その姉弟は、美しい翼を持っていた。
ある隠れ里に、世にも珍しい翼を持つ人間が住んでいた。白く艶やかな上に清らか、まるで天使のような翼を持つ者だけが暮らす里だった。
何百年も隠れて生きてきた。自分たちの翼から抜け落ちた羽を使って作った上等な布を作ったり近年では羽ペンなどを作って時折売りに出掛けていたが、外の人間と同じふりをして決して己が翼を持つ者であると教えることはなかった。卵を産んだ者は一年ほど翼がすっかり無くなってしまうから、外の人間のふりをして売りに行くのは難しい話ではなかったのだ。
しかしそれは昔の話である。文明がすくすくと育つ中、いつまでも隠れてはいられない。一部の者は外の人間と交わり、その度に里の長は怒りに震えた。
我らこそが一番優れた種族であり、外の人間などと交わるとは何事だ、恥だ、我らの翼への冒涜だ、と。
長は外交を減らし、外に出ようとした一族たちを牢屋に入れ、既に出て行った者たちを追いかけては処刑した。
もちろん長は外の人間が作る物も好まない。否、好まなくなったという方が正しい。昔はあいつらが作る物は面白いと屋敷に置くこともあったが、今では里に外の人間が作った物が入ってくる方が珍しい。
しかしそういったものを好む者も存在する。長の息子がそうであった。長はまさか我が子が外の人間が作った物に傾倒しているとは思いもせず疑ってもいない。
だから長の息子は外で一族たちが責められているのも気にせず部屋に籠り、パソコンなどを弄って「外の人間はすごいね」などと笑っている。
「いずれここにも外の人間が来るよ。ここは隠れ里なんかじゃなくなる。そうなったら長は怒り狂ってどうするかな、姉さん」
弟が溜め込んでいる外の人間の物を長に気づかれないうちに一つでも捨てられないかと悩んでいた姉がなんてことないように弟に尋ねられて「姉様と呼びなさい」と敢えて話題を逸らそうとする。弟は少しもそれに乗らない。
「きっとね、長は外の人間の手に掛かるならと心中を選ぶよ。それも僕らのこの翼が一欠片も残らぬよう炎で焼くんだ。ねえ、姉さん。熱いのも痛いのも嫌だよね」
「長はここをお守りになるわ。攻め入られたりしない。昔、私達の仲間が捕まえられて剥製にされて酷かったって習ったでしょう。そうならないために、」
「だから剥製にされてしまわないように焼くんだろ、長は」
じっと押し黙った姉に弟は笑いかける。誰もがハッとするような美しい顔だ。長が見初めて結婚した、一族で一番美しかった者のかんばせに陰を垂らした美しい男だ。
「姉さん、二人で逃げようよ」
「ば、馬鹿なこと言わないで。私たちは長の子どもとして民の手本とならなければいけないのよ。そんなこと、想像することだって」
ゆるされない、と震えている姉の唇を弟がそっと指でなぞった。姉弟にしては艶めかし過ぎるその動きに姉は息を呑み、けれど振り払うことはなかった。
「本当は僕しか要らないくせに」
そう弟に囁かれた瞬間、カッと頬を赤く染めた。
「思い上がらないで! つ、次の長をもて遊ぼうったってそうはいかないんだから!」
「だからね、姉さんが次の長になる前にここは終わると言ってるんだよ。というか、もて遊ぶって……僕、本気なんだけど」
「なおさら悪いわ!」
くすくすと笑う弟から離れようとする姉の身体を、とん、と押して引き倒す。飛ぶための身体は酷く軽い。そして己の翼で姉の身体をなぞる。これ以上愛しいものはないと言わんばかりに触れられて姉はじっとりと汗を滲ませて唇を噛んだ。
「僕は姉さんのためならこの翼を切り落として贈ったっていいよ」
とびきりの愛の言葉、けれど普通比喩でしかない言わない言葉、恋人たちが笑いながら語るような言葉、この弟ならばやりかねない。
「……馬鹿なこと言わないで」
こんなに綺麗なのに、と瞳を潤ませる姉を見て弟は笑った。あとほんの少しだけ待ってあげようと頬を擦り寄せるだけで終わってやった。もう少しすればきっと落ちてくれるから。
弟の予想通り、里は燃え落ちた。美しい翼は焼け焦げ見るに耐えない姿となり灰になる。その中から唯一逃げ出したのは長の子である姉弟だけ。
姉は最後まで抵抗したが、弟が手を引いて飛んだ時には拒まなかった。
「運が悪かったね、姉さん」
誰にも見つからない山奥の洞窟に身を潜め、体を丸くして外界を拒絶する姉に囁く。
「もう卵を作り始めていたのにね」
次期長として姉は結婚候補を決めていた最中であり、結婚してすぐに子どもを作れるよう胎の中で卵を育てている最中でもあった。
「出さなければ身体に毒だよ、可哀想な姉さん。早く出してしまわないと」
「……言われなくても無精卵で出すわよ」
「そんな勿体無いことしないで。僕らこれからきっとすごく大変な思いをして生きていくんだよ。この先、いつ卵をもう一度作れる余裕ができるかなんてわからないよ。今、産んでおかなければ」
姉の硬さを感じる腹に指を這わせて弟は言う。姉は億劫そうに髪をかき上げ、その仕草からは程遠い剣のある声で言った。
「そもそも、もう、私たち以外、いないのよ。今も、後も、関係ないわ。私の結婚相手なんてこの先できるはずないし、子どもだって」
「僕がいるのに?」
姉の顔が歪んで固まる。その顔も愛していた。
「男と女でよかったね。僕は姉さんが姉さんでなくても好きだけど、でもこんなことできるなら、これでよかったんだ」
どうかしてるわ、と姉の声が震える。そうかな、と笑いながら弟が下衣を緩める。
「血が濃い卵を産めば身体に負担が掛かることくらいあなたも知っているでしょう」
「翼がもう二度と生えてこないくらいのことだよ。あとは子どもの成長も遅いと聞くけど、遅くとも翼は生えてくるのだから問題ない」
「大問題よ。他人事みたいに言うのはよして」
姉の肩に手を置くと、姉は何度も首を振った。
「やめて」
「拒否しないで。初めてが無理やりだなんて寂しい」
「そう思うなら、こんなこと」
拒絶の言葉を飲み込むように口づける。それは拒否されなかった。初めての口づけは甘かった。弟は睫毛を伏せ囁く。
「本当はずっと、僕との子がいいって思ってたくせに」
カッ、と姉の顔が羞恥心から赤く染まる。そして力任せに弟を冷たい土の上に押し倒した。荒い息と乱れた髪が弟の頬にかかる。弟はこれ以上ない幸福だとばかりにうっそりと笑った。
「きて」
その言葉を合図にしたように、姉が顔を歪めながら更に強く押さえ付ける。次の瞬間、弟の身体に卵管が刺し込まれた。鋭い痛みに短く呻き声を上げるも、弟の顔は喜びを隠せていない。肉親の卵が体内に送り込まれる異物感を感じながら弟は恍惚と姉の頬に手を添えた。
「ねえさん」
やっとひとつになれたね。僕はずっとずっと、姉さんと同じ卵の中で揺蕩っていられたあの頃に戻りたいって、そう思ってたんだよ。
夕暮れに差し掛かる公園で幾人もの子どもたちが遊んでいて、そのうちの一人の少女がぱっと顔を上げた。髪飾りの白い羽が揺れる。
「おとうさま!」
自分を迎えに来た父に駆け寄り、嬉しそうに手を繋いで家の方へとずんずん歩き始める。お前は本当に元気だね、と嬉しそうに目を細める父を見上げながら少女が少し不安な顔をする。
「おとうさま、お身体は大丈夫なの? 最近、苦しそうにしていることが多いでしょう? おかあさまも心配してるわ」
ああ、そのことか。と父がなんてことなさそうに頷き、身体の輪郭が目立ちにくい服越しに己の腹を撫でた。
「もうすぐお前の弟か妹が産まれるからね」
「ほんと? 素敵! わたし、弟がいいわ。そしてね、おとうさまとおかあさまみたいに仲良くするの」
「はは、それは『おかあさま』が怒るかもね」
揶揄するように言って笑う父に少女は首を傾げてから「あ、また」と居心地悪そうに体を揺らした。
「おとうさま、最近ね、背中がむずむずするの。痒い時もあるわ。虫刺されでもないのよ」
「もう? お前は成長が早いね」
確かめるように娘の肩甲骨のあたりをなぞり「まだ大丈夫」と優しく微笑んでやった。
「ゆっくり大きくなりなさい。せめて中学までは通わせてやりたいから」
「中学まで? その先は?」
「それはお前が決めなさい。山で隠れて暮らすか、それとも翼を隠さず世間に出て行くか。僕たちもそのくらいの歳で決めたんだ。お前もお前の人生は自分で選びなさい」
遠くないいつの日か、娘に生えてくる翼を撫でるような手の動きをして父は言う。
娘は何度か瞬きをして「そうよね」と夢を見るような目をした。
「私にもおかあさまのような綺麗な翼が生えるのよね」
「そうだね」
「素敵ね」
あの世界で一番美しい翼を思い浮かべながら父は頷く。翼のせいで気軽に外出できないのは可哀想だが、それでもあの翼を落としてしまうのは惜しい。
世界で一番美しい翼、と思っているのはお互い様だ。卵を産み落とし翼が落ちたときの顔を思い出し、父──弟は、ひっそりと笑った。卵を温めるのは母の役目だよと疲れ果てた身体をなんとか起こしながら姉に言っても落ちてしまった翼を抱きしめて「もう生えてこない」と泣くばかりで結局最初の頃は毛布と一緒に自分が卵を温めた。今となっては懐かしい。卵から無事孵った娘がこんなに元気に大きくなったことも嬉しい。
娘は母に目元がよく似たいつも優しい父を見上げ、不思議そうに首を傾げた。
「ねえ、おとうさまに翼がないのはどうして?」
「はは、それはね」
お前のおかあさまに捧げたからだよ、と姉が聞いたら顔を真っ赤にして怒りそうなことを弟は娘に囁いた。
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