第二十四話 彼女と彼女の悪巧み
「いやー、ほんと、みごとに高校デビュー失敗したね」
スマホのビデオ通話画面に映る親友・薔薇の顔は、インターネットで一世を風靡したチベットスナギツネの虚無顔そのものだった。
羽々緋水は、自宅の広い部屋のベッドに寝そべり、ニヤニヤするのをこらえきれない。
『もうね、その辺はすべて諦めたけどさ……サツにバレちゃったから、つまり隼にバレたんだよね……それだけが怖い』
チベスナ顔の薔薇の背景は、満点の星空。おそらく、自宅の屋根の上に座って話しているのだ。幼い頃から、彼女は夜の城を守る兵士のように夜更けまで、屋根の上に立ち、外で過ごす習性がある。しかも眠りが野生動物並みに浅いので、夜衛をやめてベッドに入ったとしても、なにかを感じとれば飛び起きる。本人がおりにつけ気にしている身長の低さは、絶対にこの悪癖による成長ホルモン不足なのだろうが、もはや習性なので仕方がない。
「隼さんについては、もうひたすら正座して頭下げてゴメンナサイ以外の発言をしないことね」
『うん……あああ、いつ帰ってくるんだろう…怖いよう』
次兄のお説教に全身全霊で怯える幼馴染みを少しでも慰めるべく、緋水は笑みを深くした。
「ま、とんだ大騒ぎになったけど、おかげで確実に津亀岡たちを社会的に殺せるから、安心して」
『姫川くんがいなければ、本当に消しても良かったんだけどね。しかも、上から炎緒兄が動画撮ってやがったから、手加減しなくちゃならなくて、めっちゃダルかったんだけど』
「ああ、その動画、売り付けられた。使わせてもらうから、良い買い物ではあったけど……あれってジェイソン・ステイサムの真似?」
『ステイサムっていうか、色々。人間の動きで不自然じゃないのはこれ、って感じ』
「なるほどねえ」
月宮炎緒による動画を見たが、本気の薔薇はあんなにトロくない。それにもっとずっと野蛮で乱暴なことをするはずだが、動画はまるでアクションヒーローのごとくだった。動画に映っていないシーンこそがいつもの薔薇だ。
『そういや、なんにもしてこなかったやつも、どうにかできるの?』
「ああ、仁導? アイツは警察の所持品検査で、持ってちゃイケナイおクスリを所持していたので、普通にアウト。持たされてたんだろうけど、パッケージに他全員の指紋もついてたんで、みんなアウト」
『薬物検査はアウトじゃなかったの?』
「結果待ちだけど、アウトでしょ」
『ほえー。本当にバカしかいなかったんだね』
「そういうこと。っていっても、反社の下っ端ですらない、ただのお客様だからパパ以外の後ろ楯もなし。おかげで、芋づる式にそのパパも、つまり津亀岡の父親も消せる。ありがとう、薔薇」
『どーいたしまして。パワハラだっけ? セクハラだっけ? あ、違うか横領の人?』
「ぜんぶ。社外でのカスハラの報告もあるし、もうこの世のすべてのハラスメントや社内のちっせえ悪事を体現してんじゃない?」
『すげー』
「そんなカスの血を引いたバカのおかげで、入学早々からうちのクラスは散々だったわけよ」
『お疲れーっす。っつーか、ここまでアウトを積み重ねてるのに、こんだけ大騒ぎにしないと社会って動いてくんないんだね。知ってたけどさ』
「うちの学校、まだ反応良い方よ? 教頭が『特別なおもてなし』で抱き込まれてたみたいだから、ついでに消しとくけど、アンタたちって全面的に被害者として守ってもらったんでしょう?」
『まあね。折笠先生、信頼できるけど、油断できないと思った。でも、そんなことより姫川くんを巻き込んじゃったのがなあ』
薔薇の声があからさまに沈んだ。
「ナイフ、素手で掴んでたよね。アンタがいたから払い除けができなくてやったんだろうけど、それにしたって勇敢すぎ」
『うん。前に教室でも、頭越しに助けてもらったのすっかり忘れてた…きちんと訓練してる人の早さとリーチの長さナメてた。引き付けすぎちゃったよ。完全にミスった』
「訓練ってのは、最適の行動に最速で動くためのものだからね。というか、姫川くんが度胸あったってことよ。普通、実戦経験ゼロの人間が刃物相手に動けるわけないんだから」
動画は津亀岡がナイフを振り上げて駆け寄るところで終わっている。薔薇は当然、背後での動きに気付いていたし、彼女の反応速度なら、あんなド素人の攻撃はどうとでもできる。
驚嘆すべきは、やはり姫川夕映の判断と対応だろう。動画にはほんの数秒だが、ナイフに気付いた姫川が薔薇を守るために動き出す瞬間が映っていた。
現代人は、暴力に慣れていない。怒鳴られただけでも、「怖くて声が出ない、動けない」状態になるのが普通だ。
そしてそれは本来、とても素晴らしいことなのだがーー人類全員が暴力に慣れていて、即応できる世の中なんて、嫌すぎるーー結果的に、この世にまだまだ残り続ける暴力を使う一部の者の格好の獲物にされてしまう。
「ともかく、アンタたちの犠牲は無駄にはしないから」
『そこは疑ってませんよーん。隼が怖いのと、姫川くんの手と明日の学校が心配なだけ』
「そこは、諦めてガンバ」
『デスヨネ………あ?』
「え? どした?」
ずっとほのぼのしていた画面の中の薔薇が急に警戒体制に入ったので、つられて緋水もビクつく。
『「猟犬」がきた』
「えっ?!」
『たぶん、あたしからひさしぶりに新鮮な血の匂いがするから、見にきたんだと思う。挨拶しなきゃだから、切るね。また明日ね、おやすみ』
「いってらー。おやすみ」
スマホ画面に手を振り、通話を終える。
緋水はそのままスマホを操作しつつ、もう片方の手でタブレットPCを引き寄せて、それぞれ別の作業を同時進行し始める。緋水の会社ケツァールカンパニーにとって邪魔な津亀岡の父親と、緋水の学校生活に邪魔な津亀岡本人を社会的に抹殺するための、表と裏からの工作だ。まあ今回、父子が揃って愚かなおかげで真っ当な証拠が充分たまっているわけだが。
「あ、そうだコレ、解呪しちゃっていいかなー。たぶん効いてなかったなあ。ほんとに、薔薇ってこういうの全部無効化するよね」
緋水はベッドから起き上がり、自室の一角に設えた祭壇へ向かう。
そこには薔薇の写真と彼女から借りたシャーペンと少しの髪の束、名前と生年月日の記された和紙。そして津亀岡、多栗、走紫、青尾沼、仁導たちの写真と名前と生年月日の記された和紙が、呪術的な意味を持つ配置に並べられている。特性のインクで描かれた陣により術を帯びた絹に、特定の薬草が練り込まれたローソクも、写真と和紙とともに意味ある位置に並んでいる。
それは津亀岡たちの「意識」を、強く薔薇へ向けるためのまじない。
単純に言えば、緋水は薔薇を呪っていたのだ。
本人の許可を得た上で。でなければ、いくらなんでも髪の束など手に入るはずもない。
あの薔薇と津亀岡たちの、ファーストコンタクトの日。本来、彼らの狙いは姫川夕映だったのは間違いないが、廊下から見ていた緋水は、津亀岡たちが明らかに姫川夕映の変貌ぶりに驚き、怖じ気づいたのを見てとった。
そこで、薔薇に相談の上で、彼女を狙うように軽く呪術で津亀岡たちの意識を誘導しようと試みたのだ。
幼少の頃より、古代の先祖の魔術から、人間の魔術まで幅広く学んできた緋水にとって、オリジナルの簡易な術を組むことは、料理のアレンジレシピ程度のこと。
緋水は、まじないを速やかに正しく解呪。そして、ふと思い立って、別の呪術を組み上げ始めた。
許可はとっていないが、かるーく、気持ちや関心を偏向させるもの。それこそ、試験に臨む前や試合前の精神集中程度の効果しか及ぼさない。
ほんの少しで、すでに充分、彼らは実績を積み重ねている。
みんなが、そう思い、そう行動するのはごく自然なこと。
緋水がするのは、ちょっとばかりその背を、超常的に押してやるだけだ。
薔薇と緋水の日常です




