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鴻上探偵事務所  作者:
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釈迦戸くん、己を省みる・壱



「えー……百田(ももた)くんはしばらく病院で静養するそうだ。その間、臨時でクラス委員は花柳(はなやぎ)にやってもらうから。よろしくなー花柳」

「わかりました」

 教室に間延びした担任教師の声が響く。一時限目は臨時でホームルームとなり、百田が昨晩急に体調を崩して緊急入院したことがクラス全員に知らされた。

 その言葉を、まるで水面の向こうから聞くように、(いぶき)は曖昧な気持ちで聞いた。

 昨日から、こんな調子だ。柘榴(ざくろ)にさえ心配されてしまうほど、命の感情は有耶無耶なまま、戻らない。

 現実逃避をしているのだと、遠い意識では自覚している。こんな感傷に流されている場合ではないことも。

『ねえ、命くん……これは想定内でしょう? 寧ろ今までこんな状況にならなかったことが不思議なんだから、君が責任を感じることはないんだよ』

 柘榴の部屋から覚束ない足取りで出ていく命に、苦笑を滲ませた声音で柘榴は言った。

 それでも、命の心は晴れることはない。己の愚かさは己がよく知っている。今回の件も、命の過信が招いた結果だと、知っている。

高崎(たかさき)くん」

 ホームルームが終わり、担任教師が出て行ったあと、やつれた様子の花柳が命の席の前に立った。微笑を湛えた口元は、如実に感情をあらわしている。

「私があの時邪魔しなかったら……(しおり)はあんなことにならなかった……よね」

「いや……違う。花柳が居なかったら、あそこで三人とも、お陀仏だったよ」

 突然のことに教室中の生徒が騒然とする中、命は不自然に凪いだ心で機械的に頷く。

 右隣の男子生徒が、命と花柳の会話を漏れ聞いたのか、椅子を引いて上半身だけを傾けてきた。

「なあ、やっぱり百田のヤツ、この学校に憑いてる幽霊にやられたって噂、お前ら信じてんのか?」

「ええっ、もうそんな変な噂流れてんの? アンタら最低!」

 からかう口調で訊いてきた男子生徒に、花柳が食ってかかる。

 花柳のあまりの剣幕に、しまったと思ったのか、男子生徒が慌てて弁解する。

「ちっ、ちげえよ! 誰か知らねえけど、昨日寮の廊下でこそこそ言ってるヤツが居たから……」

「誰よ! 私がとっちめてやるわ!」

「あっ、おい! ……ったくよー、相変わらずだよな~花柳って」

「アイツって、いつもああなのか?」

 自習だったが、授業中だというのに鼻息荒く教室を飛び出していった花柳に溜息を吐いて、命は男子生徒に訊ねた。

 思えば、編入してから、花柳以外の生徒と話すのは初めてだった。

 男子生徒は、命に声をかけられたことに驚いたように目を見開いたが、すぐに笑顔になって頷いた。

「なんだ、怖いヤツかと思ったけど、案外普通なんだな、高崎って。俺、飯田(いいだ)

「よろしく、飯田」

「花柳はいつもあんな感じだぜ。喜怒哀楽が激しいっていうか……特に、百田とは仲良かったみたいだしな」

 ふわふわとふらついていた心が、徐々に戻ってくるのを感じた。命は調査員の顔に戻りつつある己を自覚しながら、男子生徒――飯田に訊いた。

「最近、百田の様子変じゃなかったか?」

「変と言われれば、変だったなぁ……明るいヤツだったのに、夏休み明けて会ってみたら別人みたいだった。暗いというか、怒りっぽくなってて、ちょっと百田に文句言っただけなのに、キレられたヤツいたっけ」

「ふうん……」

「そう言えば、花柳も最近、百田になんか話しかけてキレられっぱなしだったな~。やめときゃいいのに」

「他に、百田みたいに変わった生徒とかもいたのか?」

「うーん……イライラしてるヤツなら一杯いるけどな。ここ、進学クラスだし、もうそろそろ本気ださなきゃヤバいし」

「そうか……」

 ターゲットが複数でなくて良かった。どうやら、百田に憑いていたモノ以外には、害になるような存在は居ないらしい。

 鈍く、考えることが億劫なことは変わらないけれど、柘榴に言われた通り、これは想定内の出来事だった。

 未だに解体業者以外に死人が出ていないことの方が意外なほど、この学園内は霊障が頻発している。――このまま放置すれば、間違いなく誰かが引きずられる。


『百田さんはぼくがちゃんと、治療してくるから、君は頑張って調査続けておいてね。君がへこんでる間にも、ヤツは次の獲物を探しているよ?』

 今朝、百田が入院している病院に行ってくると柘榴から携帯に電話があった。その時に、言われた言葉が脳内を駆け巡る。

 命が自分を責めて虚しい悔恨の情に流されている間にも、次の犠牲者が出るかもしれない。――今度は絶対、助けたい。

『大人は卑怯だね』

 昨日の事件で濁されたままだった、柘榴の言葉が不意に蘇る。そう言えば、あの言葉の真意を訊ねるのを忘れていた。

 柘榴にも、結局迷惑をかけてばかりだ。依頼人である教頭の叱責も、百田に対するアフターケアも、すべて柘榴が引き受けてくれた。

「だって、こういう役回りは所長の仕事でしょ?」と、茶目っ気たっぷりに言われてしまえば、言葉もない。この仕事につく前は、命もそう思っていたのだから。

 頼り甲斐のある上司だと、思えた。今回のことがなければ、柘榴のことをそう思えたかはわからないけれど……。


「なあ、高崎ー。今日昼一緒にメシ食いに行こうぜー」

「ああ、いいよ」

 命は飯田の後に続きながら、再び旧校舎に行く算段を頭で巡らせた。



 ※ ※ ※



 浅葉高校の近くの駅から十分程度の距離に、「浅黄卍(あさぎまんじ)総合病院」という病院がある。

 もう何十年も昔からこの地にある建物は、所々ひび割れ、外装が剥がれ落ち、老朽化していた。

 百田栞はこの病院の内科病棟の三階、三〇五号室の個室に入院している。教頭から渡されたメモを見ながら、柘榴は疲労で強張った首を巡らす。

 柘榴は今日一日非番にしてもらっている。もしなにか不測の事態が起きても、すぐに対応できる身でいること。柘榴には必要な時間だった。

「なんとまぁ……これまた如何にも出そう――というか、もういること決定な病院だなぁ」

 玄関から室内に入った途端、圧し掛かるように霊たちの気配が伝わってくる。浮幽霊が殆どだが、中には妖質を帯び始めているモノや、地縛霊の姿も確認出来る。

「ここ、早くお祓いしないと死の病院とか異名ついちゃいそうだ……」

 帰りに、それとなく院長か誰かに申し出てみようか。そんなことを考えつつ、エレベーターで三階まで昇り、古びたリノリウムの廊下を歩く。

 消毒薬と、医薬品が混ざった独特なにおい。それと微かに香る――死臭。常人ならば気づかないであろうその臭いに、柘榴は顔を顰める。こびりついた死臭は、中々消えない。……人の念と、同じように。

 取りとめのないことを考えている内に、三〇五号室前に着いた。ドアの横に掲げられた名札を確認する。「百田栞」。三回ノックする。返事はない。

「失礼します。浅葉高校の上島(うえしま)です」

 誰も居ないとわかっていたが、一応そう言いながら柘榴はドアを開けた。途端、濃厚な妖気が柘榴を包む。柘榴は思わず嘆息した。

「これは――ひどい」

 人の身に、これだけ厖大な妖気を長時間溜め込んでいた代償は大きい。二か月以上も(あやかし)に憑かれていたのだ、無理もない。

 窓際近くに設置されたベッドから、濃霧のように妖気と邪気が立ち昇っている。柘榴の視界には、その余計なモノのせいで彼女の姿は確認できない。柘榴はそっと、目を一度瞑り、視えすぎる瞳を一時的に鈍くした。

「……こんにちは、百田さん。君と会うのは初めてだね。僕が授業で行った時、君は体調不良で保健室にいたから」

 薄らと、気配は感じるが、視界に邪魔な存在は消えた。柔らかな午後の日差しが降り注ぐ病室で、百田栞はベッドに横たわっていた。

 学校の資料で見た時とは、別人のようだ。頬はこけ、顔色は悪く、生気の感じられない表情で眠っている。以前は闊達(かったつ)で柔和で、誰にも優しかったと聞いている。その彼女が、こんなにも面変わりしてしまうなんて――。一体、彼女はなにをそんなに、妖に憑かれてしまうほどに、思い悩んでいたのだろうか。

「君は、どうして妖なんかに隙を見せてしまったんだい? 教えてごらん……」

 室内に一つだけあった備え付けのパイプ椅子を引き寄せ、柘榴は優しく囁いた。苦悩を刻んだ百田の眉間に右手を翳し、柘榴はゆっくり意識を集中させる。

 他人の精神へ這入りこむという行為は、高位の術師でも滅多にやらない非常に危険なものだ。下手を打てば、這入りこんだ方も相手も廃人になってしまう。

 柘榴の右手が、じんわりと発光しはじめる。柘榴の霊力が百田の思考に浸透していき、徐々に張り巡らされていた壁のようなものが溶けていく。柘榴の精神が、ふわりと身体から軽々と離れ、浮かぶ。

 身軽な感覚を懐かしいと感じながら、柘榴は百田の精神に出来た間隙を突いて、刺激をなるべく与えないようにするりと彼女の精神世界に侵入した。


 百田栞が、何もない真っ暗な深淵で独りぽつんと、佇んでいる。俯き、顔は見えない。しかし、足下に落ちる光る雫から、彼女が泣いているのだとわかる。

 悲痛な声で、百田は柘榴の存在になど目もくれず、泣いている。魂から、身体中から、悲しみを、罪の意識を、感じているのだと咽び泣いている。

 気を抜けば、意識が持っていかれるほどの哀憐の情がこの深淵――百田栞の精神世界には溢れている。悲しみばかりが、彼女を包み込み、嘆きばかりを彼女に与える。

「一つの感情にばかり、捉われている……いけないよ、百田さん。このままだと、君は自我まで手放してしまう。――友達が悲しむよ」

 柘榴がそう言った瞬間――百田の様子が一変する。哀しみの感情を上書きするように、怒涛の勢いで怒りの感情が深淵の奥底から湧き上がってくる。俯いていた彼女の顔が、いつの間にか柘榴に向いている。憎悪と悲哀に満ち充ちた双眸は、真っ直ぐに柘榴の視線を捕らえて放さない。

『友達? 友達なんか私には居ない……クラス委員で真面目なクラスメート。皆にはそれだけ。成績以外には無関心なクラスメートばっかり……彼女だけは違ったのに。彼女だけは違って……やっと親友が出来たと思ったのに……私が全部台無しに……台無し……全部、台無し……』

「台無し? 彼女って……」

 要領を得ない百田の言葉は、魂の底からの叫びだ。心の中に直接響くように伝わってくる罪悪感と、 友達に対する贖罪の気持ち。

 爛々と光らせた瞳に涙を溢れさせて、百田栞は柘榴に飛びかかった。

『ああ……こころ……私がすべて悪いの……ごめんなさい……ごめんなさい……』

「……やっぱ、り」

 女の子とは思えない握力で、百田は柘榴の首を締め上げる。ぎりぎりと万力のような力で柘榴を締め上げながら、百田は「ごめんなさい」を繰り返す。

 渦巻くような感情が具現化して、二人の周りを回転する。深淵は今や百田自身の記憶で溢れかえって、様々な映像が走馬灯のように巡っていく。

 元気だった頃の百田が女子生徒と微笑み合っている。泣いている。怒っている。そしてまた、笑い合っている。殆どはとても温かな思い出で、暖色に囲まれ、寒々とした精神の深淵にひと時の安らぎを与えてくれる。

 しかし、徐々に雲行きは怪しくなっていった。

 夜の旧校舎で、咽び泣く百田と、彼女を背後に庇うように立ち、前を真っ直ぐ睨みつけている女子生徒が映る。その記憶から、段々と影が縁を彩り、暗く淀んでいく。女子生徒はあの夜から別人のようになり、百田に冷たい笑顔でしか笑ってくれなくなった。冷酷な、別人――何かに憑かれたように、がらりと性格が変わってしまった。

『こころ……こころ……』

 柘榴の首にかかっていた百田の手が、がっくりと落ちる。柘榴に馬乗りになったまま、百田は何度もその女生徒の名前を呼んだ。

「そうか。花柳こころが、ね……」

 すべての懊悩を晒すことで、百田の精神は落ち着きを取り戻していった。

 凪いだ水面のように静かになった瞳で、百田は柘榴を見下ろした。

『……助けて、こころを……』

「まぁ……君の思ったようなハッピーエンドではないと思うけど、なるべく頑張ってはみるよ。だから、君はゆっくりお休み。すべての苦痛と疲労と罪悪感はぼくが癒してあげるから――」

 柘榴の唇から、力を込めた「言霊(ことだま)」が飛び出す。柔らかな癒しの光を帯びたそれは、疲れ果てた百田の精神世界を明るく照らし出した。

 光のない深淵だった場所に、生気が宿る。柘榴の癒しの言葉で形成された光は、百田の傷ついた心をゆっくり、確実に浄化していった。

「これでよし。君はもう大丈夫。あとは――おっと、命くんが危ないな」

 ふと、まるで居眠りから目覚めるように、柘榴の意識は元の身体の中で覚醒した。百田の額に手を翳した体勢のままで、約一時間、彼女の精神(なか)にいたらしい。柘榴の額には汗が浮かび、全身に軽い倦怠感が残っている。

 詰めていた息を吐いて、柘榴は額の汗をシャツの袖で拭った。

「ううっ、きつい。今度やるとしたら、これ、命くんにやってもらおう……しんど~」

『あの小僧にお前と同じ芸当ができるとは思わんがな』

 突然、ぐったりと脱力する柘榴の背後で、低い声が唸るように言った。その声に、柘榴は一気に笑顔になる。

「お、ありがとう立葵(たちあおい)。ぼくの体の護りご苦労様。それで~……疲れてるところ悪いんだけどぉ……」

『あのクソ生意気な小僧の補助だろう? 言いたいことは大体わかっている』

 ぼんやりとした影のようなモノ――立葵が諦観した声音で嘆息する。己の主は式神使いが荒い。

「本当にごめん! この埋め合わせは必ずするから! 立葵の好きな『魔女の心臓』のクリーム大福買ってあげるから」

『ふ、ふん! 別に俺はそんな見返りを求めている訳じゃ……! ――しかし、あそこのクリーム大福なら、食ってやらんこともない』

「はいはい、よろしくねー」

 立葵の影のような曖昧な姿が、くっきりとした薄桃色の狼へと変わる。その姿は逞しく、四足で立っていても、座った体勢の柘榴の顔くらいまで背が届く。瞳は燃えるような朱色。鋭い爪も朱色で、獰猛なそれが病室のリノリウムの床を引っ掻く。

 濡れた鼻を柘榴の頬に押し付け、ひと声鳴いて、立葵は煙のように姿を消した。

 しん、と静寂が支配する病室で、柘榴は安堵の息を吐いた。

「うん。病室に溜まってた邪気も立葵が追い払ってくれてるし、僕も急ぎますか~」

 穏やかな寝息を立てる百田の顔を一瞥し、柘榴は病室のドアへと向かった。しかし、ドアに辿りつく一歩手前で、唐突に柘榴は歩みを止める。

「歩いて帰るの面倒だしな~……そうだ、奥の手を使おう!」

 一人で納得し、そして呟き、柘榴は楽しそうに悪戯っぽく笑った。





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