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第七話 きさらぎ駅のコインロッカーベイビー⑦

 浮草は糸に手を添え、前へ進む。空中の、糸が消えていくところへ真っ直ぐ踏み込んだ。

 まばたきをしたら、景色が変わっていた。

 小さな森の祠にいたはずが、浮草は今、強風の吹きすさぶ鉄橋のど真ん中に立っていた。

 糸の続きは、背後に伸びている。

 ということは、振り向く必要があるのだが、ここに来る前に「みて」いた浮草は、正直振り返りたくない。

 だが、風が強い。吹きっさらしの鉄橋のど真ん中には遮るものが何もないから、小学三年生の小さな体は今にも橋から吹っ飛びそうだ。


「おっと、お気をつけて」


 陰気だが、聞く人によってはイケボといってもいいかもしれない低音が耳元で囁かれ、腕をとられた。

「こんばんは、車掌さん」

「はい、こんばんは。そんな警戒なさらないで。今、我々暇を持て余してて、通常業務はほとんどしてないんですよ。なので、迷子の送迎も喜んで承りますよ!」

 観念して振り向いた浮草のひきつった笑顔から、正確に心情を汲み取った「車掌さん」はにこやかに言った。

 顔立ちの印象は、管理人さんと同じく妙に薄い。しばらくしたら忘れそうだ。特徴的なのは声ぐらいで、一度聞いたら十年経っても忘れないだろう。年齢不明の成人男性で、少し昔風の制帽と制服を身に付けている。

「さあさあ、乗ってください。本当に今回はだいじょうぶなので」

「おねがいします…」

 まだだいぶ警戒しつつ、浮草は車掌さんの後ろに控える電車をみる。

 昔は、デパートのような大きな商業施設の屋上や遊園地には必ずあったという、低年齢の子ども向けの箱型の電車を連ねたアトラクション。先頭車両は動物だったり、人気のアニメキャラクターだったりする。いわゆるライド型のアトラクションではあるが、シートベルトもない大人しい乗り物で、楽しいミュージックと共に、数分間ただ軌道をゆーっくり移動するだけのものだ。

 車掌さんの背後にあるのは、そういう「電車」だった。原色で塗られ、まろやかに作られているはずのそれは、日に焼けて古びていて、廃棄されたものにしか見えない。先頭車両も、なんの頭が生えているのやら…牛…?…パンダではないな? ライオンでもないなこれ…? わからん……と思いながら、浮草は車掌さんの手を借りて、あきらかに場違いな「電車」に乗り込んだ。仕方がない。なにしろ糸は電車と繋がっているのだ。

 そのとたん、連なる車両からボロ布を身にまとった小人がワサーッと迫ってきた。

「っ!!」

「だいじょうぶですってば。ほら、手に持ってるものをご覧ください」

 陰気な営業口調に、恐る恐る浮草が小人たちを見れば、その手にはガラガラ鳴るおもちゃとか、赤ちゃんがかじってもいいぬいぐるみとか、積み木っぽいものとか、とにかく赤ちゃんのために親や親類縁者が次々買い集めそうな品々が握られている。

「いやまあ、久しぶりに生きてるお客様もいらっしゃいますから、正直()()()()()()気持ちはありますよ。ですが、管理人さんから指示も受けてますし、みどりは様のからのご紹介ですし」

 車掌さんの印象に残らない笑顔に加え、ワサッてる小人たちもおもちゃを振りかざしつつめっちゃ笑顔である。

「それになにより、浮草様をもてなすわけにはいかないですよ。それでは、出発進行!」

 車掌さんの陰気なイケボと共にアトラクションの電車は動き出す。

「ヒマ、なんだ?」

 好奇心を抑えられず、というか間が持たないのもあって、浮草は聞いた。車掌らしく直立していた彼はくるりと振り返り、後ろからはワッサーと小人が押し寄せる。

「忘れられかけてるからですねえ」

 ほんの少し寂しげに車掌さんは答えた。

「当時は一世を風靡したもんですけどねえ。怖い話がお好きな方ならみーんなご存知だったじゃないですか。あんまり興味ない人も一度くらいはふわっとした内容聞いたことあるでしょう、「猿夢」って」

「だって、超怖いんだもん…内容が」

「そんなあ。化け物なんだから、怖いですし、人も殺しますよう」

「それはそうなんだけどさあ」

「はぁーあー、なぁーんでわたくしたちは映画化してくれないんでしょう?」

「やることが怖すぎるから」

「R18Gだからですか?! そんなのたくさんあるじゃないですか! わたくしどもは思い出していただけるんなら、バットで殴られるのも厭いませんよ?!」

「そっち系でいく気なの?…うーん、それかソウシリーズみたいにガチ勢に望みを託す感じにするとか?」

「どなたがわたくしどもを演じてくださるんでしょう……はっ! いま人気のアイドルとか殺せますかね?!」

「監督さんによると思うなあ。それに車掌さんは一応声だけだから、声優さんだろうし、小人さんたちもパペットとかCGなんじゃないかなあ」

「イケボだと嬉しいですねえ」

 本当に暇だったのだろうめちゃくちゃ楽しそうな車掌さんのおしゃべりを聞きつつ、浮草は忘れられていく怪談と怪異を思ってちょっと寂しくなってくる。かれらは、とても怖いけれども、怖いのは人間の視点からのこと。嵐やヒグマと同じ。意思を持ち、たしかにそこに在るモノなのだ。

「楽しい時間はあっという間ですね。本日は当電車をご利用いただき誠にありがとうございました。次の停車駅はやみ駅ー、やみ駅でございます」

 車掌さんの声が途中から営業口調に切り替わった。アトラクション用の箱形電車が静かに駅のホームに止まる。

 到着したのは、きさらぎ駅と同じ無人駅だった。しかしきさらぎ駅以上に暗く、黒い靄のようなものがかかっていて輪郭が曖昧だ。チカチカと明かりが点滅する度に、駅のどこかが変わっている気がする。

 浮草がやみ駅のホームに降りると、車掌さんと小人たちもワサーッとついてきた。

「?」

「迷子の送迎を承ってますので」

「ああ、そっか、ありがとう。本当にヒマなんだね」

「やんなっちゃいますよー」

 などとほのぼの会話しつつ、浮草を先頭にホームを歩く。萌黄色の糸は電車から、別の場所へと繋がっていた。

 ホームの端の古びたベンチに、女性がひとり、うなだれて座り込んでいた。

 見るからにボロボロだ。その有り様は、電車や小人たちのような古さからくるものではなく、暴力によって引き裂かれていた。

 垂れ下がる髪は乱れていて、まるで誰かに髪を掴まれて引きずり回されたかのよう。服のそこかしこに滲む染みは、血だ。破けたスカートから覗く足は傷やアザだらけ。

 浮草は一瞬だけ泣きそうに顔を歪めるが、ふーっと強く息を吐いて、傷だらけの女性に歩み寄る。


柴崎(しばさき)あや()さん」


 ピクッと女性が反応した。しかし彼女はうなだれたままだ。

 いや、違う。

 気付いた浮草は、憤然と彼女の前に回り込む。その顔が、人殺しの怪異とも笑顔で談笑していた穏和な顔が、あからさまな嫌悪感をむき出しにした。

 女性ーー柴崎あや香に対してではない。

 暴力により傷だらけになった彼女の細い首を掴む()()()を、浮草は嫌悪をこめて睨んだ。

 腕は、床から伸びて途中で消えている。柴崎あや香が俯いたままなのは、この手にのど輪を掴まれて引っ張られているからだ。


「これじゃあ、おむかえになんか来られなかったよね」


 年齢不相応の、老いさらばえたような掠れた声で浮草は囁き、死してなお首を絞められ続ける女性の霊の頭に、そっと優しく手をのせた。


「なんでわざわざ吊るすわけ?」


 浮草の表情がさらに歪む。後ろで見守っていた車掌さんと小人たちが、()()()()()()退()()

 零れるような浮草のひとりごとの、氷のような声音に気圧されたのだ。

 しかし、すぐに浮草はいつもの子どもらしい顔つきにもどり、声もまた優しいものになる。

「ごめんね、おろしてあげられなくて。でも、もうおねえさんは、自由だよ。自分で降りられるんだよ」

 浮草の呼び掛けに呼応するように、萌黄色の神々しい光が、大きな翅のように広がって柴崎あや香を包み込んだ。

 彼女のボロボロの体から、傷や汚れが消えていく。まだ細い首は掴まれたままだが、彼女の顔には意志がよみがえっていた。

「あれ? え? わたし…え、なに、く、苦しい」

 ぎょっとした様子で、細い両手で、首を掴む手を外そうと引っ掻き始める。もとの姿を取り戻した柴崎あや香は、まだかなり若い女性だった。


「あ、そうだね、ソレ邪魔だね」


 あくまでも穏やかな声だったものの、奥に含まれた不穏な気配に逸速(いちはや)く気付いた車掌さんが「お客様、大変失礼いたします!」と叫んで、柴崎あや香の両耳を白手袋をはめた手で塞ぎ、小人たちがおもちゃを手に手に背中に群がり赤ちゃんを包囲する。

 柴崎あや香が意識を取り戻したとたんに、赤ちゃんもまた、まあるいお目目をぱっちり開けていたからだ。小人たちが、一斉に音の出るおもちゃを鳴らしまくって気をそらす。

 母親である柴崎あや香と赤ちゃんはきょとん顔。

 対して、車掌さんと小人たち、そしてやみ駅の()()()は、()()()()()()()


 浮草は小人の発する賑やかな音を聞こえていないように無視して、()()()()()を見ながら言った。



魅乃島(みのしま)龍矢(たつや)、手を放せ」



 耳を塞がれていた柴崎あや香すらも背筋に悪寒が走った。


 声に温度が宿るとしたら、いま発せられた声は絶対零度だったに違いない。


 びくんっと腕が震えた。柴崎あや香の首を掴む力が弛む。彼女は指で引っ掻き、身をよじった。

 だが、まだ手は離れない。

 そのしつこさに、車掌さんと小人たちのほうが青ざめる。



「もう一度、いうよ。魅乃島龍矢、手を、放せ」



 ミシリッとやみ駅が震えた。

 曖昧な暗がりが駅舎ごと後退しようとしているかのようだ。


 浮草の両目は、男の腕が消えた床の先をじいっと見ている。


 やみ駅の、先を見通させない黒い靄よりもなお真っ黒な、二つの眼差しに射貫かれた男の手が、めきっと不吉な音を立てた。

 指が二本、曲がってはいけない方向へねじ曲がった。



「おれが、放せっつってんだ、放せよ」



 車掌さんと小人たちの悲鳴、やみ駅の盛大な軋み、それを圧して轟き渡る男の絶叫。

 床から伸びていた男の腕は、跡形もなく消えていた。

暇を持て余した夢に現れる怪異「猿夢」、迷子の送迎や、同じく暇を持て余した古い神々の観光旅行とか、他にも色々承ってます


ちなみに車掌さんの陰気なイケボは、「あなた」にとって心に残る一番素敵なイケボです

夢で聞けるといいですね

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