10.琴美の秘密
トーカイドーハイウェイをグラウンドファイターに乗って進む梨々亜たちは、小まめな休憩を挟みつつアイチに入った。
追跡チームのボスである摩周を倒して以来、妨害は何もない。
追っ手は完全に振り切ったと見ていいだろう。
残りの道のりも半分を切っている。
あとはシガに入り琵琶湖沿いを通ってキョートを過ぎればすぐに目的地のオオサカだ。
「パパとママが離婚したのはね、わたしが13歳の時」
追っ手がいなくなったことで琴美も安心したのだろう。
語る口調は穏やかだった。
「ママとは、それからはほとんど会ってなかったんだけどね、電話とかメールとかはよくしてたんだ。誕生日にはプレゼントも送ってきてくれたし」
「へぇ」
梨々亜は生返事をする。
他人の身の上話にどういう反応を返していいかよくわからなかった。
「これもね、ママがくれたものなの」
琴美は嬉しそうにヘルメットの上から耳のあたりを触る。
彼女の両耳に天使の羽を模したイヤリングがつけられていたことを梨々亜は覚えていた。
「似合ってたよ」
それは本心からの言葉だった。
「うん。ありがと……」
琴美はくすぐったそうに笑った。
異変が起きたのはその時だった。
琴美が胸をおさえて苦しみ出す。
まるで全力疾走をしたあとのように呼吸が乱れ始めた。
「琴美……大丈夫?」
返事はない。
やがてくぐもった悲鳴を上げ、体をのけぞらせる。
なにかに憑かれたような苦しみ方は明らかに普通ではなかった。
「ちょっ……琴美! 琴美!」
梨々亜の呼びかけにも反応はない。
喘ぎながら体をよじる琴美はサイドカーから落ちそうになっていた。
とてもじゃないがこのまま走り続けてはいられない。
ナゴヤ・サービスエリアの看板が目に入り、梨々亜はすぐさま車線を変更した。
◆
サービスエリアの駐車場には大きなヘリが停められていた。
明らかに異常な光景だが、今はそれどころではなかった。
梨々亜はグラウンドファイターを適当な駐車スペースに停め、シートから飛び降りてサイドカー側に回り込む。
素早く琴美のヘルメットを外すと、生気が失せて青白くなった顔があらわになった。
滝のような汗で濡れた前髪が顔中に張り付いている。
「琴美、どうしたの!? どっか痛いの?」
体を揺すってみるも、やはり反応はなかった。
胸をおさえて言葉にならない声でうめき続けているだけだった。
梨々亜は救急車を呼ぼうとスマートフォンを取り出す。
背後から現れた手が、それをひょいっと取り上げた。
「誰っ!?」
梨々亜は驚いて振り返る。
スマートフォンを持っていたのはビジネススーツを着た中年男性だった。
「そこらの病院に連れ込んでも医者を困らせるだけだよ。処置できるのは僕たちだけだ」
梨々亜の脳が急速に回転して彼の顔を思い出す。
――喜多村克実。
国内一のグラウンドファイター製造メーカー『キタムラ』の社長にして、琴美の父親だ。
克実はスマートフォンの電源をオフにして梨々亜へと返却する。
そして子供の悪戯に困らされたような眼差しを琴美に向けた。
「そろそろ持っていた薬も尽きる頃だと思ってね。まったく、バカな子だ」
「薬って、なによ……?」
今朝、琴美がなにか錠剤を飲んでいた姿が脳裏をよぎった。
「どういうこと……なんかの病気なの……?」
「こうなる前に連れ戻してくれると思っていたんだがね。あの手の連中も案外期待できないものだ」
克実は梨々亜の言葉など聞こえてないかのように呟き、手で合図をする。
駐車場に鎮座するヘリから、白衣姿のふたりの男がストレッチャーを押しながらやってきた。
車輪がガラガラと耳障りな音を立てる。
「……いや……」
うわ言のように琴美が呟いた。
「どういうことかって聞いてんのよ!」
梨々亜は琴美をかばうようにして男たちの前に立ち塞がった。
梨々亜が睨みを利かすと、白衣の男たちは気圧されたように足を止める。
しかし克実には効果がないようだった。
「このまま、苦しむ琴美を放っておくつもりかな?」
まるで梨々亜の反応を楽しむかのように投げかける。
克実の顔に深刻さはまったくなかった。
「君に出来ることは何もない。時間が経っても状態は悪くなるばかりだ。しかし、僕たちに引き渡してくれるのならすぐに落ち着かせることができる」
「……事情を説明してって言ってんのよ」
「ああ、いいとも。なんでも教えてあげよう。君が納得してくれるのと、琴美が力尽きるの……果たしてどっちが先になるかな?」
梨々亜は、息も絶え絶えといった様子の琴美を横目にうかがう。
見ているのもつらい状態だ。
こればかりは梨々亜にはどうすることもできない。
ひとまず彼らに従う他なかった。
梨々亜が道を開けると、白衣の男たちがまるで荷物のように琴美の体を運び始める。
梨々亜は唇を噛んでそれを見ていることしかできなかった。
アウトローに追われてまで父親から逃げ出したというのに、こんな簡単に捕まってしまうのか。
母親のもとへ行きたいという彼女の願いはここで終わってしまうのだろうか。
冗談じゃない、と梨々亜は強く思った。
(そうでしょ、琴美)
ストレッチャーに載せられた琴美がサービスエリア内に運ばれていく様子を克実も眺めている。
娘があんなに苦しんでいるというのに、彼は気遣う素振りをまるで見せていなかった。
癪に触るのは果たして梨々亜の八つ当たりだろうか。
そんな克実が、不意に梨々亜へと柔和な顔を傾けた。
「宅配便屋さん。ついてきたまえ」
◆
梨々亜はサービスエリア内に設けられた宿泊施設の一室に案内された。
ファミリー向けらしく、ベッド四つにソファーセット、シャワールームまで備え付けられている。
ホテル顔負けの部屋だ。
琴美は隣の部屋へ運び込まれていた。
「それで、なんでわざわざこんなとこに連れてこられたわけ?」
梨々亜はソファーに浅く座る。
深く座らないのは礼儀を考えたわけでは当然なく、すぐに動けるようにだ。
「あまり身構えないでくれ。単に、若い女の子とふたりっきりで話しをするのが好きなんだ」
それを聞いて身構えるなというほうが無理だった。
「というのは冗談さ。なんでも教えてあげるって言っただろう? 人に聞かれたくない部分も当然あるからね」
克実はテーブルを隔てた向かいに腰を下ろして柔和な表情を浮かべてみせる。
俳優じみた涼やかな二枚目顔だ。
しかしその目は爬虫類を思わせる。まるで温度を感じない。
梨々亜には、写真で見た時と同じく、うさんくさそうな笑顔としか思えなかった。
「ふーん。ほんとになんでも答えてくれるの?」
「君が納得してこの件から手を引いてくれるまではね」
今梨々亜の頭にあるのは、如何にして琴美と一緒にここを脱出するかということだけだった。
だが琴美の容態が良くならないことには動きようがない。
それを待つあいだにできるだけ情報を聞き出しておく必要があった。
「琴美はどういう状態なの? 薬って病気の薬? ほんとにすぐ良くなるの?」
「病気ではないよ。むしろ逆。薬の副作用でああいう状態になる」
「は?」
「なのでその副作用を抑える薬を飲めば、じきに落ち着くよ」
「病気でもないのに、なんで薬を飲む必要があるのよ……。それ、なんの薬よ」
克実は意味深な笑みを浮かべただけだった。
「君は、どこまで知っているのかな?」
「質問に答えなよ」
「今答えているつもりだよ。手間を省くための確認さ」
「どこまでって」
「琴美が持っているデータに関して、なにか聞いていないかい?」
梨々亜は慎重に返答を考えた。
そのデータこそ克実が取り戻そうと躍起になっているものだ。
交渉材料に使えるのでは、と思った。
「明るいのはいいことだが、中々おしゃべりな子だからね。君みたいに同年代の子を見たら友達だと思ってペラペラしゃべってしまったんじゃないかと思ってね」
公表すれば企業の根本が揺らぎかねない極秘計画。
昨夜、梨々亜も少しだけ内容を聞いていた。
「人間を改造して、グラウンドファイター用の操り人形にしようって計画のこと?」
「その被験体が琴美だ」
さらりと告げられた答えに、梨々亜は言葉を失って固まった。
「世界の紛争地帯はまだまだグラウンドファイターを求めている。だが、我が社がいくら性能の良いマシンを製造しても結局は乗る人間に左右されてしまう。だったら、乗る人間ごと作って売ってしまえばいい」
克実の演説めいた語りも梨々亜の頭には入ってこなかった。
(琴美が……なんだって?)
「手術、投薬、マインドコントロールを施すことによって、強靭な肉体と優れた操縦技術を持ち、余計な感情や思想を持つことなく、常に的確な判断をし、恐怖に負けることも反抗することもない、完璧なライダーを」
梨々亜はそれを琴美から聞いた。
その時の彼女はどんな様子だったろうか。
琴美からすれば、それは大変な告白だったのではないだろうか。
「もちろん完成品にあんな不具合は起きない予定だよ。けど、なにぶんまだ実験段階でね。いやぁ恥ずかしいところを見られてしまったかな」
「あんた……自分の娘を人体実験に使ってるってこと……?」
梨々亜は白くなるほど拳を握り込む。
自分の声が震えているのがわかった。
「僕もなるべくなら使いたくなかったんだけど、あいにく人体実験は公的に認められていないからね。他から調達してこれない以上、あの子を使うしかなかったんだ」
克実は人当たりの良い笑顔を浮かべたままだった。
罪悪感や後悔といった感情は微塵も感じられない。
「娘なら逃げ出したり告発されたりする心配もない……と、思っていたんだけどね。はははっ、予想外の行動だったよ」
琴美の陽気な笑顔が思い起こされる。
明るく振舞っている裏で、こんな事情を抱えていたのか。
「二度とこんなことが起きないよう、今後は生活面の管理も徹底することにしよう」
「今後なんかないわよ」
梨々亜は克実の目を睨みつけた。
改めて決意をする。
琴美をこいつには渡さない。
「私は仕事を全うする。琴美の届け先はここじゃない。そんなことには、利用させない」
「部外者が勝手なことを言わないでほしいね」
克実はせせら笑った。
「僕が産ませたものを僕がどう扱おうが、僕の自由だろう」
「屑」
梨々亜は吐き捨てる。
「琴美が逃げ出したくなるのも当然ね」
「僕のほうからも質問していいかな」
克実の声色が変化する。
不気味なほどの愉快さが含まれ始めた。
「今僕が言ったことは、アウトローを雇ってでも流出させたくなかった社外秘だ。何故それを君みたいな部外者に懇切丁寧に話してあげていると思う?」
「口封じするつもりなんでしょ。最初から」
故に目撃者のいない密室を話し場所に選んだのだろう。
克実ほどの財力があれば死体ひとつ消すくらいは造作もないはず。
梨々亜は危険と引き換えにしても琴美のことを知りたいと思った。
だからあえて乗ることにしたのだ。
「半分正解」
「もう半分は何よ」
「秘密と引き換えに、君をテストライダーにスカウトしようと思ってね」
「ふざけてんの?」
「君は腕の立つGFライダーのようだからね。警官に追われながら『ローズマローダー』をあしらったところも、あの女ボスの乗る『ブラウアベンジャー』を撃破したところも、ずっと上から見ていたよ」
道中、ヘリが飛んでいた記憶がある。
それが駐車場に停められていたあのヘリだったのだろうか。
摩周たちが待ち伏せしていたかのようなタイミングで現れたのも、彼から情報を得ていたからなのかもしれない。
「どうかな? 今の会社よりも好待遇を約束するよ」
「琴美が関わってるその計画とやらをすぐに打ち切るなら考えてやってもいいよ」
「交渉決裂のようだね。残念だ」
あまり残念そうに聞こえない口調だった。
最初から良い返事など期待していなかったというのがありありと見受けられる。
梨々亜はもう彼と話をするのは辞めようと決めた。
克実は腕時計に目を落とし、おもむろに立ち上がった。
「さて……そろそろ琴美も落ち着いた頃だろう。楽しい暇つぶしだったよ」
そしてジャケットの内側からサイレンサー付きの拳銃を抜き出し、座ったままの梨々亜の顔に銃口を合わせた。
「さようなら」
「――向けたね」




