檻の中の核ボタン
「由宇作、お昼ご飯まだですかぁ? お腹ぺこぺこなんですけど」
「もうちょっとで出来るから。後ちょっとだけ我慢しててよ、上様」
そう言いながら僕は必死で野菜炒めを作っていた。そう、僕は必死だった。なぜならこれで家賃を払わずに済むからだ。
結局のところ家賃を払う代わりに、上様に食事を提供するという事で話がついた。僕が仕事に行っている平日は朝食と夕食、休日は朝昼晩の3食を彼女に提供すれば、僕の家賃はこの先ずっと免除される事になった。持つべき者は宇宙人の大家さんだと、流石にこの時ばかりは思った。何だかんだ言ってこの猫耳メイドの宇宙人の大家さんは、僕に幸運を呼び込んでくれるんじゃないかとさえ、思えて来た。
「御待ちどう様」
言うが早いか、彼女はすぐに目の前の昼食にがっつき始めた。
それにしても、と僕は思った。そもそもこの宇宙人は、アフターサービスの為にここにいるはずなのに、何でこんなに食ってばかりいるんだろう? もっとも一緒に飲み食いをする事は異文化交流の基本とも考えられるから、これはこれで理にかなっているのかも知れない。
「由宇作、異文化交流の基本ってやっぱり飲み食いですよね」
まるで僕の考えを見透かしたかのように彼女は言った。まさかこの宇宙人は人の考えが読めるんだろうか?
「と言う事で御代わりお願いします」
と一瞬思ったが、しかしそれは無いなと直感した。結局この宇宙人にとって、異文化交流の基本なんて大義名分は、恐らく飲み食いの口実に過ぎないのだろう。
「由宇作も冷めないうちに召し上がれ」
「はい頂きます」
そう言えばいつ以来だろう? 随分久しぶりに、頂きますと言った気がした。
「どう? 美味しい?」
僕の目を覗き込むように、彼女は尋ねた。まるで自分が作ったかのように。しかしこの料理を使ったのはあくまで僕であり、それは動かし様のない事実だった。
とは言え、そんな事をいちいち気にしていたら、この宇宙人とは付き合って行けないだろう。それは昨日から今現在までの、彼女との異文化交流において僕が理解した事のひとつだった。
異文化交流によるカルチャーショック。特にテクノロジーに大きな隔たりがある場合、それが何をもたらすかについて、大雑把ではあるが想像はついた。
動物園仮説というのがあるのを、僕は思い出していた。超銀河郵便連盟規約第3条第27項は、さしずめ動物園で起きたトラブルに対処する為の条項ってところだろう。本来なら見守っているだけで済むはずだった『動物園』イコール『地球』。たった一通の手紙が配達されるまでは。
「美味しい? って聞いてるんだから、返事くらいして下さいよぉ」
いつの間にか僕の横に来て、僕の頬を摘んで引っ張りながら彼女は言った。見守るだけじゃ済まなくなったからと言ったって、これは無いんじゃないかと思った。
「お、おいひいよ、うえはま」
「そうですか」
彼女は、にこっと微笑んだ。
「それはそうと上様」
「何ですか? 由宇作」
「上様は何でそんなに地球の事詳しいの? 超銀河郵便連盟って、本来は地球に対して不干渉のはずだったんでしょ?」
「不干渉と言ったって、ばれないように調査はしてますからね。要はばれなきゃいいわけですよ、ばれなきゃ」
「ばれなきゃねえ。でもたまにばれてるんじゃないの? UFO目撃情報とかあるし」
「あ、それはガセですね、全くの。だって我々はそんなへましませんもん」
「何? その自信」
「実際見れば分かりますよ。我々のオーバーテクノロジー。そのうちお見せしますが」
「え? 見せて貰えるの?」
「まあ、由宇作にだけ特別にって事で」
「僕だけ特別に?」
「そうですよ。ファーストコンタクトの記念ですから」
ファーストコンタクト! なんか今一実感が湧かなかったけど、そう言えばこれファーストコンタクトなんだと改めて思った。
しかし……
「ファーストコンタクトって、12000年前じゃないの?」
「正確にはそうなんですけどねえ。実質的には今回も、ファーストコンタクトって言っても差し支えない状況ですから。まあ、広い宇宙では、いちいち細かい事を気にしていたらやって行けないんですよ。お分かり? 由宇作」
「なんか、結構適当なんだね」
「実際我々もファーストコンタクトの機会を計るべく、ずっと調査して来ましたからね、地球。何しろ12000年前にファーストコンタクトしてたなんて、すっかり忘れ去られてましたから」
「でもそんなのコンピューターで簡単に調べられないの?」
「どんだけデータあると思ってるんです? 12000年前のデータなんて、サイバー考古学者ぐらいにしか見つけられませんよ」
よりによって何でこんな適当な組織に加盟しちゃったんだろう、昔の地球。まあ12000年前の地球人の考えなんて、今の僕には知る由も無かったが。
「ところでさあ、上様の口振りだと、超銀河郵便連盟がファーストコンタクト向けの調査してるみたいに聞こえるけど。超銀河郵便連盟って、郵便事業をしてる組織じゃないの?」
「基本郵便事業なんですけどね。それに関連した事業を幾つかやってるんですよ」
「まさか貯金とか保険とか?」
「それは何十万年も前に民営化させられました」
「じゃあ他に何やってるの?」
「まあお察しの通り、ファーストコンタクト向けの調査業務ですね。超銀河郵便連盟に加盟する星々で作る別の組織に、ファーストコンタクト委員会ってのがあるんですよ。ここはファーストコンタクト時のカルチャーショックによるプライバシーへの干渉を、最小限に抑える事を目的とした組織なんですが、このファーストコンタクト委員会から超銀河郵便連盟に、ファーストコンタクトを行うかどうか判断する為の調査が、委託されているわけですよ」
「でもそんな委員会があるなら、何で自分たちで調査しないで、超銀河郵便連盟に委託してるの?」
「まあそこが、超銀河郵便連盟の超銀河郵便連盟たる所以と言いますかね、……由宇作、郵便の歴史はある意味検閲の歴史だってご存知ですか?」
「まさか! 検閲してるの? 超銀河郵便連盟。でもそれじゃ通信の秘密は……規約第3条はどうなるの?」
「まあそこが非常に微妙な所でしてね。原則規約第3条によって検閲は禁止されてるんですがね、何事も例外というものがありまして」
「やっぱり政治的に? それか犯罪防止の為?」
「政治的には中立なんですよね、一応我々の組織は。それに例え犯罪防止の為であっても検閲はしません。それが超銀河郵便連盟の、通信の秘密に対するスタンスですから」
「じゃあ何の為に検閲するの?」
「大雑把に言うと、因果律の崩壊を防ぐ為です」
「因果律の崩壊を防ぐ為?」
「情報が伝わる速度が真空中の光速度を超えると、因果律が崩壊する可能性が出て来る事はご存知ですよね」
「まあ相対論で割と有名な話だからね」
「但しこれは、因果律を崩壊させる情報じゃなきゃ問題ないわけですよ。光速を超えたって」
「ええっ!」
「だから検閲するわけですよ。因果律を崩壊させるような情報が光速度を超えないように。このおかげで超光速航法や超光速通信による、因果律の崩壊のリスクは防げるわけです」
「えええっ!」
「これは逆に言うと、超銀河郵便連盟が、因果律が崩壊しないように、あらゆる情報を管理している事を意味します」
「つっ、つまり?」
「つまり超銀河郵便連盟は因果律の崩壊を防ぐ事を名目に、超光速で情報が移動するあらゆる事態を管理しているわけですよ。独占的に。これは超光速通信も超光速航法も、全て超銀河郵便連盟の手の内にある事を意味します。つまり超銀河郵便連盟は、場合によっちゃ末恐ろしい組織だって事ですよ。たぶん宇宙最強の」
「だから警察機構にも圧力掛けられると?」
「基本お茶の子さいさいですから」
「じゃあ、ファーストコンタクト委員会にも圧力掛けて業務委託を受けてるって事?」
「それはちょっと違いますね。先程も言ったとおり、超銀河郵便連盟に加盟する条件のひとつは、超光速航法をその星で独自に実現する事なんですけどね。そうなると厄介な問題も持ち上がって来ましてねえ」
「あっ! 因果律」
「そうなんですよ。因果律の崩壊を防ぐ手立てが必要になって来るんですよ。そんなわけで超銀河郵便連盟に加盟するようになるんですよ、どの星も」
僕はかつての地球が、何で超銀河郵便連盟なんかに加盟していたのか、その理由がようやく見えてきた。
「つまり本来は『ファーストコンタクト』イコール『超銀河郵便連盟への加盟』って事?」
「良くお分かりで。だから超銀河郵便連盟が委託を受けているわけですよ、ファーストコンタクト委員会から」
僕は今の説明を受けるまで、超銀河郵便連盟と言う組織を正直甘く見ていた。何しろ彼女、上様こと山田ツングースカが働いているような組織だから、結構いい加減な組織なんだろうと高を括っていた。
しかしながらこの宇宙において、超光速に関する全てを管理してるとなると、話は全く違ってくる。恐らくそれはこの宇宙において、神に等しい権力を有する事を意味するだろうから。
問題はそんなとてつもない組織が、今回の件を重要視して彼女を派遣して来たと言う事だ。確かに彼女から一通り説明は受けたものの、僕は高々希少価値のある切手が貼ってある手紙に過ぎない、という感覚だった。彼女から今の話を聞くまでは。
「ねえ上様、僕があの手紙を持ってるって事は、アメリカやロシアの大統領が核ボタンを持ってるよりもヤバイ事?」
「私にそれを答えさせないで下さいよぉ」
彼女は困ったような顔で言った。