10話 「意志」
ベールが会長の秘書官になる話を聞いてチコも自分の事のように喜んだ。
憧れの位置にパートナーがなるというだけでも誇らしくも感じた。
彼女は3日前に秘書官になるための事前手続きを行い、身支度も早めに済ませていた。
いつチコのパートナーが切り替わっても問題がないように、
依頼の際に必要なもの以外は段ボールに収めていた。
ちょうど今頃、業者に段ボールを送る手続きをしているだろうとシエラが言った。
「お願いしまーす」
業者に挨拶をして見送るベール。
トラックが見えなくなった後、今日から自宅に来るフライヤのために夕飯を作る事にした。
フライヤの正式な住民登録は今日と聞いたチコは疑問に感じて口を動かした。
「え?じゃぁあの日から今日までどうしてたの?」
「そのままフライヤを野放しにするわけにもいかんじゃろ。
おぬしも怒ると思って、職権乱用させて病院に仮住まいさせてあげたんじゃ
さすがのバーバラも会長命令じゃ断れないからの」
「会長…ありがとうございますっ」
涙ぐんでシエラに頭を下げる。
「俺からも、ありがとうございます」
フライヤも頭を下げてシエラに感謝をした。そんな二人に頷きながらも、
シエラはフライヤに今後の話をし出した。
先ほどの通り、正式な住民登録手続きが必要だ。
チコの身体も万全じゃない上、無理やり秘書官にしたベールにもこれ以上負担をかけるわけにはいかない。
シエラと共に役所に向かう事を告げると彼は素直に返事をした。
見かけによらず優しさを感じる彼を見て、チコがあそこまで護り通そうとするのも分かる気がした。
何かを思い返した様子を見せるシエラ。
チコは完治するまで安静にするよう指示を出して彼女も拒むことなく肯定の返事を返した。
これからの一件でフライヤの事をお願いし、シエラは軽く返事をした。
「時間があったら、すぐ戻ってくるから」
出来る限り傍に居てあげようとするフライヤにチコは若干頬を赤くして頷いた。
シエラと共に彼はチコの元から離れてしまった。
また一人か…。さっきフラと離れたばかりなのに一緒に居たい気持ちが強くなっていく。
でも少しの我慢だ。あと数日で骨の修復も終わって完治するはずだ。
すっかりリハビリするのを忘れたまま、チコは1203号室に戻って再び横になった。
患者用の服を整えながら、思い返した。
夢じゃなくて良かった。チコの心は喜びの興奮で一杯だった。
またずっと一緒に居られる。彼女の顔はいつも以上に明るかった。
でもベールちゃん、良かったのかな…よくよく考えれば仕方なく秘書官になったようなものだ。
しばらくベッドの中で天井を見たり、外の景色を見て時間をつぶした。
不意にボロボロになったバッグに目をやった。ベールに直接聞いてみようかな。
そう思ってチコは再び身体を起こしてバッグから携帯を取り出した。
その間にも役所に向かうため、シエラ達は大通りを歩いていた。
ついていくフライヤがちょくちょくシエラの身体を見ては不思議そうな顔をする。
「なぁ…失礼な事だと思うんですけど…」
本題である質問を投げかける前にフライヤの首に鎖双剣の片方を巻き付けて、刃を彼の顔面に突き付けた。
シエラが若干険しい表情を浮かべながらニヤけ顔で言葉を返した。
「わらわに背丈と年齢を聞かぬ方が…良いぞ?」
「は、はぃ…」
肉眼では見えないのが彼には感じた。シエラの周囲に異様なまでにあふれ出ていた殺気を。
何はともあれ役所にたどり着いた二人はすぐに住民登録の手続きが出来る窓口に向かった。
うろ覚えながらもシエラが目配りをして看板を見つけてはフライヤについてくるよう指示した。
受付員に必要書類を渡され、説明通りに記入を済ませて再び受付員の所へ向かって書類を渡した。
数分後、案内スタッフに連れられて専用の写真機で顔を撮り、再び待機する。
30分もしない内に手続きが終わってシエラの元へと戻ってきたフライヤ。
その手には死界住民の証とも言える「住民カード」を持っていた。
「登録は済んだようじゃな。これでおぬしもこの世界の住民じゃ。
引き続き、今度は死神依頼所に向かうぞ。あそこは今後、チコと共に立ち寄る事が多くなるはずじゃ
今のうちに覚えておくとよい」
そう言いながらも役所を後にした二人はシエラのスケジュール通り、死神依頼所へ向かうことにした。
時は遡り、チコはベールに電話をしていた。
パートナーが変わって平気なのかとドストレートに尋ねるチコ。
ベールは夕飯を作りながらもスピーカーをオンにして聞いていた。
「私は大丈夫ですよ。
パートナーでないからと言って一緒に討伐に行けなくなるわけじゃないですから!
チコさんは気にし過ぎなんです。仲間を意識しすぎて自分の事は二の次にしてしまいがちです」
「でも…」
「それしか方法がなかったのは確かに事実です。でもそれで何かを失ったわけじゃないんですから、
気にすることなんてないんです!」
その言葉にチコはうつむきながら無言になってしまう。彼女の声から険悪さは一切感じなかった。
気にしすぎなのだろうか。ベールが続けて話を続ける。
「チコさんには…、チコさんにとっては…!死神の任務以上にもっと大事な目標があるはずです」
ベールの台詞に目を開くチコ。その大事な目標は本人が一番理解していた。
「私の事は大丈夫です!チコさんはチコさんの目標を貫いてください!」
そう言って貰えてチコは安心感を抱いた。気にしすぎだったんだ。
確かに生前の頃もフライヤのために自殺したようなものだった。
そう考えればベールの言う通り、突っ走っていたんだなと思いつめた。
彼女の励ましの言葉に感謝を返したチコは電話を切って、棚に携帯を置いた。
ゆっくりとベッドの上で横になって深呼吸した。
私の目標、それは紛れもなく、フライヤを護り抜くこと。そのためにはもっと腕を磨かなきゃいけない。
右手を上げて手を開いた。そして彼女はつぶやいた。
「絶対に…フラを護り抜くからっ…!」
彼女の顔から不安や戸惑いはなかった。むしろ、確信に近い強い意志が見えた。
死神依頼所に着いたシエラとフライヤは早速正面入り口に入って中の様子を伺った。
「これが…チコがその、死神の仕事で来る場所か?」
壁の絵や天井の装飾品なども併せて、フライヤが依頼所の中にいる死神達や受付嬢に目配せする。
中には今の自分のような人型の動物も居て正直驚いている。
「そうじゃ。フライヤ、あそこのボードを見てみろ」
そういってシエラが指をさした方へ彼も視線を向けると、
そこには数か所のボードが備えられていた。各所に依頼の資料が同封された封筒がいくつか貼られている。
死神達はそれを手に取って受付嬢に手渡し、依頼内容や場所・レイスのタイプなどを確認し、
委託受理をして許可証を貰う。シンプルな流れはそのぐらいだ。
場合によってはトランシーバーなどを手渡すこともある。
その流れを見知らぬ死神がフライヤの横で実演していた。それをチコに照らし合わせて見ていた。
やはりイメージカラーは異世界でも共通なのか、黒い服の死神が多いな。
チコも黒いゴシック風の服装だったな。背中に白いリボンまでつけて。
思わず記憶を返して可愛らしかったなとシエラに見えないように少し顔を赤くするフライヤ。
「理解はしたかの?」
「あぁ、それで俺はここでどうすればいい?」
ここでの内容を詳しく聞いていなかったため、彼女にどうするか指示を仰いだ。
ひとまずフライヤの手続きだけは済ませようとシエラは依頼所の専属依頼嬢のレイチェルを呼んだ。
間もなくレイチェルが2人の前に姿を現した。
水色のツインテールの片側が前にかかっていて彼女はそれを後ろに払った。
「あなたがフライヤさんですね。
初めまして、わたくしがチコさんとベールさんの専属受付嬢レイチェルです。
以後よろしくお願いします」
さすが受付嬢だと思った。礼儀もとても良く、喋りに揺らぎが一切感じない。
といいつつ機械的というわけでもなく自然体を貫いている。
シエラが事前に伝えた今回の要件を伝えるとレイチェルはすでに資料を準備していた。
抜け目がないなと感心するシエラにレイチェルは微笑んで言葉を返した。
「とんでもございません。フライヤさん、こちらがパートナー申請手続きの用紙になります」
水色の紙をバインダーに挟んだ状態でフライヤに手渡した。
彼がレイチェルの説明通りに記入する中、シエラにはベールについて報告を行った。
どうやら2日前にパートナー解除申請に訪れていたようだ。
秘書官になることに結構緊張されていたとレイチェルは言っていた。
数分後、必要事項の記入が終わった彼はレイチェルにバインダーを返した。
記入漏れがないかを確認して、問題がないと判断した彼女はフライヤに一礼した。
後は退院したチコがベールの解除申請も併せて残りの記入を済ませれば晴れてパートナー変更成立となる。
ちなみにパートナー関係となることでプラスになる事もある。
報酬がプラスになったり、いざという時に保険として援護班に代わりの連絡が出来たりと、
死神本人が助かる制度が沢山あるようだ。
そういった説明をレイチェルから受け、引き続きチコの話をし始めた。
「チコさんは入隊から今まで一生懸命、死神として活動していました。
切り傷を負ったり、あざを作ったり。時には右足を粉砕骨折したりもしました」
それを聞いて驚きを隠せないフライヤ。そんな怪我を負ってまでチコは死神を続けていたのか。
生前の彼女と比べると大分変わっていたんだな。生きてた頃の記憶を思い返しながら死神の彼女と比較した。
そしてあの頃は全力で俺がチコを護ってきてた。でも今回は彼女が全力で護ってくれた。
もう、非力な彼女ではなくなったんだ。そう思うと自分の事のように喜びを噛みしめた。
チコの死神稼業の話をするレイチェルに割って入るようにシエラはフライヤに伝える。
「チコは同時期の死神達に比べて、優秀であることは事実じゃ。
じゃが先走ってしまったり、自分をないがしろにする傾向がある。
今回の一件もあり、こちら側の規約もあるのじゃがおぬしをチコのパートナーにする理由は、
おぬしでなければチコが自害しておったからじゃ」
自害…?一体どういうことなのか。フライヤ本人はあまり実感がわいてこなかった。
「人はみな、死に直面した時、生前の記憶のほとんどを失う。
例外はあるにしろ、ほぼ間違いなくそうなるじゃろう。
じゃが時が経てばいずれは記憶を取り戻せる。
そうなればおぬしの事を思い出し、過去の重荷に耐えきれず自害しておったじゃろう
今回ので奇跡的に回避したという話じゃ」
確かにあの時、俺が死んだ後、追いかけるようにして自殺した。とチコに言われていたのを思い出した。
俺が今回、関わっていなければ。チコは魂ごと消えていたのか。そう思うと少し怖かった。
ベールではおそらく、その重荷を支え続けるのは無理だとシエラは断言した。
「本当に奇跡じゃ。このタイミングで死神以外のパートナーの申請許可が下りた事と、
それを起因とした魂の転移の承諾。それが無ければたとえおぬしが生きてたとしても、
あそこまで明るい彼女は見れなかったじゃろうからな」
「そんなに明るくなかったのか?」
そう尋ねると顎に手を添えてシエラは答えた。
「暗いと一概には言えないがはっきり言って、仕事をこなすことしか自身を証明するものがなかった。
自分が楽しいと思える存在が無かった、と言えばよいだろうかの」
はっきりとはしなかったが彼女の言いたい事はとてもよく分かる。
記憶が抜け落ちてても、チコはどことなく何かが足りなかったんだと感づいていたのだろう。
それが俺ということなのだ。辛かったはずだ。
思い出したくても思い出せず、思い出した内容が自身の心を抉る記憶だったと思うと。
思い出してないだけ不幸中の幸いというべきか。
最悪の結果を招かなくて良かったと運命のレバーでもある俺は心底安心した。
時計を見るなりシエラはそろそろ終いにすると言ってレイチェルと別れる事にした。
相変わらず丁寧に会釈する彼女。フライヤも礼を言って依頼所を後にする。
改めて住民となったことを祝うシエラ。チコの退院までゆっくり彼女の家で休むように指示した。
「ありがとう、会長さん」
「構わぬ。それじゃわらわは仕事が残っておるのでな。わからぬことがあればベールに聞いてみてくれ」
そう言ってシエラは歩いて役所に戻っていった。ベールが先日、夕飯を御馳走すると言われていた。
遅れるわけにはいかない。ベールから貰った自作の地図を頼りに走った。
途中リフトに乗って坂を駆け上がって再び走る、少ししてようやく目的地のアパートに辿りついた。
ここの5階となると、一番上の様だ。
フライヤは5階まで階段を上って右の通路を少し進むと、途中のドアに木の立て札が飾られていた。
ウサギのデザインにした当たりに「CHIKO&Veil」と書かれていた。
きっとこれはチコが選んだのだろう。生前のチコもこういう可愛いデザインを選んでいたからだ。
チャイムを鳴らすとドアの向こうから足音が聞こえてきた。
そのあと、ある程度近づいてきたあたりでベールの声も飛んでくる。
鍵を解除して扉を開けてくれたベールは優しく家に招き入れてくれた。
入るや否やとてもいい香りがする。カレーの香りだ。
そういえば、あの世界ではろくな食事をとっていなかったのだろうか。
少し気になったが考える必要はないだろうからやめる事にした。
病院で数日、借りぐらしをしていた間にシャワー等で臭いを落としてはいるのだが
女子の前で万が一の事があったら不味い。ベールにシャワーを貸して欲しいとお願いをするフライヤ。
するとベールは彼の元に近づいて優しく答えた。
「ここはもうあなたの家でもあるんです。遠慮なく使っていいんですよ。
ご飯はいつでも準備出来るのでゆっくり浴びてきてください」
微笑みながらそう言って再びリビングへ戻っていくベール。
あそこまで優しく接する彼女でも、俺が来なければいつか、チコは自害まで追い込まれていたのか。
憶測に過ぎないとは言っていたがどうも信じ切ることが出来なかった。
浴室に入ってジーンズを脱ぐフライヤ。
ベールという女性が居たこともあり、フライヤは今更ある事に気づいた。
「そういえば俺…下しか服を着てねぇ…」
人間に置き換えれば上半身裸で居るということだ。
つまりさっきまでその状態で病院に居たり、街を歩いていた事になる。
フライヤは思わず上半身に両手を包んで一瞬恥ずかしがった。
「フライヤさん、あの…上着、私ので良ければ…使って下さい」
思いが通じたのかベールが男性でも部屋の中でなら着れる上着を用意してくれた。
彼は感謝を伝えてシャワーの栓を回した。
一瞬だけ水が勢いよく出ることも知らずに驚いて、
不意にシャワーヘッドが手から離れ、冷たい水に弄ばれた。