15話 「矛盾」
突然変異したレイスに為す術がなかったベールは首を掴まれ、もがくしか出来なかった。
そして顔面に手を添えられ攻撃されると察して目をつぶった。
すると突然光が差したように視界が明るくなった。
「はっ!はぁ…はぁ…」
目を覚ますとそこはどこかの宿舎だった。気絶する前の記憶をよみがえらせようと頭を押さえるベール。
扉の奥からは男たちの話し声や笑い声が絶え間なく聞こえてくる。
簡易的な二段ベッドに木製の椅子やテーブル。おそらくここは兵士達の宿舎だ。
そういえば、犯人を捕まえて兵士達に身柄を引き継いだ時、頭痛に襲われて気絶したんだ。
彼女は思い出して、時計を見たくてスマホを取り出そうとする。
しかし、いつものポケットにスマホが入っていなかった。
慌てて全身を手で調べるもどこにもスマホは入っていなかった。
ポーチの中も漁ってみるもそれらしいものは無かった。
絶望を目の当たりにしたような不安な顔をしながら頭を抱えるベール。
そこにフライヤが彼女の具合を確認しに部屋へ入ってきた。彼女の姿に安心したような顔を一瞬した。
「ベールさん、気づいたんだな」
「はい…ごめんなさい。あれだけ言ったのに…私」
話の途中でフライヤがベールの肩を掴んだ。微笑みかけて彼が優しく言葉を返した。
「気にしてないさ。ちょっとレイスの討伐が遅くなっただけさ。
大丈夫。偵察班からはまだ暴れている姿は目撃してないってさ」
そう言って彼のズボンのポケットからベールのスマホを取り出して、彼女に返した。
念のため、スマホの中身は見てないとフライヤから言われた。
特に見られて困るような物はないのだが、彼の優しさだと受け取り、礼を言った。
さっきまで兵士達と世間話をしていたらしい。
せっかくだからベールもその会話に入らないかとフライヤは誘う。
自分自身、会話の引き出しが少なくて、多少不安はあったがフライヤの誘いを断りたくはなかった。
先ほど、迷惑をかけてしまった件もある。彼女はその誘いを受け入れて彼の後をついていった。
部屋から出るとそこは食事や休憩室を主に使う大きな一室だった。そこには多くの兵士が食事をしていた。
強面な人もいれば、幼い顔付きの人もいた。体形は鎧があってあまりはっきりと分からない。
彼女の存在に一人の兵士が気付くと、次々と視線がベールに向けられる。
相当な数の視線にベールは少し緊張する。男しかいるはずもない兵士の宿舎に女性がいるのだから無理もない。
思わずフライヤの後ろに小さく隠れる。今朝がた救援に来てくれた兵士二人がベール達に駆け寄る。
「お嬢さん、気が付いたんですね」
「はい、ありがとうございます」
お辞儀をして礼を言う彼女。兵士が気を使って近くのテーブルに座るように案内した。
ベールという女性に気が入っているのか、丁重に扱う姿勢が見える。
あまり触れないでおこうと思ったがもう一人の兵士が茶かした。
「こいつ、お嬢さんが来てるから気入ってんすよ」
「言うんじゃねぇバカ野郎!」
からかう相方に顔を赤くしながら怒る兵士。ベールはそんな優しく接してくれる事に感謝すると、
気が入っている兵士は少し照れるような仕草を見せる。
「狼のあんちゃんはもしかして、愛人さんかい?」
「えっ?」
フライヤは少し驚いて、とっさに周囲を見る彼。そしてベールの体を抱き寄せてこう答える。
「あぁ。ベールは俺の大切な人さ」
「えっ!?!?」
突然抱き寄せられ、何が何なのかわからず急速に顔を赤くする。
バランスを崩し、たくましい筋肉がベールの肩にぶつかる。
そのまま左手が彼の脇に、右手は背中へと移動し、自然と抱きしめる恰好となった。
恥ずかしかったが少しばかり、このままでいいかなとも思った。
「そうか。でも珍しいね。亜人さんが恋人なんて」
「あっ、はっはい…!以前、悪い人から助けて頂いて…それから目的が同じという事もあって…
それ以来一緒に旅をしているんです!」
ベールも彼の話に合わせてくれた。フライヤも辻褄が合うように話を進める。
兵士達は納得した様子。それを見て安心感を抱いた二人。
そっと胸に手を当てるベールは気になっていた事があったので兵士に聞いてみる。
「あの、そういえばあの男の人は…」
「あぁ…」
返事をするも少々気が気でない感じの顔をする兵士達。ベール達も不思議に思い、問いかけると。
「あの後、務所の方へ連行して牢屋に入れたんだが、数時間後に…何者かに殺されたようなんです」
その話を聞いて二人も驚きを隠せなかった。フライヤは今朝の男の発言から、
ギャングにとって裏切る危険性があったから、口封じのために行ったんだろうと予想した。
ベールはそのことを知らない。フライヤはこのことをあとで何かしらで教えることにした。
兵士は現場を見て、男の顔や首に数か所の刺された後、その部分が著しく壊死していることから、
おそらくたった一つの壁の隙間にある窓から毒針を通して殺したと踏んでいる。
正直こういった結末はこれが最初ではないらしい。
悪事をしくじり、多少なりともギャングに関わりを持つものならば抹殺をする。
非道が非道を無にする。こちらとしては皮肉極まりない。証拠がない以上、取り締まる訳にもいかない。
それと無闇に特攻し、犠牲を作りたくもないのも現状だ。そんな現状に兵士の一人が熱くなる。
「クソっ!何かいい方法はないものか…」
「その…、男が口にしていた豪邸の主、ガレスっていう男は一体どういう奴なんです?」
フライヤが次にガレスについて尋ねる。いい機会だ、ベールにも知っておいた方がいい。
熱くなる兵士とは別の中年の兵士がその男について答える。
「奴はスラム街を牛耳る男だ。ギャングも率いているといわれていて奴隷も雇っている。
だがあいつ自身が手を汚しているわけじゃない。証拠を掴んだどころで身柄を確保することは不可能だ」
確かに実行者が別の人物となってしまえば証言だけとなり、捕まえるのが難しくなる。
兵士達の複雑な気持ちも大いに分かる。ベールも薄々感づいていると思う。
ガレスの名に身に覚えがある。おそらく、これは他人事では済まされないと。
何か打開策はないのかと模索するも一行に兆しが見えてこない。
やはり、証拠を見つけなければ、この話は進まないに至った。
悔しがる一人の兵士をよそに今度は世間話を持ちかけた。
二人は何とか死神や異世界の住人であることを隠し、誤魔化しながら話をする。
そうしながらも少しずつベールの生前に興味を持ち始める。
一体ベールは生前、何をしていたのだろう。彼女が亡くなった理由は何なのだろう。
思い出す様子を見せるがいまだにその部分は謎のまま。
でも、どこか不安な俺もいる。ベールがガレスの名を知っている。
その男がスラム街を牛耳ているという兵士からの情報。
これだけで分かる事、それは彼女がこのスラム街で生きてきた可能性が高いということだ。
富裕層でも名前や危険人物かぐらいは風の噂で知っている可能性はある。
だが前例の様子から見て、それだけの事であれほどの頭痛を引き起こすだろうか?
話をしている途中、ベールのスマホから着信があった。偵察班からだった。
兵士二人に一度席を放れる旨を伝え、フライヤを引き連れて一室を出た。
通路のような道でベールは電話に応答する。
「ベールさん、どうやらレイスに動きがあったようです」
電話口からは若い男性の声が聞こえてくる。
「本当ですか?!一体どこへ」
目を一瞬開いて居場所を聞き出す。すると偵察班が資料か何かをめくるような音を立てて答える。
「マークを付けてます、その付近でさまよっているようだ…でも」
「でも…?」
違和感を訴える偵察班にベールは聞き返す。すると信じがたい返答がかえってきた。
「ありえない…現世の人間に姿が見えてるっ?!」
それにベールは口を開いた。あり得るはずがなかった。そもそもレイスは霊である。
現世の人間に見えるはずがない。見間違いではないかと疑ったが偵察班は再度確認するも状況は同じだった。
一体どういうことなのか。ひとまず現場に向かう旨を伝え電話を切る。
不穏な様子を見せる彼女に真剣な目で見つめる彼。フライヤに同様の話を伝えると驚きを見せる。
同じ気持ちを彼も抱き、自然とベールに聞き返してしまった。彼女も原因が分からない。
とりあえず現場に向かうしかないと返すと彼は頷いて兵士にその旨を伝えに一旦その場を離れる。
現世の人間に姿を見られる。そんな状況を死神を通さずに可能だろうか。
一応死神には霊気が存在する。それを身体に通わせればレイスを視認することができるようになる。
フライヤも以前の件でチコに触れている事をベールも知っているため、
気づかぬうちに視認出来るようになっている。
兵士達にここを出る旨を伝え、ベールの元へ戻ってきた。
すぐに宿舎を後にし、マークのついた目撃現場へ走り出した。
その途中、ベールがフライヤの横に並んで声をかける。
「フライヤさん…さっきの事ですが…」
「ん…?」
「どうして、嘘をついたんですか?」
宿舎でベールを抱き寄せた事だと理解したフライヤは戸惑いを見せることなく、理由を答えた。
「いくら兵士達が安心できると言っても。何が起こるかわからねぇ。
それに…男って意外とそういうのって競争心に燃えるからよ…。
あの時、ベールの事ただ見てた訳じゃないぞ?
あれは…獲物を狙う目だ」
そう言われてベールは少し怖くなった。全然気づかなった。
ただ男まさりな部屋の中に物珍しい女性がいたからってだけで考えていた。
「あのまま俺が違うと言っていれば…最悪、ベールを手中に収めようとした奴がいたかもしれねぇ」
つまり…自身をさり気なく庇ってくれたのだ。
それも気づかず話を合わせていただけの自分が情けなかった。
そういうとフライヤは前を見ながらその後の彼女の行動を誉めてくれた。
「でもベールさんも話合わせてくれたじゃないか。あの時、すげぇ助かったよ」
「私はただ、嬉しかったんです。大切にしてもらえた気がして」
その言葉にフライヤは微笑みを返す。
「当然だ。ベールも大事な仲間だ。チコだってそう思ってるはずだ」
自信満々にそういう彼にベールは嬉しくて涙が出かけた。
本当にチコさんといい、優しい言葉を平然と投げかけてくれる。
鼻を小さくすすり、ベールはフライヤに礼を言う。
そして、続けるざまにベールが彼にお願いをする。
「フライヤさん。これから私の事…呼び捨てで構いません…あの時のように」
あの時と言われ、彼は少し記憶をさかのぼった。
確かにベールが気絶寸前の時、呼び捨てで呼んでいたのを思い出した。だがフライヤはそれを一度断った。
「あれはとっさに出ちまったんだ。だから――」
「呼んでほしいんです…」
わがままである事は十二分に分かっている。でも、この1年間。
チコでさえも呼び捨てで呼ばれた事がなかった。
ましてや自分を大切な仲間だと想う異性からなら、尚更呼ばれたかった。初めての感覚だった。
これが恋というものなのか。チコさんは生前の時からこの気持ちを経験してきたのだろうか。
そして、生前の私にもこういう事があっただろうか。
考えれば考えるほど悲しい顔をするベール。それを見てフライヤは彼女のお願いを聞いた。
「分かった。ベール」
呼び捨てで呼ばれたベールは少しだけ目を開いた。時折前方を見ながら彼の方へ顔を向ける。
前を見ながらフライヤは彼女に気合の一言を発する。
「さっさと任務を終わらせて、ベールの作ったおにぎり食べようぜ」
その一言にベールは嬉しくて笑みが零れる。そして、大きく返事をした。
大分走った。ベールがスマホでマップを表示する。もうまもなく目標地点に着くようだ。
フライヤにもその旨を伝え、ベールは事前に鎌を呼び出した。
服と同じベージュ色の取っ手は下部分が外側に若干曲がっており、
刃との付け根あたりに紫色の紐のようなものが巻かれていた。
刃の形状はスタンダードだが樋と呼ばれる刃の内側にある部分には、
よく見るとギリシャ文字で、
「Εκείνοι που κυνηγούν την ψυχή」
と刻まれている。これは「魂を狩る者」という意味が込められている。
死神らしい言葉といえば言葉である。
フライヤも指を鳴らして戦闘態勢をとる。チコが居ないとは言え、怠けるつもりは毛頭ない。
いつでも本気が彼のモットーである。生前の時だろうとその本意を貫いていた。
近づくにつれ、何やら物音や声が聞こえてくる。
何か騒がしい様子が感じ取れる。すると、ダダダダッと今度は銃声が次々と轟く。
街中だっていうのに銃の乱射か。フライヤ達は驚いて二人一緒に同じ角について、
ベールがしゃがんで低い位置から、フライヤは立ったまま高い位置から様子を伺った。
そこには数人の黒服の男たちが銃を手に持ち、何かを探している様子だった。
半信半疑ではあるがおそらくレイスの事だろう。
男達が持っている銃はアサルトライフルのようだ。平たく言えば連射式の銃。
見る限り、あれがガレスの率いるギャングの一味だろう。
目標の遂行に手こずっているのか、一人の団員が怒って物に当たる。相当気が立っているのが見てわかる。
見つけ次第、あの男と同じように口封じで殺しにかかってくるだろう。
ひとまずギャングたちのいない方へ忍び足で向かい側に移動し、裏へ迂回することにした。
木製の橋を渡って川辺の道を歩く二人、その途中再び銃声が轟く。
危なっかしいにも程がある。兵士だろうが見境なく殺しにかかるのが言うまでもない。
こんな環境で良く生きて居られるな。と逆に住民達を尊敬してしまうフライヤ。
再び橋を渡って目的地の裏手側に着いた二人。
案の定、ギャング達が遠くの方でレイスを探し続けていた。
こんな状況でレイスと出くわすのはよろしくないのではないか。フライヤはそう感じていた。
何かいい案がないか、ベールと話し合いを持ちかけようとしたが彼女が何か不審な顔をしている。
「どうした?ベール」
「いえ…感じないんです。レイスの気配を」
マップを確認しても、やはりマップのポイントはこの付近に立てられている。
なのにひと欠片もレイスの発する気を感じ取れないのだ。
偵察班の情報もレイスの気配の無さも、矛盾点が多い。一体全体どういうことなのか。
一度身を隠して偵察班に連絡をすることにしたベール。
スマホを耳に当て、偵察班がすぐに応答する。
「ベールさん、どうやら到着されたようですね。双眼サーモグラフィーで確認しました」
どうやら建物越しでも二人の位置が見えるようだ。同時にサボれない事を悟ってしまった彼。
そんなフライヤをよそにベールは直球で質問を投げた。
「はい、ポイントに到着はしたのですが一切レイスの気配を感じとれないんです」
「そんなはずは…さっきまで何者かに攻撃を受けていたんです」
偵察班がふざけているようには一切聞こえない。ますます疑問が深まるばかり。
再び奥の方で銃声が轟く。偵察班から提案を申し出てきた。
「やはり何かがそこで起きているようです。ひとまず隠れて事態の終息を待ってみてください」
ベールは了承し、通話を切断するも。このまま待機するわけにはいかない。
フライヤには根源を調べて行くと嘘をつき、共に騒ぎの起きている場所へ物陰に隠れながら移動する。
さすがにギャングもバカではないはずだ。ただ無鉄砲に銃を乱射しているわけではないだろう。
二人は大きな倉庫のプレハブに入り込んで、そのまま階段を登り、小部屋の一室に入り込んだ。
上に窓があり、そこから外が見れそうだ。
二人はテーブルに乗っかり、分け合ってギャング達の様子を伺った。
やはり一味はレイスを探しているようだ。重点的に調べ尽くす勢いで木箱の中や部屋の中を見ていく。
レイスの討伐数が本当に1匹なのか、ベールに再確認するよう求めるフライヤ。
念のため依頼内容の資料を確認するベールだったが、間違いなく1匹だと記載されている。
たったレイス1匹にそこまで手こずるだろうか。
ましてやギャングというからにはそれなりに戦闘技術はあるはずだ。
偵察班との矛盾や気配の無さによる重要警戒のストレス、
挙句の果てにはギャング達の妨害まで、さすがの二人もイライラが見えてきた。
その時、カツン…カツン…と鉄の床を歩く音が通路から聞こえてきた。
まずい、このままでは見つかってしまう。
二人は静かに慌てながらも隠れる場所を探す―――。