第二十二話 彼女と彼の高校デビュー⑧
「姫川くん、囲まれてる」
ぎょっとして夕映が振り向くと、少し驚いた顔が、左右の校舎脇から出てきた。合計五人。全員、懐かしのいじめっ子ども。約三年間見ない間に、立派な不良に育っていたらしい。
クラスは別だが、この数日で噂を聞いた。学校内で、問題になるレベルらしい。
同じクラスの学級委員長、一柳によれば、入学当初からなかなかハデにやっていたらしい。彼らの所属するクラスは、彼らのせいで相当居心地が悪いらしい。一柳は、秀麗な笑顔で、辛辣に「絵に描いたようなバカ」と彼等を評し、暴力はかなり問題だよねとまじめな顔に戻して締めくくった。
中学の頃と同じく、体格で劣る男子にプロレス技の出来損ないをかけて、「スキンシップ」と言い張り、女子生徒に馴れ馴れしいを通り越した「気さくな声かけ」をしたかと思えば、容姿をあげつらって「盛り上げよう」としたりする。勇気を振り絞って、抗議した女子生徒が、髪を掴まれ引き倒されて、蹴りまで入れられたらしい。もちろん騒ぎになったが、事件は放課後に起きていたため、早々にバイトへ行ってしまう夕映は知るよしもなかった。
「たぶん、少なくとも停学にはなると思うけど」
一柳は、そこで言葉を濁す。
その理由を、夕映は知っている。
リーダー格の津亀岡勝士の存在だ。彼は阿惜夜市の通称・新市街、都市開発でどんどん大都会と化していく街でも最大級の製薬会社ケツァール・カンパニーの重役の息子。悪い金持ちの息子の見本品のような存在だ。根っこには、機能不全家族的な可哀想な理由があるのかもしれないが、暴力の被害者にとって、加害者の家庭環境なんぞ無関係だ。
津亀岡の父親は、息子の悪い見本を体現しており、「カネの力で黙らせる」を平気で行使する。初めて夕映の父がいじめを訴えたときに、中学校や教育委員会が動かなかったのは「寄付」という名の賄賂を受けとったかららしい、というのはもはや公然の秘密だった。夕映以外にもいじめの被害者はいるからだ。結局みんな、逃げるしかなかった。不登校になったり、転校したりーー正確なところは分からないが、噂話と、末っ子の預け先の園長と父の話を盗み聞きして、想像しただけだが。
その津亀岡を筆頭に、金魚のフンの不良たちが校舎脇の左右から、包囲するように姿を現した。
染め直していないためかプリン頭になっている多栗輝生。
眉毛全剃りの走紫正朗。
空手道場を破門された乱暴者青尾沼扇太郎。
太鼓持ちの仁導亮太。
背後から忍び寄ったつもりだったのに、薔薇に見つかってしまい、半分驚き半分虚勢で姿を現したようだ。
薔薇のお陰で、奇襲はされずに済んだ。ひとりだったらとは、考えたくない。
たが、状況は良くない。逃げ道を塞がれている。
まだ夕映はパニックに陥っていないが、その寸前だった。
背後は巨大な金属のかたまり、ゴミ集積ボックス。下がれないが、背後には回り込まれない。
左右からダラダラ歩いてくる五人の不良。
真正面には、唯一の「安全な存在」防人薔薇の背中。
校舎は、一階部分はほぼ壁で、二階以上には窓があるものの、このあたりは廊下か特別教室で人通りが少ない。外部の目がない、深夜の路地裏と同じだ。
「よーう、ヒメちゃん、おっひさー」
呼び掛けてくる声だけでも、品性と知性の欠落が感じ取れる津亀岡が、ニヤニヤ笑いながら右から真正面に回り込んで、薔薇の真正面に立つ。
体格差は一目瞭然。
夕映のほうは、体格では津亀岡に優るが、元いじめられっ子で実戦経験皆無の彼は、冷静さを保っているだけで精一杯だ。必死で無表情を意識するが、夕映が怯えているのを、津亀岡は見抜いている。数でも津亀岡たちが圧倒的有利。
だからこうして、三年の時を経て、またもターゲットにされたのだ。本当にヒマなんだなと一瞬現実逃避するが、薔薇を巻き込んでいるという最悪の事態を起こしてしまっている。
「高校デビューのお祝いに改めて来てやったのよー。三年も連絡なかったつめてーヒメちゃんに。オレ、超優しくね?」
ゲラゲラと他の四人が笑う。
過去の恐怖と屈辱の記憶で、今にも胃がひっくり返りそうだが、夕映はなんとか顔を強張らせるだけで耐えた。
ひとりではないからだ。
悪意が全方位から夕映を取り囲んでいる。
恐怖が全身を鷲掴みにしている。
でも、目の前の背から感じる、この安心感はなんなのだろう。
いや、そうじゃない。なんとか、薔薇だけでも逃がさないと、
「あー、邪魔だから、十秒以内に消えろ。じゅーう」
発言者を除き、全員が驚愕して仰け反った。
もちろん、言い放ったのは、夕映の目の前の小さな女の子。「なーな」のあたりで、やっと不良男子たちが言葉の意味を理解し、明確な宣戦布告に反応し始める。
「なんだよ、このブスチビ」
「コイツ、前もこんなんだったよなあ? なあ?」
「テメエ、ケンカ売ってんのか、ああ?!」
次々に威圧的な怒声が浴びせられるが、薔薇は何処吹く風でカウントを続ける。
「さーん、にーい、い」
「っせえなテメエ! ふざけんのも大概にしろよ!」
津亀岡が喚いて、薔薇の髪を鷲掴みにした。一瞬でぐちゃぐちゃに乱される。容赦なく掴まれ、小さな体がぐらぐら揺さぶられた。
「先に手を出したのは、そっちだよ」
夕映の耳に小さく聞こえた、その声は、なんだかとても楽しそうだった。
薔薇の右の拳が、真っ直ぐ突き出された。足も一歩前に出て、しかもそのタイミングは津亀岡が薔薇の髪を掴んだ手を自らの方に引き寄せたのと同時。
すべての勢いが乗った拳が、津亀岡の腹にめり込む。聞いたことのない音がした。声も出せずに、津亀岡が体を二つに折り曲げる。
下がった顔面に、薔薇の跳ねるような垂直の飛び膝蹴りが命中。本日二度目の聞いたことのない音がして、津亀岡の全身が冗談のように真上に弾きあげられ、放物線を描いて後方へ吹っ飛ぶ。
両手を広げて大の字で倒れる津亀岡。顔面は、詳細不明なほどに血塗れになっている。
倒れた津亀岡の上に影がさす。
両手と同じく、広がった両足。その、付け根。男性の急所としてもっともメジャーな、その一点に、薔薇がぴょんと、しかし全体重で着地した。
「あっきゃう」
膝蹴りで意識が飛んでいたのだろうが、追撃の激痛に津亀岡は身をよじって跳ね起き、すぐに体を丸めた。
薔薇は軽やかに、さっきまで立っていたところへーー夕映の盾になる場所へ戻ってくる。そして、乱された髪を片手で優雅にかきあげた。
「いーち」
愕然としていた手下の不良たちが、カウントの再開にバッと顔を薔薇に向ける。
「ぜぇーろ」
静けさが校舎裏に降りた。正確には、声にならない声ですすり泣く津亀岡の乱れた呼吸音だけが響いている。それほどの静寂。
薔薇は顔を昂然と上げ、残る四人を眺め渡した。
「はよ消えろ?」
完全に見下した、嘲笑うような口振りに、リーダーを叩きのめされたにも関わらずーーいや、だからこその、怒りというよりも、恐怖から彼等は、薔薇に襲いかかった。とはいえ、動けたのは三人だけだったが。
「こんのクソアマ!」
「調子乗ってんじゃねえぞ!」
群れの二番手、プリン頭の多栗、見た目一番不良っぽい走紫、もっとも体格がありーー夕映に迫る巨体ーーで空手家崩れの青尾沼。
仁導は動けない。
まず、単に一番近くにいた多栗が闇雲に掴みかかるが、薔薇に触れる寸前に、空中に引っ張り上げられたかのように宙を舞って、反対側から迫っていた走紫にぶつかり、絡まりあって地面に転がる。
からくりは簡単。薔薇が、多栗の足をちょいっと払っただけ。完璧なタイミングで繰り出された、柔道の「出足払い」という技とほぼ同じ。相手が踏み出した足、すべての重心がのり、かつまだ地についていない瞬間に足首を蹴った「だけ」。なのに、アクション映画のワンシーンのごとく空を飛んだ多栗は、走紫を巻き込み、転がっていく。
一応、格闘技を齧っている青尾沼は、大きく息を吸い「オラアアアアア!!」と叫びながら、拳を薔薇に突き出す。
これが、試合中であるなら、気迫で負けないためや、筋肉の緊張をほぐすためのシャウト効果となるのだろうが、今の青尾沼の切羽詰まった表情からは、怯えた犬の最後の抵抗と同質にしか聞こえない。だが、怯えた獣は恐ろしくもある。生存本能が発火し、少ないながらの格闘技術と経験、そして圧倒的体格差。普通なら青尾沼が負けるはずがない。
青尾沼の雄叫びが、ブチッと中断された。
薔薇の、美しい、とすらいえるアッパーカットが顎に決まり、強制的に口が閉じたためだ。
彼女は、突撃してくる青尾沼に自らも走り寄って自分の攻撃の間合いに入り、垂直に跳び跳ねた。あまりに速くて、そしてリーチが長いためゼロ距離格闘に持ち込まれた青尾沼は、なんにもできずに吹っ飛んだ。
まさか向かってくるとは思わなかったのだろうが、薔薇は風のように速かった。そして、身体測定の垂直跳びで、好成績の男子生徒並みの記録を出した全身のバネを遺憾なく発揮して、芸術的といっていい一撃を見舞ったのだ。
群れの中で、もっともケンカ慣れした青尾沼が秒で撃破され、絡まる手足をやっとほどいた多栗と走紫が、愕然と地べたに座り込んでいる。
「ふむ」
対する薔薇は息ひとつ乱してはいない。髪が、ハデな動きでやや乱れがちだが、またも片手でざっくりかきあげる。
それから、一瞥を震えている仁導に向けた。
そこで初めて、ずっと背中に庇われていた夕映は薔薇の顔を横から見た。
校舎の上から差し込む光に煌めく濃い蜂蜜のような金色の目。肉食獣の目だ。
しかし、仁導が全く動けないのを見てとると、明らかに雰囲気が変わった。命のやり取りを日常とする獣の目から、人間に戻った焦げ茶色の目が、何事もなかったように夕映を見上げた。
「じゃ、バイト行くか」
いつもと同じ、ほのぼのとすらした笑顔。あまりに和やかで、ほんの数十秒前まで暴れていたのと同一人物に見えない。
夕映は白昼夢を見ていたのか。
いや、現実だ。尻餅をついたままの多栗と走紫、棒立ちの仁導、完全にノックアウトされている青尾沼。ぜんぶ、現実だ。
キラッと日の光を反射するなにかが、薔薇の背後に見えた。夕映の意識がそちらに集中する。
妙にゆっくりと、物事が見えた。
顔面血塗れの、津亀岡。
片手に握り締めた、折り畳み式のナイフ。
光ったのはこれだ。
立ち上がっていて、走ってくる。
もう、薔薇に、刃先が、届く。
対刃物の護身は、関わらないこと、とにかく逃げること。
万が一の場合は、カバンなどを盾にして隙を作る。そして逃げる。
防御も逃走もできないときは。
夕映は、薔薇の頭越しにーーこの前も教室で同じことをしたなーー手を伸ばして、津亀岡のナイフを持った手を、自らの大きな、鍛えられた手で、力の限りに掴んだ。
本当は手首を掴みたかったが、折り畳みナイフの根本の刃のあたりを握ってしまった。刃が滑って、切り傷が広がる。カッと痛みが燃え上がる。
刃物とどうしても戦うなら、払い除けてから掌握すべきなのだが、間に薔薇がいるし、なにしろ生まれて初めての実戦。夕映の冷静な部分は、いろいろ間違えたことを理解していたが、練習を積んだ体と、鍛え続けた握力は、津亀岡の凶行を留めるには充分だった。
次の行動に、夕映と津亀岡が移るより先に、二人の間で、音がした。
バキャッ
津亀岡が、今度こそ白目を剥いて気絶した。
夕映は、血を滴らせながら、津亀岡の手を離す。
折り畳みナイフが、刃の銀色に血の赤の彩りを添えて、落ちていく。
薔薇は、津亀岡の腕を両手で掴み、枝や棒を折るように真っ二つに彼の腕をへし折っていた。骨と肉が引きちぎられて、ドバドバと真っ赤な血が溢れ出す。
薔薇は顔面蒼白で、その頬に赤く血飛沫が飛んでいる。
「おい! なにやってる!」
聞きおぼえのある声ーー風紀の斑目先生の大音声が轟き、次々に大人が、校舎裏へと集まってきた。
刃物を持った襲撃者からは、とにかく逃げるか、盾になるものを用意してください
制圧は素人には不可能です
本来なら、払いのけて、刃物を持った腕を捻り上げたかったわけですが、夕映は、薔薇が間にいたのでとにかく止めたくて、掴んだわけですね




