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6.虎井杏

 提示された身分証には、たしかに彼女の生真面目そうな顔写真と虎井杏とらいあんという名前が記されていた。

 20代の半ば頃だろうか。

 黒髪のショートカット。厳しく引き締められた唇。

 一分の隙も見逃さないような細く鋭い目が印象的だった。


「話を聞くって、何を?」

 十中八九昨夜のことだろうと思ったが、梨々亜は白々しい顔で聞き返した。

 叩けば埃しか出てこない身だ。

 免許停止にでもさせられたら仕事どころではなくなってしまう。

 そんな梨々亜の胸中を見抜いたように、杏の眼光がさらに鋭くなった気がした。


「ご近所の目もあるので、それは署に行ってからのほうがいいと思います」

「ここでいいよ」

「そうですか。では」


 杏は一枚の写真を取り出して梨々亜に見せる。

 案の定、梨々亜と琴美が白銀のグラウンドファイターに二人乗りしている姿がばっちり写っていた。


「昨夜の未明、走行禁止区域内でのグラウンドファイターの走行、及び戦闘行為が確認されました。これ、あなたの登録車ですよね?」

「どうかな。暗くてよくわかんないけど」


「乗っている人はヘルメットもあり鮮明ではないですが、車種は鮮明です。この色のこの車種を所有しているのは、都内ではあなただけです」

「まぁ私のに似てるっちゃ似てるかもね」


「盗難届けは出されていないので昨夜もあなたが所有されていたと思います。グラウンドファイターにはライダー登録をする機能があるのであなた以外の方が無断では乗れません。

誰かに貸していたと仰られても、違法行為に対する所有者責任が生じますので、どちらにしろ一度は署に来てもらわなければなりません」


 並べ立てる口調は穏やかだが、言い逃れは断固として許さないという意志が滲み出ている。

 まだ若いながらもその立ち居振る舞いはすでに堂に入っていた。


「一緒に来ていただけますよね?」

 とぼけるのも限界のようだ。

 ならば行動はひとつしかない。

 梨々亜は観念した振りをして、大きくため息を吐いてみせた。


「わかったわよ。じゃあ、えっと……今起きたばっかで準備に時間がかかるから……」

「わりと仕上がっているように見えますが」

「ここからが長いの。立っててもらうのも悪いからさ、その角の喫茶店で待ってて」

「いいえ、ここで待っています」

「そう。ご自由に」


 梨々亜は静かに玄関を閉め、バイカーブーツを持って部屋に戻った。


「琴美、準備出来てる? 行くよ」

「警察署に?」

「会社に」


 梨々亜はライダースジャケットを羽織ってショルダーバッグを脇に挟むと、ベランダの窓を開けて外に出た。


 ◆


 ハレダ急便の社屋は一階にガレージと倉庫があり、二階にオフィス、三階に社長宅がある。

 梨々亜はオフィスに顔を出してからガレージに向かう。

 ちょうどトラックに梨々亜のグラウンドファイター『バイスデヴァステイター』が積み込まれているところだった。


「お疲れ」

 と声をかけると、ツナギを着た花音かのんが振り向いた。

「おはよ、梨々亜。昨日はGF同士でバトルしたんだって? あたしも観たかったなー」

 

 可憐な名前とは裏腹に背が高くて体格もガッシリした女性だ。

 年齢は梨々亜の少し上。

 髪がベリーショートなこともあって後ろ姿は男性にも見える。

 この会社の車両はすべて花音の手によって整備されていた。


「ごめん、余計な仕事増やしちゃって」

 整備も搬入も昨日の内に済ませてあった作業だ。

 しかし梨々亜が昨夜急遽持ち出して使用したため、また一からやり直しとなってしまったのである。


「気にすんなって」

 と花音は快活な笑みを浮かべた。

「あんたのマシンは結構レアだからね。いじってて楽しいよ」


 白銀のグラウンドファイター『バイスデヴァステイター』には、再びボディ左側にサイドカーが装備されていた。

 ただし昨夜のようなウェポンコンテナではない。

 琴美が乗るための普通の座席である。


「装備もちょっとだけ変更しといたよ。レルヘドルヒはそのまんまで左リアにアドラプファイル、右にヴィルトアクスト、それから念のためシュヴァルベシュペーアも使えるようにしといたから」

「よく噛まずに言えるもんね……」


 グラウンドファイターの火器管制システムはすべて音声入力で行われる。

 誤作動を防ぐため、あえて難解な名前がつけられているのだ。

 しかしそれも考えもので、使いたい時に噛んでしまって認識されず、危機に陥るということが梨々亜にもよくあった。

 

 ◆


 速達の札がつけられた小包ひとつ。

 それを今日中にオオサカまで送り届けるのが梨々亜に与えられた仕事だった。


「この小さいのひとつだけ?」

 琴美が拍子抜けとばかりに小首をかしげた。

「普通の荷物はまとめて持ってくけど、わざわざ高い金貰ってる以上はね」

 遠距離の速達となれば料金は相当割増となる。それだけ重要な届け物というわけだ。


 助手席に琴美、真ん中の座席に梨々亜、そして運転席に花音を乗せたトラックが走り出した。


 特に都心はグラウンドファイターへの規制が厳しいため、しかるべきところまではトラックで運んでいくのだ。

 梨々亜が運転できれば手間がかからないのだが、まだ大型車の免許は持っていない。

 弾痕だらけのフロントガラスには応急処置としてガムテープがいくつも貼りつけてあった。


「梨々亜ちゃん……さっきの警察の人から逃げてきちゃって大丈夫だったの?」

 琴美が心配そうな声を出す。

 梨々亜は悪びれもせず答えた。

「私がしょっぴかれたらあんただって困るでしょ」


「それはそうだけど……」

「とりあえず、この速達は昨日から決まってた仕事だからね。これ届けるのが最優先。そのあとのことは、そのあとのことよ」


 花音が愉快そうに笑った。


「相変わらずロックな生き方してんね、梨々亜は」

「トーキョー中のパトカーとカーチェイスしながらヤマナシまで逃げ切った人には負けるよ」

「ああ、あれは負けられないレースだったからねぇ」


 梨々亜の一言をきっかけに、花音のストリートレーサー時代の武勇伝が30分ほど続くことになった。


 ◆


 シナガワ・インターチェンジ脇の駐車場にトラックを停め、『バイスデヴァステイター』を降ろす。

 この先のトーカイドーハイウェイはグラウンドファイターを走らせることが認められていた。

 リニア鉄道に取って代わられた新幹線の線路跡を利用して作られた高速道路で、トーキョーからシズオカ、アイチ、キョートを経由してオオサカまで直通している。


「じゃ、気をつけてな、ふたりとも」

「ありがとね」

「ありがとうございましたー」


 走り去るトラックを見送ってから、梨々亜は白銀のマシンに跨った。

 バッグと小包はシート下の収納スペースに入れてある。


「オオサカまでどれくらいかな?」

「休憩込みで三、四時間ってとこね。日が沈む前には着けるよ」

「そんなに早いんだ」


 琴美もヘルメットを被って、ボディ左側につけられたサイドカーに乗り込んだ。

 標準体型なので窮屈さはないだろう。


「『バイスデヴァステイター』、イグニッション!」

 梨々亜の声を認識し、V型10気筒8300ccのエンジンが始動した。


 フルフェイスヘルメットで狭まった視界の中、エンジンの爆音で周囲の音からも遮断される。

 自分とバイクしかいない世界だ。

 エンジンの振動が伝わってきて全身を小刻みに揺らす。

 それは梨々亜を高揚させるリズムだった。

 このバイクに乗っている限り、誰にも負ける気はしない。


「走り出したらあっという間よ。昨日みたいにあんたを追ってる連中が出てきても、余裕でちぎれる」

「たのもしい」

 ヘルメット内蔵の無線が琴美の陽気な声を確かに伝えた。


 グラウンドファイターの最高時速は300キロを超える。

 市販車なら敵ではない。

 もっとも、相手もグラウンドファイターを持ち出してくるのなら話は別だが。


 梨々亜は右手をゆっくり捻ってアクセルスロットルを開いた。


 ◆


 戦闘機を想起させる流線型のボディが風を切って走る。


 正面の液晶パネルには各種メーターの他、装備火器の状態とナビマップが表示されていた。

 火器はオールグリーン。エンジンにも異常無し。

 他の車も多いため、三車線の一番右側を190キロ前後で進んでいく。

 

 ちょうどヨコハマに差し掛かった頃だった。

 軽快に走行していた梨々亜は、後方に一台のグラウンドファイターがいることに気が付いた。


 白黒のカラーリングに赤いランプがついたボディ。

 警察仕様のグラウンドファイター『PGF3000』だ。

 パトロールかと思いきや、いきなりけたたましいサイレンが鳴らされる。

 そして急加速して梨々亜の『バイスデヴァステイター』に迫ってきた。


《そこのグラウンドファイター、止まりなさい!》

 拡声器越しに聞こえてきたのは虎井杏の声だった。

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