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第八話 きさらぎ駅のコインロッカーベイビー⑧

直接的な暴力描写は、“まだ”ありませんが、特にDV被害に関わる描写があります

苦手とされる方は、読まないでください


また、DV被害対策についての言及がありますが、現実世界でも地域ごと、関わる組織ごとにさまざまな対応が行われています

作中の描写は、それらのミックス仕様であり、あくまでフィクションです

また、DV被害者を支援保護する立場の方への批判誹謗中傷の意図は、作者にはまったくございません


人間のルールにおいて、悪いのは、どんな理由があっても暴力を振るうやつです


長くなり申し訳ございません

それでは、本編をどうぞ

 柴崎(しばさき)あや()は、早くに両親を亡くしていた。原因は、事故と病気。不運なライフイベント。

 親類縁者との関わりの薄かった両親は、多少の財産だけは確保してくれていた。万が一を考えてのことだろう。未成年で身寄りがないことから、公的・民間の支援を受けることもでき、あや香はバイトを掛け持ちしながら、定時制高校に通い、卒業。バイトを続けながら、あや香はなんとか成人する。

 だが、成人すれば支援はなくなる。両親の遺したものも残りわずかだ。

 生きるので精一杯だったあや香は、人生の目標が曖昧だった。定時制高校も、民間の支援団体からの薦めで入学したので、正直中学卒業と同時にガッツリ働きたかったな、などと思ったこともある。

 バイトの時間を増やし、貯蓄を始めて、やっとあや香は人生の先を見る余裕ができた。学びたいこと、或いはなにかやりたいことを、見つけたい、と。


 しかし狭く閉ざされた世界からやっと踏み出したあや香は、偽りの輝きと出会ってしまう。


 あや香の周りは、きちんとした、まともな大人ばかりだった。それは、彼女の唯一にして最後の幸運だった。

 だから、偽物に気付けなかった。悪意だったら気付けただろう。孤児(みなしご)であるというだけで、バイト先や定時制高校でいじめられた経験があったから。だが、偽物は時に、本物よりも眩しくて、不可思議な説得力を持つ。

 魅乃島(みのしま)龍矢(たつや)。バイト先のレストランに現れた彼は、あや香と同い年くらいだったが、堂々としていて身綺麗で、そしてなにより壮大な「夢」の持ち主だった。

 最初はやたら話しかけてくるちょっと迷惑なお客様だったが、あや香は段々と魅乃島の語る夢物語に惹かれていった。自分にはないもの。荒唐無稽で具体性はないが、なんだかキラキラしているものに、心を奪われた。

 恋、だったのかもしれない。実際に、あや香と魅乃島は男女の仲になる。だが、最初にあや香が惹かれたのは、魅乃島の語った「夢」だった。煌めくなにかを見た気がしたのだ、最初は。


 中身のない、空っぽの、この世でもっともちんけな類いの偽物だと、わからなかった。


 一緒に暮らし始めると、魅乃島は完全に働かなくなった。それでも、しばらくは彼の両親から仕送りが来ていたが、ついに唯一の味方からの支援も終わる。病気でもなく、勉学に勤しむわけでもなく、遊んでいるだけの息子に、どんなことでもいいからなにか一つ続けてみろ、と告げて。

 最後通牒を受けても、魅乃島は働かなかった。というより、長続きしないのだ。調子がよいので就職自体はするのだが、仕事を真面目にせず、上司や先輩の指示にも従わず、無断欠勤を繰り返し、最終的にはクビ。いままでもずっと、この繰り返し。無断欠勤した日は、大概どこかで遊んだり、ショッピングをしたりして楽しんでいるので、財布の中身は減る一方。

 だが、帰宅すればーーそもそも家賃が払えず、まんが喫茶やファミレスを渡り歩いていたところを、バイト中のあや香と出会い、仲が進展してからはまんまとあや香の借りたアパートに転がり込んだのだがーー可愛いカノジョのご飯が待っている。魅乃島の危機感、責任感はゼロのままだった。


 両親を失ってから、何事も必死で視野の狭いあや香は、最初その姿を「自由」と思って、半ば憧れすら抱いていた。

 あや香の作った質素ではあるがきちんとした食事を笑顔で食べる魅乃島の語る「夢」を、あや香はニコニコしながら聞いた。彼の語るものに中身などなく、「キラキラしたなにか」はどこにもないことに、気付けなかった。


 いや、気付かないフリをしていたのかも。


 しかし、あや香はついに「現実」を見る。

 自らのお腹に宿ったちいさな命の存在に気付いたとき。

 この時、運命の歯車は彼女を助けた。事情を知ったまともな周囲の人々の説得をあや香は受け入れ、少ない私物をまとめてアパートを引き払ったのだ。彼女の名義だったのだから、できて当然、簡単なことだった。

 支援は受けつつも、ひとりコツコツと真面目に働き築いてきた、人脈という本物の財産を使って逃げ、新たな生活を始める。お腹の赤ちゃんとと共に。


 たが。自ら作った人脈を頼ったがために、あや香はあまり遠くへ逃げられなかった。身重だったこともある。助けてくれる人の全くいない新天地を目指すほどの、勇気もお金もなかった。本来ならあったはずの資産が、偽物の輝きにかなり食い潰されていたせいだ。



 もっと、ずっと遠くへ逃げていれば。

 もしも、ああしていれば。

 もしも、こうしていれば。

 もしも…。

 もしも……。



 出産を命を懸けて成し遂げ、戻ったアパートの入り口に。


 今や子育ての邪魔にしかならない生き物が、ヘラヘラ笑いながら待っていた。


「お、産まれてんじゃん」


 あや香は我が子を守るように抱き締めた。遺伝的に父であろうとも、コレは「父親」ではない。動物的な本能でわかった。

 この時付き添っていたまともな知人や、偶然通りかかったアパートの住人のお陰で魅乃島を追い払うことができた。赤子を連れた女性に絡んでいるチンピラがいると通報を受け、警察も来た。


 だから、妙にあっさり魅乃島が引き下がったことに、誰も気付けなかった。


 警察も、()()()()()危害を加えられたわけではないので、あや香から事情を聞くことしかできない。シェルターなどに避難しなければならない緊急性はないとされた。体調の回復と子育てに専念しましょう、巡回は増やしますね。

 知人もご近所さんも、一度撃退できたことで、ガードが下がった。子育て頑張ってね、いつでも声かけてね。


 周囲に見守られながら、あや香が子育てに励む間、いや妊娠出産に至るまでの間に、あや香にはなんの咎のないところで運命はどんどん悪い方へ転がり続けていて、あや香と赤ちゃんは道連れにされたのだ。



「赤ちゃんを売る?」

 浮草が思わず発した言葉に、あや香は涙ながらに頷いた。

 黒い靄が揺蕩(たゆた)う、やみ駅のホーム。

 混乱した柴崎あや香を落ち着かせ、()()()()()()()()()()()()に、彼女自身に話をしてもらっていたのだ。


 あと、浮草の恐ろしさに震えの止まらない車掌さんや小人たち、やみ駅を落ち着かせるためでもあった。


「さすが人間、怖いこと言いますねえ」

「夢に出てくる人殺しの化け物さんだよね?」

「人間の怖いところはね、なんにでもなれちゃうとこですよ。まあ、わたくしたちも望めば大概なんでもなれますけど、人間はその振れ幅が大きすぎて怖いんですよ。わたくし、いくら変わろうとも、小人たちを売ろうとは考えませんよ?」

「はいはい、ごめんごめん。あ、あや香さんもごめんなさい、脱線しちゃった」

 電車だけに…とか言いかけた車掌さんの顔面に群がる小人。空気が読めて偉い。


 あや香は、みどりは様のおくるみの力もあってか、この状況そのものは割りとあっさり呑み込めた様子で、()()()()()()()を受け入れるために話続けた。ちなみに、おぶい紐ごと赤ちゃんはあや香の胸に抱かれている。これもまた、異常な状況をどうでもよくさせている一因だろう。

 赤ちゃんも、大きな目をぱっちり開けて一心に母親を見つめている。あまりにも可愛いので、小人たちがあや香に群がっておもちゃを振っている。癒される絵面である。


 あや香は涙をぬぐい、話を続ける。こんがらがったものをほどいていくように。


 出産から約3ヶ月後。

 産後の肥立ちが悪く、寝込みがちだったあや香の体調も落ち着き始め、本人が動けるようになったので、シングル家庭が受けられる支援への申請を始めた矢先に、再び現れたのは、化け物だった。未だ「人」ではあったが、中身は人食いの化け物になった魅乃島龍矢が。

 遺伝的には父親のオスが、ヘラヘラ笑いながら言う。


「ソレ、売っちゃおうよ! 高く買ってくれる人を見つけたんだ。あやちゃんだって、ソレの世話でいっぱいいっぱいでしょ? 仕事もできないし、貯金だってなくなっちゃったよね? で~もぉでーもぉー! ソレを追っ払っちゃえば、ぜーんぶ解決! またいっしょに楽しく暮らせるぜ!」


「なに言ってんだコイツって思った」

 初めて、冷たい声があや香の口から溢れた。だが、浮草も取り囲む怪異たちも全面的に同意する。やみ駅の暗がりすらも、なんか同意を示す気配を感じる。

 なに言ってんだソイツは。小学三年生の浮草でも分かる。それは、人身売買という、れっきとした犯罪だ。過去の人類史に照らせば別だが、現代社会の法律では、普通にアウトだ。セーフだった時代ですら忌避された所業だ。

 だが悲しいかな、いろんなものごとを「みる」浮草は知っている。ごく当たり前に、現代でも、身近に、それが存在することを。人間を食い物にする人間がいることを。

 ただ、目の前にいる当事者から聞くのは、胸くそが悪い。アイツ、()()()()()()()()()()()()()()()()()


「言ってることもおかしかったんだけど、たっちゃん、なんかその、格好も……いつも綺麗にかっこよくするのだけはちゃんとしてたのに、なんていうか、小汚ない…何て言っていいのかな。とにかく前と違って、格好が変で」


 中身はないが、見た目はちゃんとおしゃれをしていた龍矢がみすぼらしくなっていたのだ。


「服は汚れてるし、髪もお風呂入ってないし手入れもしてないみたいにグシャグシャだし、今思い出すと、怪我? も、してた気がする。腕にアザとか」

 単に身支度を整えられなくなるのは、特定の疾病に起因することがあるが、怪我やアザ。

 浮草は知っている。その怪我とアザの原因を。でも、別にあや香は知らなくていいだろう。純朴な彼女は、こんな目に遭わされてもまだ魅乃島に同情的だ。


 浮草が「みた」事情は、粗方ではあるが、自業自得ゆえだった。

 あや香の元を二度目に訪れたとき、魅乃島は心身ともにボロボロだった。風呂キャンセルとかそういうことではなく、()()()()()()()()()()()()()()()()。あや香は気付いていないし、気付かなくて良かったのだが、腕のアザや怪我は防御傷、服の汚れは自身の血や土ぼこりが付着したもの。


 あや香がひとり親として懸命に生きている間に、カネに困った龍矢は、「本物の悪」からカネを借りてしまったのだ。当然、全く働かない魅乃島に返せるはずもなく、違法な借金はどんどん増えていく。だが魅乃島には、危機感もなければ、まともに逃げる知恵も人脈もないので、貸し主に暴力による催促を受けたのだろう。この手の方々が暴力を使うくらいだから、魅乃島は相当手に負えない債権者だったに違いない。

 そして返済のために、人身売買を提案されて、あや香を必死で探しーー運命はこの時、龍矢の味方をしたーー彼女を見つけた。赤子だけでなく、若いあや香も売る気だったのは想像にかたくない。


「こんなヤバイことあって冷静なの、映画の主人公ぐらいだよ。でもさすがに、これは警察来てくれたよね?」

「あ、うん」

 あや香は辿々しく続きを話した。

 アパートのドアまで踏み込まれてしまったが、あや香は生まれて初めての暴力を振るった。後ろに守るものがあったからか、生存本能が爆発したのだ。まあ、普通に正当防衛だが。

「出ていけ! ふざけんな、出ていけえ!!!」

 手近にあったフライパンで龍矢の顔を強打(華麗なクリーンヒット)、よろめいたところに前蹴りをくらわせてドアの外へ押し出し、直ちにドアを閉め、鍵とチェーンをかける。


 浮草たちは拍手喝采。「めっちゃかっこいい」「やっぱり人間って最高ですね」などと誉めちぎられて、あや香はえへへ、と恥ずかしそうに笑った。

「あんなおっきな声出したのも、人に乱暴なことしたのも初めて」

「ふふふ。全部、当たり前だし、あや香さんが正しいよ。なにより、めっちゃ気分良い!」

 もしこれが薔薇だったら、魅乃島は即死して、物語はそこで終わりだっただろう。しかしあや香は普通の人間だった。まともな人に囲まれて生きてきた、普通の人間。だから、その後の行動も、普通の真っ当な行動だった。

 そっと覗き穴から外をみると、フライパンが落ちているだけで魅乃島の姿は確認できない。だが、危険が去ったわけではないことは分かっていた。

 あや香は赤ちゃんのための荷物をまとめた。替えの紙おむつ、おしり拭きシート、赤ちゃんの着替え、液状ミルクなど本当に最小限のもの。それから、さすがにこれは置いていけないーー出産祝いに貰った、編み棒といくつかの毛糸玉と簡単な教本と、それを見ながら初めて作ったちっちゃなくつ下。

 警察やDV関連の支援部署には既に何度か相談済みで、「なにかあれば、すぐきてください」と言われていた。今がそのときだ。

 浮草的には「呼んでくださいじゃないの? 来いよ、助けに」と思うが、黙って続きを聞き続けた。たぶん、今まで実害がないから動けないとか、なんとか、そういうのなんだろうと、口をつぐむ。


 あや香は警察に駆け込んだ。既に何度も話を聞いてくれた担当者は「赤ちゃんを売ろうと持ちかけられた」と聞いて愕然とし、この件がただのシングルマザーへのつきまといではないと、やっと悟る。ここまで母子が無事にたどり着いたことに心から安堵しつつ、母子を隠し保護するシェルターへ入るべきと判断する。すぐに手続きと連絡が交わされ、パトカーで最寄駅まで連れていって貰い、あや香は電車に乗ってシェルターを目指すことになる。

 そう。自分の足で行かねばならないのだ。シェルターの場所だとか、居住区それぞれに手順が違うとか、いろいろあるんだろう。とにかくあや香の住む町は、そうだった。

 すっかり日が暮れて、たどり着いたのが阿惜夜市(あたらよし)の新市街の駅。旧市街との際にある、天狼川(てんろうがわ)駅だ。


 開発の進む駅周辺から少し離れ、まだ自然が残るあたりに古い多目的公共施設があり、建物の数フロアに居住空間に改装されたシェルターが隠れているのだ。

 初めて来る土地、めまぐるしい状況の激動で、疲れと冷静さを失っていたあや香は道に迷ってしまった。駅からタクシーでも拾えば良かったのだろうが、もう頭が動かなかったのだ。

 そのとき、まるで呼ばれるように目を引いたのは、ひとつかみだけ残された小さな森だった。

 あや香はフラフラと鳥居をくぐり、神が眠る太古の森の短い参道を進み、二本の大きなクヌギの大木と、その前にいます蚕神の社へとたどり着いた。

作者、このような関連施設に関わった経験がございます

作中の支援の流れや、シェルターについては、いくつかのものをミックスし、フェイクもいれています


繰り返しますが、支援保護に携わる方々への誹謗中傷の意図はありません

内情をみていますので


悪いやつが、一番悪いのです

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