鴉天狗、萌え変化!!
三題創作バトンより、「珈琲、着物、猫」を選びました。
世の中には様々な『もえ』がある。
冥土燃え、妖女萌え、征服萌え、天然も、え?
そんな数ある『もえ』の内、大和の国ではある『もえ』が流行っていた。
その『もえ』とは『人間萌え』
今、大和の国の若者の間では人間族の容姿を真似て化ける人化の術による変化が大流行しており、御伽絵巻や御伽踊画や御伽人形、果てには歌謡舞子までもが皆一様に人化の術で人間へと化けていた。
そもそも人間とは半ば伝説と化した種族であり、七千年前に滅んだとされている。
即ち人間族はすでにこの世から消滅してしまっているということであるが、彼らの遺した様々な文化や技術は現在に至るまで脈々と受け継がれてきた。
まあ、一時期廃れてしまっていたものを、百五十年前の考古学者が遺跡から掘り起こしたことで瞬く間に世界中に広まっていったという方が正しいであろう。
とにかく、大和の国の街中の至るところで人化の術が流行っていた。
珈琲店で午後のひとときをくつろいでいた鴉天狗族の道義藍一郎宗徳は、人化の術で人間に変化した歌謡舞子の写し絵を愛でる猫又族の友人、天ヶ崎五十恵之助を半眼で見ていた。
「可愛いだろ? 猫四姉妹の春子ちゃん……西洋風な人間の変化が良く似合ってるよなぁ。な、宗徳もそう思わないか?」
歌謡舞子の写し絵に破顔する友人が指差す先には西洋人の血が半分混じっている春子という芸名の金髪碧眼の女子がいる。
完全人化ではなくある程度種族の特徴があり、春子は西洋風の人間の姿をしながらも耳と手、尻尾に猫又族の特徴を色濃く残していた。
「髭はないのでござるな……ふむ、人化の術としては完成度が低いような気もするでござるが、西洋の人間の顔立ちは見事にござる」
そもそも猫又族は遥か昔から人間に化けることを得意としている種族である。
この春子という歌謡舞子も得意分野で売り出しているのだろう。
だがしかし、歌謡舞子などというそのようなものに興味がない宗徳にとって歌が上手下手などということはどうでも良いことであった。
「宗徳よー、お前って相変わらず素っ気ないよな。冬乃ちゃんとかお前好みじゃないのか?」
「……どうせなら鴉天狗に化けて欲しいものでござる。某鴉天狗故、人間の何処が良いのかわからぬでござるよ」
宗徳の言葉に五十恵之助がガクッと頭を垂れる。
仕方がないので宗徳は五十恵之助が冬乃と呼んでいた歌謡舞子の写し絵を見るが、やはり感想は同じである。
確かに宗徳好みの艶やかな長い黒髪ではあるが、猫又族の耳を着けた人間よりも鴉天狗族に化けて欲しいものだ。
宗徳の言葉に鴉天狗に変化した冬乃の姿を想像した五十恵之助がげんなりとした表情になった。
鴉天狗族の最大の特徴とも言える猛禽類の鋭い嘴と黒い翼に、猫又族の耳とは想像しても滑稽でしかないのだが、五十恵之助の逞しい想像力でもあまり可愛いとは言い辛い。
せめて嘴を除外すれば何とかなりそうであるが、どうしても目の前にいる宗徳が猫又の耳を着けている姿しか思い浮かべることができなかった。
「まあ、興味のない奴に語ってもしょうがないよな……お前に『萌え』が理解できるとは思えないし」
「そういうことでござる。人間族の遺産は素晴らしいと思うでござるが、あまり現を抜かすと今に伴天連共に喰われてしまうのではござらんか?」
近年西洋で発見された人間の遺産を手に入れた『十文字基督』という超万両役者により世界の芸能事情が変わりつつある。
そもそも一度は失われた人化の術を使い始めたのはこの十文字基督であり、この十年の間に西洋から爆発的に広がってきたのだ。
「まあな。最近は洋服が流行りだし、食い物も洋食ばかりだもんな……この珈琲だって西洋風といえば西洋風だけどな」
文化も西洋から取り入れられたものに取って代わられているが、五十恵之助や宗徳はまだそこまでは感化されてはおらず、伝統ある紋付き袴と和食をこよなく愛する大和男児である。
珈琲よりも緑茶を好む二妖であったが、この店は珈琲店なので仕方がない。
確かに芳ばしい香りの珈琲の方がはいからであり緑茶は地味だが、緑茶には緑茶の良いところがあるとしみじみ感じる。
「うむ、大和撫子には着物が似合うでござる。あのちらりと覗く襟足こそが着物の真髄!! 伴天連の女のように胸元が開いた洋服など破廉恥極まりない故、某は苦手にござる」
五十恵之助が熱を上げる歌謡舞子たちも西洋文化に押され、足を出した洋服や宗徳曰く破廉恥な胸元ばかりになってしまったのが嘆かわしい。
「でもよ、それが流行りなんだよな」
「流行りがなんでござろう。大和の者は奥ゆかしさという心を忘れてしまったのでござろうか……鴉天狗族を見るでござるよ、先祖代々受け継がれてきたこの黒髪も今では染め粉で金色にする始末。金色の鴉なんぞ最早鴉ではないでござる」
「お前ら鴉天狗族はそこんとこ顕著だよなー。猫又族なんか模様は千差万別だからあんまり気にしたことはないけど、確かに西洋かぶれの奴もいるな。今は『亜米利加短毛種』風に染めんのが粋らしいぜ?」
すっかり冷めてしまった珈琲を飲む猫舌の五十恵之助は白黒の斑猫又であり典型的な大和猫である。
窓の外を覗いて見れば着物を着た女子もいるにはいるものの、大抵が年配者ばかりであり、元服髪上げ前の若者に至ってはすでに魑魅魍魎が跋扈している状態だ。
金髪ならまだしも水色や桃色に髪を染め、人化の術で変化した彼らの姿は既に大和の物の怪ですらない。
「最近の若者はとは言いたくない、でござるな」
「俺たちも歳かねー、いやだね親父の仲間入りとか」
「某も既に二十歳を超えておる故、若者の文化にはついていけぬでござるよ」
「よし、そろそろ休憩は終わりにして仕事に戻るか」
「そうでござるな」
珈琲を飲み終えた二妖は勘定を済ますと店を後にすることにした。
この原々宿と呼ばれる繁華街は、ハラジュクと呼ばれていた昔々から最先端の流行が生まれる街として有名であり、たくさんの若い人間族が闊歩していたらしい。
今も流行の発信地となっている原々宿では、宗徳や五十恵之助のように古風な着物を着ている若者は皆無なので逆に目立っており、西洋風の洋服に身を包んだ若者からダサいと笑われることもしばしばだ。
では何故野暮な二妖がそんなところに居るのかというと、たまたま職場が原々宿にあるからにすぎない。
学生時代、原々宿の裏通りで『天喜堂』という古書店を営む五十恵之助の祖父の手伝いとして働いていた二妖がそのまま店子として登用されたのだ。
あまり流行らない古書店ではあるが、古くからの顧客もついているので食いっぱぐれることはない。
しかし新しい顧客は中々つかず、二妖は原々宿の表通りで客寄せの宣伝紙を配っていたというわけである。
「考えてみれば流行を追わなければならない歌謡舞子たちも大変でござるな」
「世間は新しいもの新しいものに飛びつきたがる、か。うちの爺さんもそろそろ考え直さないとダメかもな。今のままじゃ、あと三年ももたないぜ? 」
そうなれば二妖とも路頭に迷うことになる為それだけは避けたい事態だ。
「つまりどうするでござるか? 」
「まあ、あれだな。手っ取り早く俺たちも人化の術で変化して、古書喫茶とかを開けばいいんだよ」
「五十恵之助! 大和男児の心意気を売り渡すのでござるかっ?! 」
宗徳は五十恵之助の正気を疑ったが、五十恵之助はそうじゃないと首を横に振った。
「売り渡すわけじゃないぞ? そもそも人化の術は何も西洋妖怪どもの十八番じゃない。我々猫又族にも伝わる秘術だ。人間族が滅んでから使う必要性がなくなった為に廃れてしまっただけであって、大昔は誰しも使っていたんだぜ? 」
「それはそうでござるが……鴉天狗は人には化けたりなんかしないでござるよ」
「嘘こけ、お前らなんか山伏に化けてたじゃないか。しかも人間族に混じって生活してたんだろ? 」
「痛いところを突くでござるな……それ故鴉天狗族は一度絶滅の危機に瀕したでござるよ。神通力を失ってしまえば某たちはただの鴉でござるからな」
「それを言ったら俺もただの猫だぜ? どうだ宗徳、爺さんも半分隠居してるし、俺たちで天喜堂を立て直してみないか? 」
「この就職難に某を登用していただいた恩義はあるでござるが……大丈夫でござろうか」
「どのみち客がつかねーと潰れちまうんだからやってみようぜ! 」
「……背に腹は変えられないでござる」
しぶしぶであるが同意した宗徳に、五十恵之助は善は急げとばかりに手にしていた広告紙を袋に戻すと渋る宗徳の手を引き路地裏に連れ込む。
「い、今からやるでござるか?! 」
「物は試しだよ! 人化の術がうまくいけば宣伝紙だって貰ってくれると思うぜ」
確かに一生懸命手刷りした宣伝紙をよく読みもせずに捨てられるのは偲びない。
完全に悪巧み状態の五十恵之助もどうかと思った宗徳だったが、物は試しということに自分を納得させてから承諾の返事を返した。
人化の術は術者本妖の本質を人間に置き換える術である為、容姿は変わらない。
つまり、容姿端麗な者は人間になっても容姿端麗であり芋男は人間になっても芋男なのだ。
五十恵之助が印を切り人化の術を施す為に何やら念仏のような言葉を唱えると、するすると毛が薄れ始めて肌色の人間の肌に変化していく。
そして鼻先が尖り、二股にわかれた口が絵で見たような人間の唇に変わったと思ったら瞬く間に人間のそれへと変貌していた。
「どうだ、中々に男前だろ」
「ふむ、目が二つ、鼻が一つ、口も一つの人間にござる」
「あのなぁ、それは当たり前だっての! 人間としてはどうかって聞いてんのよ」
「いわゆる東洋人の顔でござるな!髪が白黒でなんとも面妖ではあるでござるが……」
そもそも人間に興味のない宗徳に聞いた五十恵之助が悪いのだが、もっと言いようがあると思う。
「しかし何故耳を残すでござるか?」
先ほど見た歌謡舞子の写し絵のように猫又族の特徴ある耳を頭につけた五十恵之助は得意そうに鼻を鳴らした。
「これが『猫耳』とかいう萌え要素なんだぜ? なんでも『ちゃーむぽいんと』というらしい」
「鴉天狗の嘴のようなものでござるか」
「いや、そこはお前、翼じゃねぇのか? 人間に嘴とか気持ち悪いだろ、普通……」
人間に嘴など希少種族の河童族に似ていなくもないが、見慣れないので気持ち悪いとしか言いようがない。
宗徳の美的感覚にそこはかとなく不安を感じた五十恵之助だったが気を取り直して人化の術を促した。
「じゃあ次は宗徳の番な……お前、人化の術とか出来んのか?」
「一応修得してはいるでござる……確か、こうやって、こうして……」
猫又族とは違う印を結んだ宗徳は九字を唱えると神通力を込める。
「そう言えば修験者ってのは九字を結ばねぇと術が使えないんだったっけか」
九字の後に改めてお馴染みの人化の術の印を切った宗徳は五十恵之助の見ている前でどんどん人間へと変化していった。
「お前……役者みたいな顔してたんだな」
「某は鴉天狗族の中では男前な方でござるからな。このような顔が男前ということは……五十恵之助も少々濃ゆい顔でござるが十分男前でござる」
「あ、そう。そりゃあどうも」
窓硝子に映った姿を確認しながらうんうんと頷く宗徳は、あれほど渋っていたわりには満足そうにしている。
鴉天狗族の醜美などよくわからない猫又族の五十恵之助は今まで気にしたことはなかったが、人間に変化した宗徳はかなりの美男子だった。
特徴ある嘴は綺麗さっぱりなくなり、羽毛の欠片もない肌は五十恵之助と同じく肌色だが、目は切れ長で鼻筋も通っている。
しかも鴉の濡れ羽色の艶やかな黒髪は肩口まで伸びており、見た目は本当に役者のようだ。
大きな違いと言えば、背中に生えた黒い翼であり、七千年前に人間族と共に滅びたという堕天使族によく似ていた。
「羽毛がないと心許ないでござる」
「人間に羽毛があったら気味悪いだろ! しかし着物ってのがなんとも間抜けだな……どうする? 」
「某はこれでいいでござる! 西洋かぶれの服など絶対に着ないでござるよ! 」
「まあ試しだしな。よし、これで宣伝紙を配ってみよう! 古書喫茶はまだ出来るかわかんねぇから、店に来てくれたら俺たちがお相手致しますってことで」
「ううぅっ、鳥肌が立つでござる」
「さーて、仕事仕事。良いお客様がきますよーに! 」
微妙な駄洒落をかましたが五十恵之助から完全に無視され、とぼとぼと後をついていく宗徳だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
宗徳と五十恵之助が人化の術で変化して古書店の宣伝紙を配ってから一週間、天喜堂古書店にある変化があった。
いつもは閑散として陰鬱な店内には若い女子が入れ替わり立ち替わりやってきては変化した宗徳にチラチラと視線を寄こし、愛想のいい五十恵之助に親しげに話しかける。
売り上げは微妙に上がったくらいでさほど変わらないが、店で揃えている古書の中でも人間族の生活習慣やお洒落を取り扱った古い雑誌などが多少売れていた。
たかが雑誌といえど、七千年前の人間族の遺産である。
大量に発掘されてあまり価値のないものであっても一冊数千大和貨幣はする代物であるため、女子たちは専ら立ち読みにふけっていた。
「五十恵之助さん、あのー、私にも簡単にできる変化って何かありませんか? 」
勇気を出して話しかけてきたのであろう妖狐族の少女が恥ずかしそうに髭をピクピクさせている。
妖狐族といえば猫又族に負けず劣らず人化の術を得意としてきた種族であるが、この妖狐族の少女はそのままの姿だ。
「変化っていってもたくさんあるんだけど、今流行りの人間になるのかい? 」
「はいっ! 私、上手く変化できなくて、この前五十恵之助さんから変化の方法を教えてもらった子から聞いてきたんです」
なるほど、確かに五十恵之助は何妖かの客に請われて人化の術を教えてやったが、その噂を聞きつけてきたようだ。
「完全に人間になるのかい? それとも『萌え』要素を残す? そのふわふわな尾っぽは隠すのがもったいないよね」
何の儲けにもならないがこれも商売だと割り切っている五十恵之助は、少女が望む通りの術を教えるべく少しだけ質問をする。すると少女ははにかみながら「お耳と尻尾を残したい」と言ってきた。
「うんうん、やっぱり耳は残すべき『萌え』だよね。それじゃあ、まず印を結ぼうか……」
手取り足取り懇切丁寧に教え始めた五十恵之助を尻目に黙々と本棚の整理をする宗徳は、未だ慣れない人間のつるつるとした肌に時折鳥肌を立てながらその様子を観察していた。
妖狐族特有の印を何故猫又族の五十恵之助が知っているのか不思議だが、教え方がうまいのか少女の姿がみるみるうちに人間へと変貌していく。
やがて変化を終えた妖狐族の少女は、巾着袋から取り出した手鏡で自分の姿を確認してから歓声をあげた。
ご要望通りの狐耳に狐の尻尾の生えた人間になれたことが嬉しいのかぴょんぴょん跳ねている。
「そちらのお嬢さんはどんなのがお好みだい? 」
妖狐族の少女と一緒に来ていた犬神族の少女はもじもじとしながら宗徳の方を伺った。
宗徳に気があるのかと思いきや、どうやらそうではなく宗徳の背中から生えている大きな翼に興味があるようだ。
その所為か犬神族の少女に目を向けていた宗徳とまったく視線が合わない。
「堕天使ってかっこいいですよねっ!! 私は犬神族ですけど、堕天使族の変化って可能ですか? 」
「なるほど、翼萌えか……。少し難しいけどやる価値はあると思うけど、確か犬神族は九字を使うんだったね」
「はい、あまり得意ではありませんけど……」
自信なさげな犬神族の少女の耳がぺこんと垂れる。
そんな少女から何故か宗徳に目を移した五十恵之助はこっちへ来いと手招きをした。
宗徳は嫌な予感しかしなかったので無視を決め込もうと考えたが、少女の尻尾までが垂れてきたのを見てやれやれと肩をすくめると五十恵之助たちの元へと歩み寄る。
「九字を教えるのは某の方がよかろう」
この時初めて少女が宗徳の顔を認識し、そして耳と尻尾をピンと立てた。
変化した妖狐族の少女も頬を染めてあんぐりと口を開けている。
「いいでござるか? まず完全人化の術で人間の姿になってから、もう一度今度は翼をつける為の術を施すでござる」
人間としては超絶色男な宗徳をぼーっとした表情で見ていた犬神族の少女は、はっと気をとりなおして不安げに呟く。
「私も桃希ちゃんと同じで変化が得意じゃなくて……二回も続けて術をかけても大丈夫でしょうか? 」
「慣れていないと一回ではできぬでござろう。不安であれば某が術をかけてもいいでござるが数日しか持たぬ故、自分で覚えたいのであれば手間のかかる方法しかござらんのだ」
超絶色男な容姿と今では老物の怪しか使わない言葉遣いの宗徳のちぐはぐさが妙に合っているのがおかしい。
しかし真面目な宗徳は五十恵之助のようにくだけた話し方はできないのだ。
「が、頑張ります! 」
「うむ、九字は使えた方が便利でござるからな。それでは臨の印を結んで」
「はっ、はい……えっと、臨! 」
何度かやり直しながらも二回目の変化を成功させた犬神族の少女の背中に無事翼が生えると、周りで様子を伺っていた客からパチパチと拍手が沸き起こる。
まさか自分たちが注目されているとは気がついていなかった宗徳は、慌てて本棚を整理する作業に戻る。その場に残された少女は見事に生えた翼をわさわさとはためかせた。
「すごいじゃん逸子! 帰ったらいっぱい練習しなきゃね」
「う、うん……でも翼が白いんだけど、堕天使族って黒い翼じゃなかったかな? 」
少女の背中に生えた翼は純白で、まるで天使族のようだ。
「多分君の元々の毛の色を利用したんだね。自由に色を変えるのも難しいんだよ」
説明もせずに脱兎の如く逃げ出した純情な宗徳に代わって五十恵之助が付け加える。
「ちなみにあいつは鴉天狗だからそのまま黒い翼なんだ」
「えっ? 堕天使族じゃないの? あの妖」
「堕天使族は人間族と同じで滅んでしまった種族だからね。超絶色男なところまで文献にある通り堕天使族に似てるけど、れっきとした鴉だよ」
「役者みたーい」と声を揃えた少女たちの黄色い声が聞こえたのか、ますます店の奥へと引っ込んでしまった宗徳に五十恵之助は豪快に笑った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
それからひと月くらい経った今でも人化の術を学びにやってくる女子で賑わい、店の方は相変わらず微妙な売り上げだった。しかしそんな折、ある一妖の中年物の怪が二妖を訪ねてきたことから状況は一変することになる。
「おーい、そろそろ店閉めるぜ! 」
「もうそんな時刻でござるか」
太陽が沈み、暗闇が迫ってきた黄昏時になり客の足が途絶えたところで、五十恵之助は建て付けの悪い店の鎧戸をガタガタといわせながら閉めようとしていた。
そんな時だ、
「あのーすみません。お店、まだ大丈夫ですか? 」
冴えない着物の冴えない中年化狸族の男が一妖、店の前に立っていた。
「おや、お客さん、何かお探しですか? 」
冷やかしではなさそうな男だったので、五十恵之助は愛想良く鎧戸を開けると店内へと促す。
人間族の変化姿が珍しいのかしげしげと見つめてくる男に、原々宿にはそぐわない感じの男だと五十恵之助も相手を値踏みした。
「あ、すみません。失礼します」
「宗徳、お客さん来たから灯りをつけてくれ」
宗徳が行燈に灯りを灯すと、冴えない男の顔色が多少良くなったような気がした。それにしてもくたびれた様子の客である。
「今流行りの人間族の文化を扱った古書なら手前にあるでござるよ」
宗徳も客の様子が気になったのかわざわざ奥から出てきた。
まだ人化の術を解いていないので人間の容姿をしていたのだが、その姿を見た途端に冴えない男が冴えた。
というか、いきなり「おおおおおおぉぉぉぉっ!!!」と叫び始めたので、驚いた二妖は男から間合いをとる。
「な、何でござるか?! 」
「き、君ぃぃぃぃぃぃ、君だよ、君!! 名前、何て言うの? 年齢は? 彼女いるの? 」
男の血走った目にびびる宗徳に、化狸族の男はじりじりと近寄りながら巷でよくある変質者のような質問をしてきた。
「某、男にござる! そういう趣味は持ち合わせてござらんっ!! 」
はたきを構えるが心許なく、今にも飛びかかってきそうな男から逃れようと宗徳は五十恵之助に助けを求める。
「番屋、番屋に走るでござるー! 」
「待ってろ宗徳っ、無事に逃げ切れよ!! 」
転びそうになりながら店外へと出ようとした五十恵之助の着物の裾を、男が掴んで慌てて引っ張る。男を引きずった形でばったりとこけた五十恵之助は、男の必死な形相にジタバタと暴れた。
「な、何すんだ、てめぇ! 」
「ば、番屋は、待って、待ってくださいっ! 私は怪しい妖ではありません、芸能事務所の妖発掘者です! 貴方たちを発掘しに来たんですよ!! 」
「は? 発掘? てめぇ、嘘も休み休み言えよ? ここは原々宿の吹き溜まり、表通りはあっち……なんだ、新手の強盗か? 」
顔面を強打した五十恵之助が額を赤くしながら自称妖発掘者の男に凄むと、男はすみませんすみませんと土下座する勢いで謝り倒し、懐から名刺を差し出してきた。
「煌々星芸能事務所? 何か聞いたことある名前でござるな」
男が差し出した名刺を恐る恐る手にした宗徳は、思い出そうと記憶の引き出しをさぐる。
(どこで聞いたか、煌々星煌々星……うむ、わからん)
「これ、やっぱり詐欺だわ。煌々星芸能事務所っていったら猫四姉妹の所属事務所だぜ? こんな場末の古書店に発掘だ? 番屋に行こうぜ」
しこたまこかされた五十恵之助は番屋に突き出す気満々である。
「すみません、違いますからっ! 今から事務所に行きましょう、ね、そうしましょう。六十本木の事務所に来て下さいよ。私は貴方たちの噂を聞いてやってきたんですよ。女学生の間では有名なんですよ? 優れた術者で人化の術を教えてくれるって、しかも無料で、おまけに超絶色男だってー!! 貴方たちのことですよね? もし本当なら助けて欲しいんですっ、その術で我々の事務所を助けてください」
「わ、私からもお願いしますっ!! どうか私たちを助けてくださいっ!! 」
いきなり割り込んできた第三者の声に宗徳と五十恵之助が振り向くと、店の出入り口に四妖の女子が立っていた。
その容姿は芸能事情に疎い宗徳も見た事がある、煌々星事務所の看板娘『猫四姉妹』の春子、夏美、秋菜、冬乃にそっくりである。
ただし彼女たちと大きく違うことが一つ。
彼女たちの萌え要素である耳や尻尾がなかった。
「君たちっ、どうしてここに! 」
「だって社長だけじゃ不安で……もう何日も寝てないじゃないですか」
「社長が倒れてしまったら煌々星芸能事務所はお終いですわ!! 」
春子と夏美が化狸族の男に駆け寄ると冬乃が深々と頭を下げた。
「社長の神宮司が失礼しました。申し訳ございません」
「社長の神宮司って……あんた、本当に煌々星芸能事務所の神宮司公照社長なわけ? 」
五十恵之助は半信半疑で名刺と化狸族の男を見る。確かに名刺にも神宮司公照と書いてあった。
「芸能事務所社長がこのようなボロ古書店に何の話があるってんだよ」
「いきなりでごめんね、でもあたしたち本当に困ってるの……だから助けてよ、あたしたちに変化を教えて! 」
秋菜が泣きそうな声で言った言葉に、宗徳と五十恵之助の頭の中は疑問符でいっぱいになる。
(何故、変化? )
というか、そもそも猫四姉妹は人化の術で変化し、猫耳尻尾の人間萌えで売れた歌謡舞子である。
今さらなんでという疑問しかわかない。
完全人化を施しているように見えて何処か違和感を感じた宗徳が、密かに九字を切り隠形暴露の術で四妖を見るが、どこにもおかしいところはなく立派な人間の姿だった。
そしてそのことに気がついた宗徳は愕然とする。
(おかしい、人間の姿のままとは……そんなまさか? )
「そういうことでござるか……神宮司殿とやら、彼女たちに変化を教えるのは無理でござる」
「どういうことだ宗徳? 」
「そんなっ、どんな者でも変化が使える様になると聞いておりますっ、どうか、彼女たちに……」
「人、にござろう? 彼女たちは人間にござる。人間族に伝わる神通力は廃れ申した……かつて人間と交わり人間と暮らした鴉天狗とて、それだけはできぬでござるよ」
彼女たちは人化の術で変化しているのではなく、人間そのままの姿に何らかの方法で猫耳尻尾をつけていたのだろう。
人間の本質は人間である。
人間が神々と通じていた時代から七千年、人間が使いこなしていたという神通力はもうない。
「人間って、確かに七千年前に滅びたんじゃなかったのか……」
五十恵之助は信じられないようなものを見たとばかりに猫四姉妹と宗徳を交互に見るが、それから真っ青な顔になってキョロキョロと辺りを見回した。当然、化かし合いなどではない。
「とりあえず、店の奥に行こうか? なんか込み入った事情があるみたいだし、店閉めてくるわ」
憧れの猫又であったはずの春子が人間だったとはかなりの衝撃である。しかし泣きそうな彼女たちを放り出せるほど五十恵之助は非情ではない。
五十恵之助が店の鎧戸を閉めに行っている間に、奥の畳貼りの部屋に五妖を通した宗徳は、厄介な問題を抱えて込んでしまったなとぼんやりと考える。
「あの、誤解を与えたくはないのですが、私たちは人間族ではありません」
まとめ役の春子が湯呑みにお茶を注ぐ宗徳を手伝いながらポツリとこぼす。
写し絵ではわからなかったが、本人を目の前にするとほっそりとした身体つきに大きな青い目が印象的だ。
(あの金髪はふわふわだったのか)
「では人間に近い種族でござるか?」
別に人間であることが悪いわけではないが、滅びた種族がいきなり現れたら世間の反応が怖すぎる。
宗徳が返事を待っていると、後ろから冬乃の声がした。
「私たちは妖怪です……でも、昔々に人間と交わり生きてきた妖怪たちの成れの果て、先祖かえりをした妖怪なんです! 」
鴉天狗に似た艶の黒髪から、もしかしたら冬乃は鴉天狗なのだろうかと宗徳は思った。
「そうでござったか。そう警戒しないでくだされ。別に裁こうと思うてはござらぬ、見世物にするつもりもござらぬ……某、芸能事情には疎い故、貴女方が人間でも妖怪でも気にしないでござるよ」
そういうと宗徳は背中の翼を消して全くの人間と同じ姿になった。
「ほら、これでお揃いにござる」
警戒している冬乃を少しでも安心させる為に珍しく笑ってみせたのだが、そんな宗徳を見た冬乃は慌てて踵を返して控え室へと戻っていってしまった。
「貴方、天然のたらしね」
「そんなこと言われたのは初めてでござる」
「その容姿だし、案外売れるんじゃないかしら」
春子の謎めいた言い草に売れるとは何が、と疑問に思った宗徳が人数分の湯呑みを持って控え室に入ると、そこには先ほどとはうって変わり満面の笑みの五十恵之助が化狸の神宮司と握手をしていた。
「宗徳っ、俺たちの店はこれで大丈夫だっ! 」
「いきなりなんでござるか……これは、契約書? 」
宗徳の面前に分厚い紙束を見せつけてきた五十恵之助に宗徳はどういうことかと神宮司を見る。
「彼女たちに変化を施していた術者が入院したんだと。で、繋ぎに俺たちを雇いたいってそういうこと。半年だけだし、妖助けだと思ってやってみようぜ」
「待つでござるっ!! おいしい話には裏があるでござる……それに、それに」
既に変化させて猫耳尻尾を手に入れた秋菜が、茶色の髪から伸びた耳をピコピコと動かして夏美と一緒にはしゃいでいる。
そんな夏美は何故か九尾の妖狐の変化であった。
「ああ、夏美殿は本当は妖狐族だったのでござるか。古の葛の葉姫のごとき見事な銀髪にござるな」
「あら、わかりますの? その通り、わたくしは妖狐族ですわ」
そんな感想を漏らした宗徳に五十恵之助が「言ったでしょう、こいつは術者としては俺よりも格上なんです」としたり顔で神宮司に説明するのを聞いてげんなりとした。
「私もわかる? 難しいわよ」
春子が宗徳を挑発するように胸をそらすと洋服の隙間か、谷間がちらりと覗いた。
「は、春子殿は犬神族と西洋の狼族が混じってござるな」
微妙に春子から目をそらした宗徳がドギマギしながら答えると、春子が目を丸くして口笛を吹いた。
「おっどろいた、やるじゃない堕天使。妹の言った通りねー。この間ここに犬神族の逸子っていう女の子が来たでしょ? 貴方から天使族の変化を習ったって私に教えてくれたの、逸子なのよ」
「そうでござったか……慣れないことはするものではござらんな」
その所為で転がり込んできた面倒なのか、と溜め息を吐いた宗徳が視線を感じて顔を上げると、冬乃がまたこちらを見ていた。
「……冬乃殿も変化するでござるか? 某と同族なのでござろう」
「仕事でもないのに変化などしません」
「それもそうでござるな。では某、失礼して元の姿に戻ってもようござろうか」
「いや、だめだめ、宗徳くんだったよね? 君はそのままでいいから」
宗徳が鴉天狗の姿に戻ろうとすると、五十恵之助と話し込んでいた神宮司が止めに入った。
その目は舐めるように宗徳を見ており、背筋にぞぞっと悪寒が走った宗徳が思わず後ずさる。
「宗徳くん、君、いいね! 歌謡舞士になりたいとか思ったこととかないのかな? 」
「興味ないでござる」
「益荒男武士とか、もしかしたら十文字基督とか、君なら今をときめく超万両役者も夢じゃないよ? 役者でもいいからさ、ね? 」
「某には本に囲まれた生活の方が魅力的にござる」
「そんなぁ……とりあえず書類は渡しておくからさ、考えてみてよ」
この狸親父がとも思わなくもない神宮司の豹変っぷりに、いささか呆れた宗徳は神宮司から差し出された書類をお義理で受け取った。
「もったいねぇけどそれが宗徳だからな。神宮司さん、こいつは本当に興味あることしかやらないやつだから多分諦めた方がいいですよ。でもよ、宗徳。店の為だから臨時術者の契約はしてくれよ」
「それはしかし、慎重になるべきかと」
「頼む宗徳、この就職難の時代に爺さんに救われた恩義があるだろ? 俺の代でこの店を潰すわけにはいかないんだよ! 」
それを言われてしまうと断り難い。
宗徳を雇ってくれた恩義もあれば、この店を潰したくないという思いもある。
宗徳はしばし考え、そして結論を出した。
乗りかかった船というか、天の助けというか、きちんとした契約でお金が入るならそれに越したことはない。
「契約書をよく読むでござるよ。すぐに、とは無理であるからにして……変化が切れる三日後までに回答する、でよいでござるな? 」
「おうっ、ありがとな宗徳!! 」
「とりあえず猫又族の変化でよいでござるか? 」
「はいっ、ありがとうございます」
宗徳と五十恵之助が猫四姉妹の面々をそれぞれ変化させ、いつもの猫耳尻尾をつけた姿を保たせる為に特殊な印を結ぶ。
「先ほどは失礼したでござる」
宗徳が見るに、冬乃は人間のような自分を恥じているように思えた。
それをいきなり指摘されては嫌だっただろうと非礼を詫びる。
「いつものことですから……」
鴉天狗族に生まれながら人間のような容姿では、宗徳には計り知れない苦労があったはずだ。
冬乃にとって人化の術が流行ったことは朗報であったに違いない。
「それにしても艶やかな髪にござるな……某の髪色に似ていながら、まったく違う美しい髪にござる」
超絶色男な宗徳からそう言われて恥ずかしくならない女子はいないだろう。
しかし自覚のない宗徳はといえば、初めて生で見る歌謡舞子の可愛さに圧倒されていた。
五十恵之助には歌謡舞子などに興味はないと言ったものの、前言撤回したいくらいだ。
「冬乃殿、心配なされるな。冬乃殿は某と同族故に術が保たれ易いでござって、そう簡単に解けたりしないと保証するでござる」
「……貴方は、修験者の修行をしたのですか? 」
九字を唱えた宗徳に冬乃が尋ねてきた。
「没落してはいても、道義家の鴉天狗にござる。修行など今時珍しいでござろう? 厳しい修行でござったが、こうしてお役に立てたでござるな」
冬乃のさらさらな黒髪が鴉の濡れ羽色に煌き、術と共にぴょこんと猫耳が現れ、お尻の付け根から尻尾がにょろりと生えてくる。
違和感はないのか確かめてもらい、その出来栄えに満足した宗徳が大丈夫だと太鼓判を押した。
「……あの、ありがとうございました」
「たいしたことではござらぬよ。もし不具合があればこの札で凌げるはずでござる」
鴉天狗族が使用する九字を書き記した札を何枚か渡すと、もじもじとしながらも冬乃は受け取ってくれた。
(か、可愛い……)
冬乃が鴉天狗族である為にそのように思ってしまうのかわからないが、人間の姿をして猫耳尻尾がついていてもそれはそれで可愛かった。
「よし、完璧!! 宗徳の方は終わったのか? 」
「終わったでござる」
五十恵之助の方を見ると春子と夏美がそれぞれいつもの姿になっていた。
「本当に助かりました……五十恵之助さん、宗徳さん、良い返事をお待ちしております」
冴えない化狸族の中年男に戻った神宮司が深々と頭を下げると、猫四姉妹たちも頭を下げた。
夜も更けた原々宿街に消えていった五妖に、宗徳はまるで狸に化かされた後のような気持ちになる。
「朝になったら契約書が葉っぱになっているかもしれないでござるな」
「俺もそう思った……あの猫四姉妹だぜ? 春子ちゃん可愛かったなぁ」
鼻の下を伸ばしている五十恵之助を尻目に、これから一抱えほどある契約書を読まなければならないことに疲労感を覚えた宗徳ほ、気になっていたことを五十恵之助にも聞いてみようとそれを口にした。
「先祖かえり、とは本当なのであろうか」
「微かにだけど秋菜ちゃんから猫又族特有の妖力を感じたぜ? 冬乃ちゃんだってそうだったろ」
「あのように蜘蛛の糸のような細い神通力しか持たぬとは……今まで難儀であったでござろうなぁ」
凛とした冬乃の手助けができるならばしてあげたい、いや、したいと思う。
「だから、助けようぜ? 俺たちの術が少しでも役に立つなら術者冥利に尽きるだろ」
「五十恵之助は前向きでござるな」
「お前が後ろ向きなんだよ」
だんだんと妖力や神通力が失われ、様々な術が廃れてゆく中で、類稀なる力を持って生まれてきた鴉天狗族の宗徳と猫又族の五十恵之助。
これから半年間、様々な妖怪模様を垣間見ることになる二妖が、半年後に天喜堂古書店というそのままの名前の萌え変化歌謡舞士になることは運命なのかそうでないのか。
原々宿の夜はますます更けていくのであった。