さあ、家賃の話をしよう
翌朝はなぜかいつもより早く目が覚めた。昨日の事が、まるで夢の中の出来事だったかのような気がしていた。しかし布団のすぐ横のちゃぶ台に目をやると、確かに昨日受け取った手紙と称する物体が置いてあった。それは封筒らしき金属っぽい物体の一部分に、切手と称する小さなオブジェのような物が、癒着しているような構造をしていた。
この切手と称する物が、マニアの間では大変な希少価値がある物だという事は、昨日の話から何とか理解出来たが、だからと言って金庫か何かにしまっておこうとは思わなかった。恐らくどんなに頑丈な金庫にしまおうが、宇宙人のオーバーテクノロジーを以ってすれば、簡単にこじ開けられてしまうだろうから。だから金庫にしまおうがちゃぶ台の上に置きっ放しにしようが、大して変らないだろうと僕は考えた。
もちろん例え金庫にしまおうにも、僕の部屋、8畳の和室にキッチン、風呂、トイレ付きで家賃3万円、築20数年のこの部屋には、金庫と言えるような代物は無かったが。
それから暫くの間、昨日あの宇宙人が言った事を思い返していた。超銀河郵便連盟は、配達物の内容に関しては一切関知しない一方、これらを送り届ける為の手段に関しては全ての責任を負うとの事。そして郵便料金支払の証明書である切手は、そのような手段の一部であると認められる為、その切手が原因となるトラブルを防ぐ為に、万全のアフターサービスを行うとの事。それは超銀河郵便連盟規約第3条第27項に基づくとの事。
「ぶっちゃけ12000年の時を越えて希少価値を持ってしまったが為に、規約第3条第27項のトリガーが発動してしまったって事なんですよねえ」
なんて、まるで他人事のように彼女は話していた。
日曜の朝にこれほど早く起きる事はめったになかったが、今日に限っては目が覚めてから二度寝する気にもならなかったので、布団を畳んで押入れに入れ、大して食欲もなかったがとりあえず軽く朝食をとった。それから今後の身の振り方を考える事にした。
そして考えているうちに重大な事に気付いた。僕は昨日のあの宇宙人の名前も連絡先も知らなかったのである。終始彼女のペースに振り回されっ放しだった僕は、連絡先どころか名前さえ聞いていない事に、迂闊にも気付かなかったのである。
散々茶菓子を食い散らかした後、彼女は用事を思い出したと言って出て行ったきり、戻ってこなかった。まあ夕飯までたかられなかった事は、今思えば不幸中の幸いだったのかも知れない。
なんて考えていたら、玄関のチャイムが鳴った。僕はその時、不幸中の幸いは長続きしないものだと悟った。
「おはようございます。ちょっと早いですけど家賃頂きに参りました」
「はい?」
「いや、ですから家賃を頂きに。ついでに朝食も頂けると有難いんですが」
何言ってんの? この宇宙人。
昨日と全く同じ格好で現れた目の前の宇宙人は、僕を再び混乱の渦の中に巻き込むつもりらしい。
「あの、つかぬ事をお聞きしますが、なんであなたに家賃を払わなければいけないんですか? しかも家賃の支払日は、まだ半月以上先だし。更に言わせて貰うと、なぜあなたに朝食まで提供しなければいけないんですか?」
「いやですよ、袖触れ合うも他生の縁って言うじゃありませんか。地球に誰一人身寄りの無い宇宙人に朝食を提供するくらい、いいじゃありませんか。減るもんじゃあるまいし」
「いや十分減るもんです」
僕はきっぱりと反論した。
「あれそうでした? いやね、食べれば食べるほど体重が増えて困っている人達が、地球にはたくさんいると聞いてたもので。だから地球の食べ物って、食べても減らないのかと思ってましたよ」
「いや、減らないのは多分、あなたの口数の方ではないかと思います」
「あ、いや、こりゃまた一本取られちゃいましたね、てへへ」
朝早くからこのテンションに付き合わされるのは、正直きつかったので、何とかスルーして、問題の核心に入りたいと思った。
「それはそうと、あなたの名前まだ聞いて無かったんですが。それと連絡先も」
そもそも宇宙人に名前なんて概念があるのかとも思ったが、とりあえず聞いてみた。
「え? 名前ですか? 私の? ほほう、そう来ましたか。しかし人に名前を聞く前に自分から名乗らないと失礼ですよね」
「え? だってあなたは郵便配達員でしょ? 僕の名前を知ってるから手紙を配達出来たんじゃないの?」
と言いながらふと疑問が湧き起こった。
そもそも12000年前に、どうやって僕宛に手紙なんか書けたんだろう? 今の今までその事には考えすら及ばなかった。
「名前なんか知らなくたって配達できますよ、座標指定で。そもそも12000年後に手紙を出す相手の名前なんて、分かりっこ無いじゃないですか、タイムマシンでも使わなけりゃ。あなたに届いた手紙は期日指定郵便のうちの、4次元座標指定郵便なんですよね。そういう事ですので、あなたの方から自己紹介、宜しくお願いします」
「座標指定!」
と僕は心の中で叫んだ。
そもそも名前はもとより、住所にしても築20数年のこのアパートの僕の部屋宛に、12000年前から期日指定で手紙を出すなんて、考えてみれば無理な話だった。しかし住所や宛名ではなく、座標を指定するなら、確かにそれは可能だろう。しかしそうだとすると……
「つまりこの手紙が僕の所に届いたのは、単なる偶然って事?」
「あれ? 今ごろ気付いたんですか? もうとっくにお気付きだと思ってましたよ」
「そんなの簡単に気付くわけ無いでしょ! ただでさえ、昨日生れて初めて宇宙人に会ったばかりで、しかも生れて初めて会った宇宙人が、あなたのような宇宙人なんですから!」
僕は一気に捲し立てた。
「いやあ、あなたは幸運ですね。生まれて初めて会った宇宙人が私みたいな宇宙人で」
しかし僕の目の前の宇宙人は、このようにいけしゃあしゃあと言ってのけると
「こんな所で長時間立ち話するのもご近所に迷惑ですから、上がってお茶でも飲みながらゆっくり話しましょうよ。私もどうせそのつもりで来たんですから」
更にこうのたまった。
「おっと、また茶柱立ってますよ。こりゃ朝から縁起がいいですね」
そう言って、この宇宙人はお茶を啜った。
一体誰の縁起がいいんだか。結局この宇宙人は、あと3食分は残っていたはずのフルーツグラノーラを全部平らげた挙句、お茶と茶菓子まで要求した。
「縁起がいいと言えば、あなたは相当幸運な方ですよね。何しろ偶然にも12000年前から、座標指定の期日指定郵便が届いちゃうくらいですから。ね、佐藤由宇作さん。しかも届けたのは幸運の女神と渾名される私ですし」
「それ幸運だって言えるのかな……って、僕の名前知ってるじゃん! さっき知らないって言ってたのに!」
「知らないとは言ってませんよ。人に名前を聞く前に、自分から名乗るのが筋だと言ったまでです」
この宇宙人どこまで人をおちょくれば気が済むんだ! と怒りで我を忘れそうになった僕の耳に、次に飛び込んで来たのは、自分の耳を疑いたくなる言葉だった。
「大体あなたの名前ぐらい知ってて当然じゃないですか。私このアパートの大家なんですから」
私このアパートの大家? 僕は彼女が言った言葉を頭の中で反復した。
「あ、申し遅れました。私、本日よりこのアパートの大家になりました、山田ツングースカと申します。以後お見知りおきを」
この宇宙人はさりげなく自己紹介をした。
「と、ところで山田ツングースカさん」
そう言い掛けたところで彼女が遮った。
「上様で結構です」
「うえさま?」
「そう、上様です。よく領収書に書くじゃないですか。あの上様ですよ。地球ではなるべく匿名で活動したいんで、どうか上様と呼んでください、由宇作」
「自分の事は上様と呼ばせるわりに、僕のことは由宇作って呼捨て?」
「だって猫耳メイド姿の宇宙人が、若い男性をファーストネームで呼捨てにするのは、この星の掟だと聞いてますから」
言われてみると反論の余地が無いくらい、完璧な論理展開だと僕は思った。
「えーと、ところで上様」
「なんですか? 由宇作」
「上様は超銀河郵便連盟の郵便配達員じゃないの? それが僕のアパートの大家ってどういう事?」
「ああ、ほのことれふか」
またもや彼女は煎餅を頬張りながら答えようとした。
「失礼。ああ、その事ですか。昨日言ったじゃないですか。超銀河郵便連盟は万全のアフターサービスをするって。だから、このアパート買い取ったんですよ。核融合炉でプラチナ作って、それ売った資金で」
「核融合炉でプラチナって、どんだけ凄いんですか、おたくら?」
「そんなのお茶の子さいさいですよ。あ、お茶の子って言ったら、お煎餅以外にも茶菓子あります?」
「いや、生憎煎餅以外に買い置き無いけど」
「じゃあ、この後買いに行きましょう。私もこの界隈、もっと詳しく知りたいですし」
「それって今回の任務に必要だから?」
「いいえ、私の単なる好奇心です」
なんか先が思いやられるような予感がしたが、とりあえず外に出て新鮮な空気を吸いたい気分だったので、彼女と散歩がてら買い物に出かける事にした。
普段の僕であれば、猫耳メイド姿の宇宙人と連れ立って家の近所を歩こうものなら、相当痛い視線を感じたものだが、昨日からの出来事の所為で頭がいくらか混乱していた僕は、そんな事を気にする感覚がどうやら麻痺してしまったようだ。
「それにしても日曜の朝だってのに、人の気配が感じられませんね、この界隈。もしかしてここゴーストタウンですか?」
「そうなりつつあるってところかな。これでもバブルの頃は、新興住宅街として賑わってたらしいんだけどね。うちのアパートの最初の大家も、元々はこの辺りの地主で、バブルの時に土地売って結構な大金入って、残った土地にあのアパート建てたみたい。ワンルームのアパートで8畳の和室ってのも、最初の大家の拘りだったらしいね。まあ内装に拘る割に外装には無頓着だったらしくて、あのアパートが建った頃にはバブルもはじけて、建売住宅でさえだぶついてるのに、外装が今一なアパートに入ろうなんて奴は殆どいなくて、家賃大分下げたって聞いてるけど」
「へえ、ほうなんれふか」
この宇宙人はまた煎餅を頬張っていた。
まあそれに廃れつつあるとは言え、日曜の昼間は流石に賑わってはいる。今、人の気配がしないのは、まだ朝の7時を回ったばかりだからだろう。
今の時間に開いている店は駅前のコンビニぐらいだろうから、僕らは駅の方に向かって歩いた。僕の住むアパートから駅までは歩いて20分程度だから、7時半には既にコンビニに着いてるだろう。
そう思ったのも束の間、隣の宇宙人は予想以上にあちこち寄り道をしたがるもんだから、コンビニに辿り着いた時には8時半を過ぎていた。あと30分でスーパーの開店時間になるはずだが、彼女には黙っていた。言ったら多分行きたがるだろうし、スーパーはここから僕のアパートを挟んで反対側にあるからだ。
コンビニに入ったら、中にいる人達は流石に怪訝そうな顔をした。まあ彼女が宇宙人だとばれて無いだけましだろう。彼女は僕と腕を組んでバカップルを演じようとしてたし、僕もその方がいいだろうと思い彼女に従った。
「由宇作」
「何? 上様」
「これなんか凄ーく、私に食べて欲しそうなんですけど」
そう彼女が指差したのは、期間限定で発売されている、高級スイーツのチーズケーキだった。
「1個買えば?」
僕は言った。
「えー! 由宇作も食べないんですか?」
彼女は駄々をこねた。
「じゃあ2個買えば?」
彼女と腕を組んだままの僕は、ちょっとクールに言ってみた。
「じゃあ4個!」
「え?」
「私が3個で由宇作1個」
彼女は満面の笑みを浮かべながら言った。
周りの人達にはバカップルにしか見えないんだろうなと思い、更に煎餅どんだけ買えるんだよと思いながらも、ちょっとだけ格好をつけたくなった僕は、清水の舞台から飛び降りる気分で、高級スイーツのチーズケーキ4個分の代金を支払おうとした。
しかし彼女は人差し指を、口の前でメトロノームのように動かしながら
「ちっちっちっ」
と言い
「私大家さんですよ、店子に支払わせるわけ無いじゃないですか」
そう言って代金を支払った。
そして僕らは腕を組んだまま店を後にした。
「それで上様、いつまでバカップルの振りしてんの?」
本当は満更でもなかったが一応聞いてみた。
「家賃頂くまでってのはどうです?」
「嫌な事思い出させるなあ」
「じゃあ、早速頂きますか。家に帰ってこのチーズケーキ食べてからでいいですけど」
彼女はまた満面の笑みで答えた。
「じゃあ早速、家賃頂きましょうかね」
と、彼女は切り出した。
期間限定高級スイーツの、チーズケーキの甘さの余韻に浸っていた僕は、ほんの一時、この宇宙人を甘く見ていた事を思い知らされた。この期に及んで本気で家賃を請求してくるなんて、流石に思っていなかったからだ。
「でも上様、家賃の支払日ってまだ半月以上も先だよ」
言っても無駄な気がしたが、背に腹はかえられないのでとりあえず反論した。
「それは前の大家さんの話でしょうが。今日からは私が新しい大家さんなんで、家賃の支払日も変更になるんです。お分かり? 由宇作」
やはり無茶な理屈を突き付けられた。
法的手段に訴えて、借家人の権利を主張しようかとも一瞬思ったが、そもそも宇宙人相手に、そんな手が通用するとも思えなかった。そこで僕は今の自分が出来る最善の策、話題を変えて何とか誤魔化す事に、持てる全ての力を費やそうと決心した。
「そ、そう言えば上様……えーと、あれ、前から疑問に思ってたんだけど、あの事」
「あの事と言いますと、どんな事です? 由宇作」
僕は必死になって今までの事を振返り、どんな些細な疑問でもいいから見つけ出そうと苦心した。しかし無情にも疑問なんてどこを探しても見当たらなかった。
「あ、いいや、ほんとっ大した事ないんで。ははは」
もう僕は覚悟を決めるしかなかった。
なけなしの定期預金が3万円だけあった。今の派遣先の仕事を打ち切られた場合に備えて、就職活動中の生活費に充てようと、少ない給料の中から貯めたものだった。再就職をしてからまだ半年も経っていなかった為、失業保険を貰えない僕にとっては、唯一のセーフティーネットだった。
「あ、そう言えば家賃だっけ、ははは。……って、あれ?」
セレンディピティと言う言葉を思い出した。必死に探してる時は思い付かないのに、いざ探すのを諦めた時に思い付く。まあ、今の僕の人生を象徴しているような気がしないでもない。
「さっきから何が言いたいんですか? 由宇作」
上様が痺れを切らしたように尋ねてきた。
「超銀河郵便連盟って、配達という行為自体がプライバシーに干渉してしまう事を、最小限に抑えるって言ってたよね?」
「そうですよ。だから私は、今こうやって苦労してるんじゃないですか」
彼女が苦労してしているのかどうかは定かでなかったが、それについて今、言及するのは控えた。
「それじゃあ、そもそも、プライバシーに大きく干渉してしまう恐れのある相手に、郵便物を配達する事自体、問題じゃないの?」
「勿論その通りですよ、由宇作。だから我々はそのような相手には、どれだけ郵便料金を積まれても、郵便物を配達しない決まりになってるんですよ、基本的に」
「でも上様、僕の所には手紙来たんですけど」
「いやあ、由宇作、あなたは気付かなくてもいい事に、いちいち気付いてしまう天才ですね。私がわざわざスルーしてたのに……。説明するの面倒臭いから。仕方ないですね、説明しますか。あー面倒臭い」
そう言って彼女は説明し始めた。この宇宙人は本当にやる気があるのか甚だ疑問に思ったが、話題が家賃の事から逸れてくれるのは、今の僕にとって甚だ都合が良かった。
「結論から言うと、我々が郵便物を配達するのは、超銀河郵便連盟に加盟している星だけです。そして超銀河郵便連盟に加盟するには、超光速航法を実現するオーバーテクノロジーを、その星で独自に開発する事が条件のひとつになっているんですよ」
そう言って彼女はお茶を啜った。僕は彼女の湯呑み茶碗にお茶を注いだ。それを飲んだ彼女は「あっちっちっ!」と叫んだ。この宇宙人いつから猫舌になったんだろうと疑問に思ったが、この場は敢えて言及しなかった。
「で、問題は地球です。地球はかつて超銀河郵便連盟に加盟していました。超光速航法を独自に開発して。まあ、今から12000年程前の話なんですけどね」
「えー! 地球って加盟してたの! 超銀河郵便連盟に!」
「加盟してたんですよ。……って言うか、この言い方は正確じゃないんですけどね。なぜなら今も加盟し続けてますから、地球」
「えーっ!」
「まあ形式上なんですけどね。何しろ脱退届け出てないもので。それで超銀河郵便連盟としては、例え形式上であっても、加盟している星に対しては、郵便物を届けなければならない義務があるんですね、これがまた厄介な事に。超光速航法を開発して超銀河郵便連盟に加盟した地球のかつての文明が、滅亡する時に脱退届け出してくれてれば、私もこんなに苦労する事は無かったんですけどねえ」
いや、そういう問題じゃねーだろ、と言いたい気持ちをぐっと押し殺し、出来るだけ冷静に彼女の話を聞き続けるよう、僕は努力した。
「その文明は12000年程前のある時、一晩かそこらで滅んだみたいなんですよ。おかげで地球でかつて発行された切手に、大変な希少価値が生じてしまったわけですよ、これが」
「え?」
「由宇作に届いた手紙に貼ってある切手は、12000年程前の地球で発行された物だって事ですよ。その手紙も当時の地球から期日指定で出された物です。もっとも最近になって、担当者が気付いた事なんですけどね」
「え!」
さっきから僕はずっと同じ言葉を発しているしかなかった。
「それで由宇作、家賃の件なんですけど」
「えぇぇぇっっっ!」