アフターサービス
「え? 帰ったんじゃないの?」
聞きたい事は山程あるはずなのに、咄嗟に出たのはこの言葉だった。
「いやあ、私としてはさっさと帰りたかったんですが、その、上司がですねえ。いやあ、これがなかなか口うるさい上司なんですよ。おまけに心配性でしてねえ。私は大丈夫って言ったんですが、この上司、私の言う事に全然聞く耳を持ってくれなくて。あれが今時の地球人には、切手だなんて分からないって言ったのに。言ったのにですよぉ。なのにお前は楽観的過ぎるとか言って。いやあ、人使いの荒い上司を持つと苦労しますよね」
いったい彼女は何が言いたいんだろうと思いながら、僕は彼女の話を聞き続けた。
「そこへ行くと地球人の忍耐強さには、尊敬すら覚えちゃいますよ。嫌な上司の無茶な命令にも黙々と従っちゃうんですから。宇宙だったら、流石にそんな上司いたら、革命の一つや二つ起きてますからねえ」
彼女が宇宙からやって来たらしき事は、なんとなく分かって来たが、今更、その事に驚いたり詮索したりする気にはなれなかった。
「ちょっと聞いてます? なんかさっきから唖然とした表情をしたままなんですが。聞く気が無いなら帰って貰って結構なんですが」
え?
帰って貰って結構?
誰が?
どこへ?
「あ! そう言えばここ、あなたの家の玄関先でしたね。てへへ、私とした事が」
最早、何も言う気にはならなかった。
「それでですね、私としては、この人使いの荒い上司相手に、革命でも起こしてやろうかと思案中なのですが、しかし今はそれは横に置いといて、あなたに伝えておかなければならない事がありまして」
「ほう、宇宙征服の片棒を担げとでも?」
なんだか破れかぶれの気分になっていた僕は、宇宙人を相手に思わずこんな台詞を吐いてしまった。
「何馬鹿な事言ってるんですか? 宇宙がどれだけ広いと思ってるんですか? 宇宙征服って相当暇人じゃないと口から出てこない言葉ですよ」
「それは申し訳ない事で」
なんとなく彼女の勢いに押されて謝ってしまった。
「いずれにしろ、これからあなたの身に起こるであろう事を考えれば、そんな暇な台詞を吐いている暇はありませんから」
「は? 僕の身に起こるであろう事?」
たった今、目の前で起きている事じゃなく?
これから起こるであろう事?
これ以上一体何が起こると?
「あ、そう言えばこんな所で立ち話もなんですから、家の中に入ってお茶でも飲みながらゆっくり話しません?」
と目の前の宇宙人が提案してきた。
なんだか釈然としない気分のまま彼女を家に上げ、二人分のお茶を用意した。そして「お茶と言えば茶菓子ですよね、当然」と言うこの宇宙人に、なぜか釈然としないまま茶菓子も用意した。
「とりあえず言っときますと、あなたは今、非常に微妙な立場に置かれているわけです」
「それは分かります。宇宙人のあなたと、今こうしてお茶を飲みながらお話しているわけですから」
「いや、それはどうでもいいんです。いや、どうでもいいというわけでもありませんが、とりあえず今は横に置いておいても差し支えない程度の問題です。真の問題は、今あなたが手に持っている物の中にあるんです、これが。まあ厄介な事に」
「手に持っている物……とおっしゃいますと、あなたが言うところの手紙と称する、この物体の中って事ですか?」
この時、少し意地の悪い疑問が浮かんだので、目の前の宇宙人にぶつけてみた。
「ところで、あなたは郵便局員でしたよね、ええと、宇宙の」
「超銀河郵便連盟の、です」
煎餅を頬張りながら彼女は答えた。
「ああ、そうだ、超銀河郵便連盟の。その超銀河郵便連盟の郵便局員さんは、届けた郵便物の中身にまでいちいち干渉するんですか? 地球の郵便制度には通信の秘密というのがありまして、郵便局員は郵便物の中身には干渉してはいけないという、建前があるものですから。まあ超銀河郵便連盟に、通信の秘密という概念があるかどうかは分かりませんがね」
ちょっとした皮肉を目の前の宇宙人に言ってみた事で、僕は余裕を取り戻した。少なくともこの時は。
「ありますよ。地球より少なくとも何十万年も前から」
またもや煎餅を頬張りながら、この宇宙人は答えた。
「え、だってさっきほら、真の問題はこの中にあるとか言いませんでした?」
僕は手に持った手紙を指しながら、彼女に食い下がった。
「ああ、ほうゆうことれふか」
彼女は頬張った煎餅をお茶と共に喉に流し込み、話を続けた。
「おっと失礼。ああ、そういう事ですか。これはこれは、私とした事がとんだ勘違いをさせてしまいまして」
「え? どういう事?」
「私が言いたかったのはですねえ、あなたが手に持っている、手紙が入ったその封筒の一部分が問題だって事なんですよ」
「え? 封筒の一部が問題って? あれ? そう言えばさっき、切手の事で何か言ってましたよね?」
僕は先程、この手紙と称する物体に切手らしき物を発見した事、そしてその直後、再び彼女が姿を現し、僕に言った言葉を思い出した。
「本当はあなたは、知らなくても良かったんですがね。いや知らない方が良かった。しかしながら、あなたは知り過ぎてしまった」
「いや、お言葉ですが、殆ど何も知らないんですけど」
僕は率直な意見を述べた。
「その手紙の封筒に貼ってある物が、切手だと知ってしまった事が問題なんです。それこそが大問題なんですよ。この地球の命運を左右する程の」
「そんな大袈裟な。たかが切手が、なんで地球の命運を左右するんです? からかうのもいい加減にして下さいよ」
「お言葉ですが、あなたをからかって私に何のメリットがあるんです? これだから自意識過剰の地球人は困るんですよねえ」
この言葉を聞いて、僕は目の前のちゃぶ台を、思いっきりひっくり返したくなる衝動に駆られた。そして彼女の次の言葉に面喰った。
「あ、お茶の御代わり貰えます? このお煎餅に良く合うんですよ、これが」
そう言いながら、また煎餅を頬張った。
僕は態度の悪い食堂の店員のように、御代わりのお茶をこの宇宙人の前に乱暴に置いたが、彼女は一向に気にせずにお茶を啜った。そして一息ついてから話の続きを始めた。
「地球にもいますよね、切手集めを趣味にする人達って」
「そりゃまあいますが」
実際僕自身、小学生の一時期切手収集にはまっていた。
「地球にいるなら、宇宙にはもっとたくさんいると思いません? 切手集めを趣味にする人達が。そう、実はいるんですよ、そんな金と暇を持て余した宇宙人というのは。それはもう、地球の金と暇を持て余した連中とは比べ物にならないくらい、実にたくさん」
僕も一時期とはいえ、切手集めをしていた事があるから、彼女の言わんとしている事になんとなく感づき始めた。そしてなぜか体が震え始めた。
「ようするにです、単刀直入に言うと、あなたの持っている手紙に貼られた切手は、非常に貴重な物だって事です。宇宙の金と暇を持て余した連中が、喉から手が出るくらい欲しがる程の」
「そ、それで?」
「もしあなたがその切手を、そんな金持ち連中の誰かに売れば、あなたはその対価で、オーバーテクノロジーによって作られた非常に高価な製品を、幾つも手に入れる事が可能になります。これらの高価な製品は、たった一つでも使い方によっては、地球程度の惑星を破壊する事すら可能なんですよ、困った事に。さあ困りました、どうしましょう?」
「さあどうしましょうと言われましても」
「お客様、何かお困りのようですね」
この宇宙人はなぜか白々しく、満面の笑みで僕に尋ねた。
「あんたの所為でしょうが!」
思わず叫んでしまった。
「私の所為? 何か粗相がありましたかね? ま、それは横に置いときまして、今は前向きに、目の前で繰り広げられている重大問題の解決に、全力を注ぐとしようじゃありませんか」
「はあ?」
「しかしお客さん、あなたは運がいい。今回の問題は超銀河郵便連盟規約第3条第27項に基づき、超銀河郵便連盟が万全のアフターサービスを行う事になりましたので!」
「はあ? アフターサービス?」