怖いのか判断に困る怪談
自宅への帰り道の道路脇に、花束が置かれているのを見つけた。
何かの事故でもあったのだろうと考え、その場を通り過ぎようと思ったのだが、花束のまわりにあるものを見て、足を止めた。
木彫りのこけしが無数に置かれている。
それもひとつではない。無数。両手の指では少し足りないほどある。
若干不気味に感じながらも、花束に両手を合わせて、その日は無事に帰宅した。
翌日。花束は別のものになっていた。しかし、私の関心はそこではなかった。
こけしがひとつ、減っている。会社へ行く時は同じだったのに。
その時はまだ、「どうしてこけしの数なんてくだらないことを覚えていたんだ」という程度にしか感じていなかった。
ただ、少しだけ面白かったこともあり、今回はちゃんと数えて、帰宅した。
翌日。こけしは更にひとつ、減っていた。
今度は見間違いではない。
写真でも撮ってやろうかとも思ったが、良からぬものが写る可能性もあったので、やめてしまった。
小心者だが、野次馬根性だけは人一倍ある私は、写真こそ撮らなかったが、帰り道を変えることはしなかった。
こけしは日に日に、ひとつずつ減っていった。
その間、何かがあったというわけではない。
私はそのうち、学生の幼稚な悪戯によるもの、と思うようになっていった。
ただ、仮にそうだったとしても、悪戯をする瞬間を見てみたいという思いは募っていった。
そして、こけしが残りひとつとなった、ある日。
私は思い切って午後に休日を取り、こけしの行方を見に行こうと決めた。
午前の仕事を終え、私は大急ぎで現場へと急いだ。
こけしは既になくなっていた。
私はこけしが消える場面を目撃できず、少しだけ気落ちした。
こけしが置かれていた場所には、老婆がいた。
齢は八十くらいだろうか。肌は土色、顔はしわくちゃである。
その場に座り込み、両手を合わせている。
「念仏でも唱えているのだろうか」と思い、老婆の後ろを通り過ぎようとした時、
ガリ…ガリ…
背中に嫌な汗がびっしょりと噴き出した。
老婆の方から聞こえてくる、この木を削る音は何だろうか。
恐怖よりも好奇心が上回ってしまい、よせばいいのに、後ろからそっと老婆を覗きこんだ。
老婆が、こけしの顔面を歯で削っていた。
私は声も上げず、全力で走って逃げた。老婆は追ってはこなかったし、声も聞こえなかった。
しかし、一回だけ後ろを振り向いた時、こちらを向いていた老婆の口は、確かにこのように動いていたのだ。
見・た・な、と。