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第二十六話 彼女と彼の高校デビュー⑪

 バイト終わりのいつもの帰り道。

 薔薇がバスで旧市街にたどり着く頃、夏の近づく空も、さすがに夜が深くなっている。

 家路を辿る道は民家が減り、家とは少し別方向にある小さな商店街はシャッターが下ろされて昼間でも上がることがない。

 該当もまばらな、けれど慣れ親しんだ夜道は、季節の虫が鳴き、森と田畑と微かな夕食の香りが漂う。今夜の晩ごはんはなんだろうと胸踊らせて歩いていると、()()()()()()()()()()()()()


 自分の足音の反響ではない。背後から襲われても気付けるよう、普段から薔薇は自らの足音を殺して歩く。人にしろ獣にしろ、尾行者に逸早く気付くために、自然に身に付けた。

 風向きは下手。だから、誰なのかもすぐ分かる。

 タバコ、整髪料、緊張による汗の匂い。金属の匂いと、少しばかり血の匂いもする。個人の体臭と混じりあって漂う、この匂いは、知っているやつらだ。


 その勇気は買うけども、まさか、あたしの縄張りに入ってきちゃうかあ。


 薔薇はまっすぐ帰るのをやめて、家とは少し別方向にあるコンビニへ向かう。バイトで遅い日は寄り道はしないのだが、招かれざるお客様がいるんじゃ、仕方ない。

 このあたりで唯一の大手チェーンのコンビニで、立地上、時給が大変良いのだが、長続きするひとのいないコンビニ。鶺鴒からも、バイト先として却下されたところだが、客としていくぶんには問題ない。

 今夜レジにたつのは、ルーツが海外にあるらしい浅黒い肌の青年で、日本語ペラペラで仕事も早い。店長以外で一年以上続いている珍しいひとでもある。

 薔薇は常連客なのもあって、青年とちょっと世間話などしつつ、家族へのお土産にプリンと、自分がこれから歩き食いするための唐揚げを買って、店をでる。袋を無料で分けてくれる気遣い。唐揚げ入りのビニール袋からは素晴らしい香りが立ち上る。夕飯前の買い食いほど、冒涜的で美味いものはない。


 家へ向かうためには、シャッターがおりた商店街を抜けるとはやい。暗がりの多い道で、ひと気が全くないため、通るものはほぼいない。月明かりを遮る建物の間を進みながら、薔薇は悠然と家路を辿る。


 コンビニが遠ざかり、完全にひとの気配がなくなって。


 どんなに大声で叫んでも、誰にも届かないだろう、そんな、人の手で生み出された無人地帯。

 尾けてきていた足音は、薔薇の計算通りの、暗い曲がり角のそばで走り出した。


 慌てず騒がず、薔薇はあたりを見回す。

 あえかな街灯と、そのせいでより濃い暗闇と、廃れた建物たちの「角」を。


 目が合った。


 暗がりの中に、「角」に、()()()()()。薔薇は親しく笑いかけた。見返す、()()()も嬉しそうに目を細めている。


 確認してから薔薇は悠然と振り向く。

 腕を三角巾で吊った津亀岡がバールのようなものを握りしめて、駆けてくる。多栗、走紫、青尾沼、仁導、全員揃って、手に手に金属バットやらなにやら持って揃い踏みだ。


 振り向いた薔薇に驚いたのか、手負いの少年の群れが急停止する。近場の唯一の街灯の真下。

 薔薇は、明かりの二歩ぐらい外。


 スポットライトに照らし出される、主役は彼らだ。演目のジャンルがなにになるか、知らないままに立っている。


「テッ、テメエ、テメエだよ! テメエのせいで、オレの人生めちゃくちゃだ!」

 口角泡を飛ばす津亀岡。ブン、とバールのようなものを振り回す。なんと勇敢で、鈍感な。

「あたし? あたし、なんかした? あ、腕は折ったね。それ以外は? 具体的に?」

 薄暗がりの奥から、嘲りを隠しもせずに答える薔薇に、津亀岡はわめきたてる。立て板に水とはこのことだ。

 曰く。今回の騒動が、父親の会社でも噂に登り、同時に社内での彼の父の不正やパワハラが証拠とともに詳らかにされ、空気的にも法的にも追い詰められることになった。父親は自分の身を守ることに必死で、だから息子である津亀岡とその仲間たちは放置され、自分達にも警察の捜査がドンドン進んでいるとのこと。

 恐喝、暴行、違法薬物の所持など、複数の事案が過去のものまで掘り起こされて、遠からず法の裁きへ引っ立てられるーーーそれは、薔薇が悪いのだという。


「えっと……あたし、国語も英語も成績、十段階評価で九なのが数少ない自慢なんだけど、ちょっとなにいってんのかわかんねーや」


 実際に、そうだ。何もかも津亀岡たちの何年もの積み重ねた行いーーただまあ、それを薔薇の悪友がこのタイミングで世間に無視されないようにきちんとぶちまけた、というのは、事実だが。

 それは、薔薇のせいなのだろうか?

 羽々(はば)緋水(ひすい)にとって一番邪魔だったのは、社員の津亀岡の父親だが、同じクラスでやりたい放題荒らしていた息子とその仲間も、まとめて社会的に消し去れるなら、まさしく一石二鳥。

 どうしたものかなと考えていたところで、薔薇に喧嘩を売っていたのだ。緋水がこれを利用しないはずはない。

 緋水は、すでに集めていた法律的に完全にアウトな証拠や、パワハラ・セクハラの訴えを纏めて、弁護士をつけて彼女が将来受け継ぐ会社であるケツァールカンパニー上層部へ。一部はもちろん警察へ。不正行為のなかには、息子のいじめ加害を黙らせるためにばら蒔いた賄賂も含まれている。

 同時に、クラスの津亀岡たちの被害者に働きかけ、証言を集め、黙っていた者はまず学校へ被害を訴えさせ、最終的には警察に被害届を出させた。これには、以前姫川夕映の高校進学に際して解決に力を貸してくれたいじめ被害者支援団体も巻き込んで、助力を得ている。勝手に、中学の頃の被害者も名乗りを上げてきて、まるで革命の狼煙のごとき大反撃が始まっていた。姫川夕映の一件で、中学も教育委員会も、自身の不手際を認めており、津亀岡たちの行動も当然認めている。


 積み重ねたものが、一気に倒れた、ただそれだけだ。


 その上、ギリギリ「若い頃のヤンチャ」で済んでいたところに、違法薬物ときた。本来は正当な医薬品だが、処方箋なしで手に入れることができず、使い方によっては軽いアッパー系のオクスリであったそうだ(情報源は緋水)。

 とはいえ、本当の「邪悪」ならこんな簡単には崩れない。悪いことを続けるにも、「おばかさん」ではやっていけない。彼らは、本物の「悪」や「暴虐」には程遠い。それでもあれだけ被害者が生まれるのだから、世の中は本当に、理不尽なことだ。


 とはいえ、だからこそ理不尽だが()()()()()()()()()()()()()()()()


 よりによって、彼らは最悪の選択をしてしまった。緋水のおまじないが今更効いたのかもしれないが。


 津亀岡たちはずっと、奪う側で、壊す側だった。運良く守られてもいた。その幸運がすべて消え去り、奪われ、壊され、守ってもらえなくなってパニックになってしまったのだろう。


 今までの運の良さが、すべて悪いほうに反転したかのよう。

 これを因果応報とでも呼ぶのか。


 彼らは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「知らねえよ! とにかく全部、全部テメエから始まったんだよ!」

 叫んで、勇敢にも津亀岡(つきおか)勝士(まさし)は、片手に握りしめた金属製のバールのようなものを、薔薇の頭に振り下ろした。


ゲシャリ。


 ふしぎな音。

 頑健な金属の塊が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「うーん……せめて、尖ったとこで、目玉とかコメカミとか狙わないとダメだよ」

 頬をポリポリ掻きながら、薔薇は、とても可哀想なものを見る目で津亀岡を見上げる。彼女は、血の一滴はおろか、薄皮すら傷ついていない。岩を殴ったって、もう少し破片が飛び散るだろうに。


 わけのわからない光景に、津亀岡の思考回路が追い付く前に、背後で悲鳴が上がる。

 津亀岡含めた全員が、頭の中が真っ白なまま、本能的に悲鳴の方向を振り返る。


 ちょうど、仁導(にしべ)亮太(りょうた)の体が、街灯の光の輪の中から闇の中へ引きずり出されていくところだった。そしてすぐさま、人間のものとは思えない絶叫と、グチャグチャバギバギという本能的な恐怖を刺激する異音が鳴り響く。


「は? なに…」


 バットを握りしめた多栗(たぐり)輝生(ひかる)に、闇のどこかから突進してきたなにかが体当たりして、彼もまた光の輪の中から弾き出される。

 光の外から、仁導の細くなっていく悲鳴と、新たにひしりあげる多栗の悲鳴。そして風に乗って、鼻を突く刺激臭。強烈な血の匂いもまじって、一瞬にして残る三人の鼻は機能しなくなる。それでも、嗅いだことのない不快な刺激臭が、脳に突き刺さってくる。


 薔薇は、一歩も動いていない。

 街灯の光の輪の、少し外から、スポットライトに照らされる今宵の主役ーー正確には主菜(メインディッシュ)を眺めている。


 津亀岡はバールのようなものを持った手をだらりと下げてしまって、愕然としたまま動けない。

 彼らの周り。

 光の輪の外側。

 旧市街にわずかに残る、廃墟といってよいシャッター街。人の住まなくなった建物が作り出す闇のなかに、なにかがいる。


 いや、正確には、建造物が作り出す、()()()()()()()()()()()()()()()()


 一番大柄で、喧嘩慣れした青尾沼(あおぬま)扇太郎(せんたろう)は、奇跡的に反応した。だが、それは無意味どころか、残される津亀岡と走紫(はむら)正朗(せいろう)を恐怖のどん底に突き落とすことになるのだがーー仁導や多栗のように全くわけもわからず死ぬよりは良い、のかもしれない。


 青尾沼は、生涯最後の奇跡を起こして、金属バットを全力で振った。けれど()()は、なんなく大降りの一撃をかわして、青尾沼を突飛ばし、その場にーー街灯の光の輪の中に押し倒した。


 ()()は、犬に似ていた。四足の獣に近いかたちをしている。青黒い靄をまとう大型犬くらいのなにかで、その姿はおぼろげで判然としない。


 だが、肉食獣だというのは、本能で分かる。

 分かってしまう。

 でも、それ以上は、()()()()()()()()()()()()()


 それーー薔薇は「猟犬」と呼ぶモノの頭部から、鋭く尖ったものが伸びた。青尾沼の顔面に突き刺さり、彼の顔を半分以上潰して強制的に悲鳴を止める。それは注射器のような機能を持つのか、青尾沼に刺さると同時に蠕動(ぜんどう)し、彼の悲鳴は警報のような長く伸びやかなものから、ゴボゴボという詰まりかけの水道のような音に変わり、全身が痙攣し始める。

 さらに二頭の猟犬が現れ、青尾沼の胸と胴に長く延びる「口」を突き立てて、吸い始めた。青尾沼の痙攣が激しくなる。死にかけのセミのようだ。


「な、に、あれ」


 走紫の最期の言葉。()()()()から飛びかかった猟犬の勢いに撥ね飛ばされて、彼もまた闇の中へと永遠に消え去る。


 ガランッと今更のように、津亀岡の手から曲がったバールのようなものが落ち、彼の腰も地面に落ちる。薔薇の鋭敏な鼻は、人間の血と臓物の匂いと、猟犬の刺激臭に加えて、人糞と尿の匂いを嗅ぎとった。

 それでも、変わらぬ涼しげな態度の薔薇の両隣に、猟犬が歩み出てくる。

 うち1頭はもはや農耕馬のような肉厚で巨大な体躯をしているが、「クルルルルル」と小鳥のような甲高い声で鳴きながら、薔薇に体を擦り付ける。懐いているワンコとしかいいようがない。


「ちょ、その青い汁、制服につくと、困るんだけど…あああ」

 飼い犬のヨダレまみれになる程度の平和な困り顔になった薔薇は、腕を伸ばして巨大な猟犬の青黒い靄にかすむ頭部を撫でる。すると猟犬は、既に薔薇よりもでかいというのに、後足で立ち上がって、彼女の肩に手を乗せて、危険極まりない尖った「口」を伸ばして、薔薇の顔を舐め始めた。


「わかった。オッケー、うん」


 青い粘液と刺激臭に顔を歪めつつも、薔薇は「動物の粗相を受け入れる人間」の顔で笑っている。

 より小柄、というかおそらく普通サイズの猟犬も、薔薇の腰の辺りにグリグリ頭と粘液を押し付けていたが、ふとその顔を津亀岡に向けた。


「あ」


 いつのまにか、静かになっていた。

 いや、肉を裂き、啜る音は闇の中に残っている。

 でも、悲鳴や呻き声は、もう全く聞こえない。


 津亀岡は、この世で、本当にひとりきりになった。


「あ、あ、」


 迫ってくる猟犬。

 ばかでかい猟犬にめちゃめちゃ懐かれてじゃれつかれている薔薇。


「あ、やだ、こんなのやだ、あ、あ、た、助けて……助けて、ください」


 振り絞られた、懇願。


 巨大な猟犬と薔薇が同時に津亀岡へ顔を向けた。

 猟犬は、前足を下ろして、相変わらず薔薇にスリスリしているが、青黒い靄のなかのおぼろげな顔から、なぜか津亀岡は感じたーー嘲りを。


「え、やだよ、なんで?」


 ポケットから出したらしいハンドタオルで顔を拭いながら、薔薇が嗤った。

 街灯の光の輪の外に佇む少女が目を細め、唇は半月を描く。


「今までのこと、思い出してみなよ。そんな都合良く、正義の味方は助けに来ないよ」


 この上なく楽しそうに、彼女は嗤った。


 津亀岡だけではない。この世のすべてを嘲るかのごとく、楽しそうに。


 愕然と見上げるしかない津亀岡の視界は、すぐに数匹の猟犬で覆われて、言い表しようもない激痛の中で彼の人生は終わった。


「あなたは良いの? 半年前の露出狂以来の新鮮なお肉だよ?」

 相変わらず薔薇に纏わりつく巨大な猟犬に、彼女はうってかわった優しい声をかける。すると猟犬は、長く伸びる口先を薔薇の持つビニール袋へ向けた。

「ん? え?……からあげ?」

「クルルル」

「えー……こんなにたくさん若くて新鮮な生肉あるのに? もー…」

 言葉は嫌そうだが、薔薇は迷う素振りもなく、からあげを取り出す。

「じゃあ、半分こっつね」

「クルルル!」

 嬉しそうに全身を擦り付ける巨大な猟犬に、薔薇は手のひらに乗せたからあげを差し出す。猟犬の危険極まりないはずの触手状の鋭い口は、彼女の手を薄皮一枚すら傷つけることなくからあげを食べていく。

 薔薇もまた、残りの半分のからあげを自分の口に放りこむ。



 もぐもぐ。

 ズルズル。

 ピチャピチャ。


 ごくん。


 からあげを食べ終えた猟犬は、満足そうに薔薇の足元に寝そべった。それでも薔薇の腰の高さにある背中をガシガシ撫でてやりなから、彼女は血と臓物と冒涜的な刺激臭の中で、平和そのものといった穏やかな声で猟犬に声をかけた。


「美味しかったね」

農耕馬とかばんえい競馬の、お馬さんって、ばかでかくて筋肉モリモリでカッコいいですよね

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