あかつきの弔鐘 -浩史-
夕日が水平線の彼方に沈み、世界が色を手放してゆく。
行き交う人々の影は伸び、人らしい形を保つことすら間々ならない位置から地上に視線を与える太陽。
そこに、白昼の熱気はうかがえない。
この夕方を包む温もりは、数時間前の名残りと化している。
そんな、程よい暖かな空気を人々の活気が切り裂いてゆく。
田舎町とはいえ、夕方の駅前は老若男女でにぎわう繁華街。
むろん都会のソレには程遠いが、この町ではそれくらいに盛り上がっている場所だ。
この喧騒に満ちた空間から車で離れること、15分あまり。
「お疲れさま」
誰もいなくなった診察室に、浩史の声だけが響いた。
奥にはまだ、月末の残務に追われた事務員が残っている。
田舎の診療所に、彼の診療を手伝う者はそう多くはいない。
「ただでさえ人手が少ないのに……悪いね。
いつも思うけど、やっぱりレセプトは疲れるよなぁ」
それでも、浩史は奥にいる事務員に声をかける。
「それは私の仕事ですよ、先生?」
たまたま、一区切りついたのだろうか……。
彼女は『う~ん』と軽くうなってから、缶コーヒーのタブに酷使した指を当てた。
この診療所に赴任して、どれくらいだろう?
彼女は当時から変わらぬ姿勢で、診療報酬のような経営補助をしてくれている。
「先生は、患者さんのお話を拝聴して、治療に専念してくだされば良いのですよ?」
その微笑に嫌味は感じられなかった。
彼女はいつも、そうして淡々と的を得た発言をしては自分の畑仕事に戻っていく。
ゆえに、浩史にとって背を任せられる存在であり続けているのであり。
実際の経営に関しては、まだまだ知らないことばかりの浩史。
医薬品や医療材料、そして保険制度や医療制度。
適切な診療報酬を得なければ、不当な医療行為として目を向けられることもある。
こんな田舎の施設でも、おおまかな収支さえ把握すれば良いワケではない。
それは、都会の大病院でも田舎の診療所でもさほど変わらないことだろう。
だからこそ浩史は、今でも自身に初心を課すよう努めている。
「先生も、少し休まれてはいかがです?」
いつの間に来ていたのか、別の声が耳に届く。
「あ、咲夜さん……」
彼女の声は、今日に始まったことではない。
スタッフの負担を過度に背負わないよう、いつも浩史に声をかけてくれたり。
いわば、所長思いの中堅看護師なのだ。
「そうだね、一服するかな……」
そんな咲夜の性格を知り得ているかのように、浩史は外に足を向けた。
「ふぅ~」
外にはまだ、かすかではあるものの熱気が残っていた。
疲労と充実が同時に、ために息を通して漏れる。
刹那、鼻先を冷んやりとした空気が駆け抜けてゆく……。
「看護師といい、事務職員といい……医者よりも偉いよ」
呼吸を整えるように、深く空気を吸っては吐いて……を繰り返しながら。
今日もまた真っ赤な夕日を、海岸の丘から遠めに見送る浩史。
それはまるで、決まりきった日課のようで。
すでに黄昏の空を去り行く陽射しに、白昼の覇気は微塵も残っていなかった……。