9.ハイスピード・ジャック
道路の先が見えないほど長い長い直線に差し掛かる。
他の通行車はない。
仕掛けるならここだと思った。
「『レルヘドルヒ』オン!」
梨々亜の音声を認識し、フロントカウルに装備された13ミリ機関銃『レルヘドルヒ』が発射された。
直撃はさせない。
わずかに照準をずらし、ミニバンの右側面をそぎ落とす。
ミラーが弾け、ウインドーガラスが砕け、ドアが削られていく。
ミニバンは当然左方向へと逃げる。
機関銃の狙いも正確に追従させる。
ミニバンがガードレールギリギリまで追い詰められた時には、右側面のボディはほとんど消えてなくなっていた。
鋭利な刃物で切られたように車内が丸見えになっている。
梨々亜はグラウンドファイターを加速させてミニバンに併走させた。
後部座席で驚愕した表情のまま固まっているタヌキ顔の男と目が合う。
琴美はその奥でうずくまっていた。
「『バイスデヴァステイター』、オートドライブモード!」
梨々亜の声を受けて白銀のグラウンドファイターが自動運転に切り替わる。
梨々亜はハンドルから手を離してシートの上に立ち、サイドカーへ足をかけた。
意図を察した男が銃を抜こうとする。
それに先んじて梨々亜が叫んだ。
「今度は両方潰れるかもね!」
昨夜のことが脳裏をよぎったのか、タヌキ顔の男は反射的に股間を押さえた。
梨々亜はジャンプしてミニバンの後部座席に飛び込んだ。
同時に男の顔に膝蹴りを食らわせる。
狭い車内で素早く体位を入れ替え、奥側に入り込む。
そして男を思い切り車外へと蹴り出した。
「次からはちゃんとシートベルトしときなよ」
ハンドルを握る女の首へ腕を巻き付る。
「相方みたいになりたくなかったら、そのままのスピードで真っ直ぐ走り続けな。いいね?」
「わ、わかったわ……」
キツネに似た女の顔は血の気が引いてほとんど蒼白になっていた。
梨々亜は女の首を拘束したまま、もう片方の手でうずくまっている琴美を揺する。
「琴美、大丈夫? 動ける?」
「り、梨々亜ちゃん……」
琴美はお腹を押さえながら、なんとかといった様子で体を起こした。
「うん……大丈夫」
「じゃ、あれに飛び移って」
併走する『バイスデヴァステイター』を指さす。
「ええぇっ!?」
驚く琴美を無視して、梨々亜はルームミラー越しにキツネ顔の女へと微笑みかけた。
「あんたも協力してくれるよね?」
「ひゃ、ひゃい!」
女の声は裏返っていた。
◆
梨々亜は自動運転中の白銀のグラウンドファイターへと軽くジャンプして飛び移り、サイドカーの上に立つ。
そして後部座席の琴美へと片手を差し出した。
「ほら、早く」
「と言われましても……」
横並びで走っているミニバンと『バイスデヴァステイター』との間は一メートルもない。
普段ならなんてことはない距離でも、今は時速100キロ前後で走行中だ。
先ほど車から落ちた男の姿はすでに見えなくなっている。
怖がるのも無理はない。
しかし車を止めて乗り換えるなんていう悠長なことをしている暇はなかった。
「しっかり受け止めてあげるから。大丈夫、勇気出して」
「ほ、ほんとに、ちゃんと受け止めてくれる? 信じていい?」
琴美は大きな目いっぱいに涙を浮かべていた。
この一メートルの距離が、今の彼女には何十メートルにも見えているのかもしれない。
「誰のためにここまで追いかけてきたと思ってのよ。それに、お母さんのとこに行くんでしょ? その車に乗ってたらオヤジのとこに逆戻りよ」
「うぅっ……それだけは……」
その一言で覚悟を決めたらしい。
琴美は袖で涙をぬぐって、まっすぐに梨々亜の顔を見る。
その瞳に迷いはもうなかった。
琴美はズタズタになったミニバンのボディに手をかけ、床を蹴る。
跳躍。
強い走行風を切って彼女が宙を舞うその一瞬は、梨々亜の目にはスローモーションのように映った。
琴美の足がサイドカーを踏む。
勢いよく突進してくる体を、梨々亜はしっかり踏ん張って抱き止めた。
「ほら、大丈夫だって言ったでしょ」
「うん。……ありがとう、梨々亜ちゃん」
琴美の顔に久しぶりの安堵の色が浮かんだ。
◆
梨々亜はグラウンドファイターのシートに、琴美はサイドカーの座席にそれぞれ尻を沈めた。
乱雑に放っていたヘルメットを琴美が被ったのを確かめてから、梨々亜は自動運転を解除してスロットルを握り込む。
ちょうどその時だった。
《おうこら、おまえこら、何みすみす奪われてんだこら!》
《だってボスぅ、あいつめっちゃ怖いんすよぉぉ!》
短距離無線が摩周とキツネ顔の女の声をノイズ混じりに拾う。
梨々亜は勝ち誇った声で割り込んだ。
「指くわえて見てる羽目になったのはあんたのほうだったみたいね」
摩周の苛立った声が返ってくる。
《おまえが散らかした宝石拾ってたら遅くなっちまったんだよ! 見つからなかったぶんは弁償しろよこら!》
梨々亜が速度を上げるとミニバンは見る見るうちにサイドミラーの中から消えていく。
代わりに、青いボディの戦闘用武装バイク――グラウンドファイターが滑るような加速で追い上げてきた。
《おいおい、アタシと『ブラウアベンジャー』からこのまま逃げ切れると思ってんじゃねーぞ!》
そのシートには青いファイアーパターンのヘルメットを被った摩周が乗っている。
《けどちょうどいい、ロードヴァルキュリア最強とは一回やり合ってみたかったんだ》
距離が縮まるにつれて、青いグラウンドファイターの装備が鮮明となる。
フロント部分につけられた四門の巨大なガトリング砲に梨々亜は密かに息を呑んだ。
リアカウルには小型ウェポンコンテナの姿も見える。
《チーム対抗最強決定戦と洒落込もうじゃねーか! 『ナハティガルランツェ』オン!》
四門のガトリング砲が大量無数の弾丸を撃ち出した。
梨々亜は紙一重のタイミングを狙ってハンドルを切り、道路ギリギリで射線から逃れる。
前方のガードレールが弾丸の嵐をまともに受け、紙のようにちぎれ飛んだ。
「『アドラプファイル』オン!」
梨々亜の声を認識して、左リアカウルに装備さされた20ミリ機関銃『アドラプファイル』が起動。
真後ろへ大量の弾丸を撃ち返す。
摩周は巧みなライディングテクニックで青いグラウンドファイター『ブラウアベンジャー』を操り、射撃を回避した。
鮮やかなバイク捌き。
その動きだけで、梨々亜は彼女の威勢が口先だけではないことを悟った。
「私はもうチームとは関係ないって言ってんでしょ。善良な市民の仕事邪魔してないで、あんたも真っ当に働いたら!」
《おまえが善良ってタマかよ!》
青いグラウンドファイターはさらに速度を上げて迫ってきた。
距離が近くなればそれだけ射撃の正確性は上がる。
あのガトリング砲の直撃を許したら一巻の終わりだ。
《人間、落ちぶれるのは簡単だが這い上がるのはそうそう出来るもんじゃねー。アウトロー根性の染み付いたアタシらは、どこまで行ってもアウトローなんだよ!》
「……そうかもね」
梨々亜は傷口を指で弄られる気分を味わった。
足を洗って真っ当に生きようとしても思い通りにならない時がある。
だが先ほどのように、捨て去りたい経験が役に立つ時もあるのだ。
過去をなかったことにはできない。
良かったことも悪かったこともすべてを踏み台にして這い上がっていけばいいだけだ。
「けど、だからってあんたの仲間になる気はないよ。この仕事はやり遂げる。あんたを蹴散らしてね!」
《そうこなくっちゃなぁっ! 『ヴィルトアクスト』オン!》
摩周のマシンの後部ウェポンコンテナが展開。
6連装レーザー誘導ミサイル『ヴィルトアクスト』が撃ち放たれた。
しかしそれは梨々亜のマシンを狙ったものではなかった。
一番右の車線に次々とミサイルが着弾していく。
梨々亜の逃げ場を奪う爆撃だ。
「『アドラプファイル』オン!」
《『ナハティガルランツェ』オン!》
梨々亜は機関銃で牽制しながら暴力的なガトリング砲を回避していく。
だが二車線しか使えない中で避け切ることはできず、マシンに強い衝撃が走った。
「きゃっ!」
琴美が短い悲鳴を上げる。
リアカウルが撃ち抜かれた。
梨々亜は正面の液晶パネルを見て損傷具合を確認する。
走行に支障は無いレベル。
ハンドルをしっかり握り締めてマシンの体勢を立て直した。
《待ってな琴美ちゃんよ、すぐにパパのところへ連れてってやるからな!》
摩周の嗜虐的な言葉に、琴美は生理的なうめき声をこぼした。
家出と簡単に言っていたが相当嫌なことらしい。
《そしたらアタシは報酬で宝石買い放題だ! 宝石風呂だって作れるぜ!》
梨々亜は宝石で埋め尽くされた浴槽に入る光景を想像し、痛そうだなという感想しか抱かなかった。
《次は外さねぇ! トドメだっ!》
「そんなに好きなら――」
梨々亜はライダースジャケットのポケットから、真っ赤な宝石をつまみ出す。
先ほどのフードコートでこっそりくすねたものだ。
「ちゃんと受け止めなよ!」
それを後ろへ向かって投げつけた。
《なぁぁっんてことしやがるっ!》
摩周は見事な動体視力と反射神経でそれをキャッチしてみせる。
引き換えに、彼女は完全にハンドルから手を放していた。
梨々亜はすでにブレーキングに入っていた。
マシンの順番が入れ替わる。
無駄のない操縦で、『バイスデヴァステイター』を青いグラウンドファイターの真後ろへと滑り込ませた。
「『シュヴァルベシュペーア』!」
『バイスデヴァステイター』のフロント部分が上下に開き、中から一対のレールが伸びる。
「オン!」
47ミリGFレールガン『シュヴァルベシュペーア』が発射された。
マッハ5の弾体が青いボディを撃ち貫く。
『ブラウアベンジャー』は被弾の衝撃で吹き飛ばされながら爆散した。
投げ出された摩周がアスファルト上を転がる。
その横を白銀の『バイスデヴァステイター』が走り抜けていった。
倒れつつも天高く突き立てられた摩周の中指が、一瞬だけサイドミラーに映った。
正面パネルの表示が『シュヴァルベシュペーア・残弾0』に変わる。
バッテリー消費が大きすぎるため、一発限りの切り札だった。
◆
「あんたも災難ね、あんなのに狙われて」
「梨々亜ちゃん、ごめん……もう無理……限界……」
琴美が下半身をもじもじとさせながら弱々しい声を出した。
梨々亜は嫌な予感を抱きつつ「……何が?」と確認する。
「さっき、結局トイレ行きそびれちゃって……」
「……ほんと災難」
梨々亜はナビマップで次のサービスエリアまでの距離を見て、スロットルを全開まで開く。
この逃避行が始まって以来最大の危機が訪れたのかもしれなかった。