第二十五話 彼女の彼の高校デビュー⑩
分かってはいたが、夕映と薔薇は、翌日の朝からクラスメイトに取り囲まれた。登校中もだいぶ注目の的だったが、ふたりとも、過去最速の早歩きで切り抜けたのだが、教室ではそうもいかない。
薔薇は、完全なるチベットスナギツネの虚無顔で、そんな彼女を旧知も新たな友達も囲んで笑っている。
夕映のもとにも、予想外なほど人が集まっていた。バイトでさっさと帰るし、休み時間は元引きこもりの性質上ほぼ孤独に過ごしていたわけだが、それでも数度会話したクラスメイトはいる。彼らが好奇心を抑えきれずにやってきて、特に昨日、掃除当番だったメンバーは心から心配そうに彼の手の包帯について尋ねる。
あのあと、仕事を早退してきた父親に説得されて、家の近所の老医師が営む個人の医院で改めて傷の手当てをし、父の依頼で診断書を作成することになった。ふだんは穏やかな老医師までも、毅然として被害届を出すべきだと厳しい声で諭されて、夕映は背を丸めるしかなかった。
今日の放課後は事情聴取が待っている。おかげで二日連続でバイト代が稼げない。
更に利き手を負傷してしまったので、日常生活にも支障がでている。つい使ってしまって痛むのも厄介なのだが、洗顔や入浴の前に、ビニール袋でくるんで、ほぼ片手で作業しなければならないのだ。利き手を使えないわけなので、まごついているところを妹に助けてもらい、終われば外してもらう。なんというありさまだ。しかも今朝は、そんなふうに身支度に時間をとられているうちに、弟が朝食を作り終えていた。
小さかった弟妹が、すっかり頼もしくなっていることに感動を覚える反面、外に出始めたとたんに足を引っ張る自分が情けない。
「まあまあ、みんな気になるのは分かるけど、警察が入ってることだから、あんまり騒ぐのはよそう? 事件なんだよ」
学級委員長の一柳が、穏やかに、しかしきっぱりと言って、夕映の周りからクラスメイトたちを下がらせてくれた。
「ありがとう、委員長」
「どういたしまして。早く治るといいね」
眉目秀麗な委員長は、完璧な爽やかさだけ残して、今度は薔薇を助けに向かう。
彼が質問責めするクラスメイトを優しく追い払うも、薔薇はチベットスナギツネのままだったが。
◆ ◇ ◆
「C組は、アイツらの仲間がいなかったから、なんもなかったけどさ、B組けっこうヤバかったみたいだよ」
「そうなの?」
「カツアゲとかフツーにあったって、部活の子に聞いた」
「えっ?! ガチなん?」
「あと、小テスト? あれの答案を、大人しめの生徒から強引に「交換」したり」
「は?! え、それ、先生とか放置してたん?」
「ううん、だんだんエスカレートしてたから、問題にはなってて、でも止まらなかったみたい」
「えええ…」
「でかい声で、女子の見た目を「批評」してくれたりもしたって」
「は? 鏡見て自分のツラみろや」
「それな」
「まあ絶世の美貌の持ち主でも、やっちゃダメだけど」
「それな」
休み時間に囁かれる、津亀岡たちの悪評。
夕映は、何か変な空気を感じていた。あの事件から三、四日、夕映と薔薇は注目の的だった。しかし警察も正式に介入する「事件」であり、各クラス担任から説明もあり、ふたりへの興味本位の接触は沈静化していった。
同時に、というか、いつのまにか。
噂の中心は、津亀岡、多栗、走紫、仁導、青尾沼に移っていた。津亀岡はまだ入院中、他四人は停学処分で登校していない。彼らのいたC組は、あからさまに喜ぶものも多いという。噂の発生源は主にそこからだ。彼らが日々行っていた「いじめ」や「非行」の証言。また、走紫と仁導が所属していたA組もたびたび津亀岡たちが「遊びに来る」ので、そこからも平和を喜ぶ声と、彼らの「悪ふざけ」の証言が上がってくる。
彼ら自身は消えているが、残したものは囁かれ続け、常にどこかで誰かの名前と悪評が口の端にのぼっている。
夕映たちにまつわる大事件以前から問題児として認識されていたし、登校しないことで、恐怖で口を閉ざしていたものが声を上げ始めたのだろう。
でも、なんだか、自然だけど不自然な気がする。夕映は、薄気味悪さが二の腕を這い登ってくるのを感じる。
まるで、「戻る場所を丁寧に焼き尽くす」みたいで、怖い、と。
予感は、あたった。
最初に戻ってきたのは仁導。彼自身は不良どもの金魚のフンで、自衛のために彼らについていたようなもので、A組でとくに目立つこともなく、噂話のなかでもあまり名前を聞くこともなかった。
だが、A組の全員が犯罪者を見る目で仁導を見ていた。
なぜそんなことが夕映にわかったかといえば、体育がA組と合同のときがあるからだ。
春星高校は、体育の内容によって男女をわけて他クラスの同性と合同で行う。理由は、体力差だ。球技など、男女混合で行っては女子が圧倒的に不利だ。怪我をする可能性すらある。成績が正確につけられない。
ジェンダーフリーは許すが、生物的な差は明確に別とする、ということだ。そのかわり、この学校には、更衣室が四種類存在している。夕映は海外のことは知らないが、日本の学校でこれは凄いな、と入学当初の平和な頃に呑気に考えていた。
閑話休題。
そして、仁導の停学明けで初のAB組合同体育。授業内容はバスケットボール。チーム分けは、組でごちゃ混ぜ。部活などによる実力もごちゃ混ぜ。
夕映は技術面はないが、フィジカル面ではかなり活躍でき、三年引きこもりのわりにいい動きをしたようで、名も覚えていないA組のバスケ部員からハイタッチされた。まさしく爽やかなスポーツマンという感じの男子生徒だった。
一方の仁導は、A組男子全員から無視されていた。
まるで、いないものとして扱われている。夕映含めて、B組男子も最初はかなり戸惑ったものの、誰かが「あいつって、姫川と防人を襲ったやつの一人だ」と囁いた瞬間に、空気が変わってしまった。
夕映は元々近づくつもりはなかったのだが、他のB組男子たちもまた、仁導にほとんど近づかない。同じチームでもパスを一切回さない。A組男子が仁導を空気扱いしているので、彼はフリーなことが多い。彼にパスを回せば切り抜けられる場面でも、チームメイトとなった者は、奇妙なほど頑なに、彼にパスを回さない。実質、4VS5になるにも関わらず、だ。
見るに見かねた体育教師が「フリーがいるぞ、パスを回せ!」とがなったときの二度だけボールが投げられたが、対戦チームのA組男子は妨害にすら動かず、戸惑う仁導が拙いドリブルで進もうとするのを、B組の運動神経の高い男子生徒があっさりボールを奪い去る。
仁導の同チームからは、非難の視線すらもない。
本当に、無視、されている。
ボールが仁導から奪われたのではなく、ボールが相手チームに奪われた、そんな空気なのだ。
夕映は、どちらのチームでもなく観戦の立場だったが、さっきまで運動で流していた汗とは全く異なる冷たい汗が全身から吹き出すのを感じた。
停学明け二日で、仁導は学校へ来なくなったようだ。次の合同体育で、彼の姿はなかった。
聞く勇気などないし、仁導には過去の恨みがある。だから夕映は動けず、授業にだけ集中した。
走紫、多栗、青尾沼の順で停学から復帰したが全く同じ扱いが待っていた。
もともと走紫がA組でつるんでいた仁導はいない。多栗と青尾沼は、停学前から素行が荒れていたので露骨に避けられていた。後者ふたりについては、教師たちもなにも言えない。なにしろ、夕映たちの事件の前から被害報告が上がっていた不良たちだ。
怖がられて、避けられるのは当然だ。
自然だが、異様な空気だった。
そして、そういうのを「あいつら」は好む。
無言のうちに追い込まれていく三人の周りの空気が淀み始めるのを、夕映はみないようにしていた。二重の意味で、関わりたくないからだ。
「よくないモノ」が彼らに関心を示し始めている。怪我で弱った動物の周りに、少しずつ虫が集まり始めるように。
不幸中の幸いで、走紫たちは健康体だ。「つよいやつ」が来なければ大丈夫だろう。
夕映からすれば、走紫たちに集まってきた「ひとならざるモノ」に目をつけられないよう、必死で気配を殺す方が大事だ。自分の身を守らなければならない。
そういえば、あの一件以来、走紫たちから庇うような生徒の動きを、夕映は見ていた。それはなにも夕映だけでなく、彼らのターゲットになりそうな生徒全員にたいして、その他の生徒が見せた、ある意味ではなんでもないような動きだ。
薔薇のような、わかりやすく威嚇するようなものではない。だが走紫たちが近づいてこようものなら、誰かが、すっとそばによってきて世間話を始めるのだ。他の、力で負けそうな男子生徒や女子生徒も同様に複数の生徒たちに取り巻かれる。
草食動物たちが集団で、通りすぎる天敵をじっと見つめるような。
そういえば、ヘイトスピーチに遭っているひとがいたら、加害者はフルシカトして、被害者に友好的に話しかけ、その場から去るという対処法があると聞いたことがある気がする。うろおぼえだが、そんな知識が夕映の脳裏をよぎる。
それに、生徒たちがそうやって集まりをなすと、ほどなくして、防人薔薇がひょっこり現れるのだ。
まるで、立派な角や牙をもつ群れのリーダーが最前線に現れるかのごとく。
絶対的な武力の登場に、走紫も多栗も青尾沼も、尻尾を巻いて逃げていく。
平和だ。
ちなみに薔薇は本当に、ただ現れて、一般通過していくだけだ。現れないこともままあるので、たぶん本当に通りすがりなのだろう。なにしろ狭い学校の校舎内での出来事だ。
夕映の手の傷も、順調に治ってきている。事件から三日後にバイト復帰したとき、店長には突然二日もシフトに穴を空けたことを平謝りしたが、呵々大笑、そして怪我を心配されただけだった。薔薇の方は「ちょっと叱られちった」と、なぜか嬉しそうに照れていた上、店長は彼女への信頼を深めているようにすら見える。
夕映の周りは、平和だ。
前は敵ばかりだったのに。
だからこそ、走紫たちの周りの気配が、どんどん黒ずんで歪んで爛れていくのが、とても怖かった。目を背けて、もうみないことにした。




