勝手に死んで行っただけじゃねぇか」
その言葉にジャックはかなり頭にきた。
無理やり起き上がろうとするも、背もたれが背中を強打してバランスを崩してしまい、横に倒れた。
その様子をお得意の高笑いで煽り散らした。イラッとするジャックはスピーカーを睨みつける。
笑い声が静まったところでガレスが何かの合図の声を発した。
すると扉から大男が何かを持って入ってくる。ジャックはそれを見て嫌な予感がした。
大きく身体を揺さぶって縄をほどこうとするもビクともしない。
そんな中、ガレスが大男の右手に持っている石を説明する。
「そういやぁ、そいつは霊障石っつう奴らしくてなぁ?
見たモンはたちまちバケモンになるらしいんだってよぉ?」
そう聞いてジャックは目を強く閉じる。だが大男は無理やりまぶたを開かせる。
身体の中に異変を感じ始めた。焼けるような感覚に声を上げるジャック。一気に全身に熱がこもる。
大男も衝撃で鉄の棚に激突して気を失う。憎しみが込み上げ、こうしてジャックはレイスと化してしまった。
それから力任せに暴れたらしく、扉を蹴り開けて地上へ飛び出す。
ジャックが目にしたのは二度と見たくなかった赤い屋根の屋敷だった。