第二十一話 彼女と彼の高校デビュー⑦
営業終了間際にやってきた、大量のネジをお買い求めになった客が帰った後。
いつもどおりの閉店作業を終え、店長とバイトリーダーたちを残して、新人バイト二人は一足早く店を出た。
薔薇と夕映はいつもどおり、少しあるいたところにあるバス停で、終バスから三本前くらいの便を待つ。
時間がまあまああったので、夕映は初めてーーごく幼い頃には両親に話したかもしれないが覚えていないーー自分の「みえる」体質と、中一の夏休みから不登校だったことを、かなりかいつまんで話した。
話すことができた。
薔薇はときどき感嘆詞をはさむのみで、しかしうつむき気味の夕映の横顔をしっかり見つめながら聞いてくれた。
「現実が過酷すぎて「みるヒマない」とか、一周回って現代の闇じゃん」
急に始まった夕映の「自分語り」に対して出てきたのは、まるで映画の感想のようで、だからこそ余計なものがなくて、夕映は不思議と安堵した。良い意味で、他人事扱いされたのが、なぜか心安らいだ。身勝手だとは思うが、「可哀想に」とか「辛かったね」などと言われていたら嫌な気分になっただろう。
夕映は、薔薇から同情や共感を得たくて話したのではないからだ。あの倉庫前での、彼女の歴戦の強者のような冷静さに対して、自分のことをきちんと説明しなければならないと感じた、とでもいえば良いのか。
「ほんじゃ、今後倉庫へいくときは基本的にツーマンセルで」
軍事行動かゲーム内の作戦のように言う。しかし、話す中で分かったが、薔薇は夜にひとりで倉庫に入っても、なんにも起きないという。
「あたし、全然分かんないかわりなのかなんなのか、そういうのスルーしちゃうみたいなんだよねえ」
家族が、自分には見えないものに攻撃されているのを、何度も見たことがあるのだという。
「一番上のお兄ちゃんは、強すぎて平気なんだけど、双子の弟の方のお兄ちゃんは、すーぐちょっかい出されんの」
昔を思い出しているのだろう、心底うんざりした顔で薔薇は天を仰ぐ。
「殴れないの、ほんと腹立つ」
「みえたら、殴るのかよ」
「殴るねえ。先に殴ってきたの相手だし、正当防衛だよ」
倉庫のときも、殴るといっていたが、だいじょうぶなんだろうか。
差別意識や見下しているつもりはないのだが、仮に相手と殴り合えたとして、薔薇のほうが圧倒的に不利ではなかろうか。
格闘において、「体重」は重要だ。公式の格闘技において、体重別にクラスが分けられるのは、体重がそのまま戦闘力・攻撃力に繋がるからだ。同じ経験や技術なら、体重差があれば重い方が絶対に強い。
フィクションで、小さな存在が大きな敵を倒すのが誰にとっても楽しい王道展開たりえるのは、この現実ゆえだ。
ましてや、相手は霊だの妖怪だの、よくわからんなにかだ。
侮りとかではなく、夕映よりも小さな薔薇が、あんなモノと戦ったりできるのか。確かに彼女は力持ちだし、運動神経抜群で、やたら冷静ではあるが、それはあくまで「女子高校生にしては」の話。
「ま、あたしの方から喧嘩は売らない主義だから」
またも夕映の顔から察したらしく、薔薇は無邪気に笑った。
「あ、姫川くんの乗るバスきたよ」
夜の奥から、公営団地方面行きのバスが現れた。目の前にとまり、ドアが開く。
「じゃ、また明日ね。ばいばい」
「おう、また、明日」
これも恒例となった、別れの挨拶。本当に、いつもどおりのあっさりしたものだ。
空いている席に巨体を沈めた夕映は、ふと車外の薔薇を見た。彼女は視線を別とのところに向けていたが、夕映に気付くと目を合わせてニッコリ笑った。
なぜか、背筋が粟立った。
怖い、とかでなはい。敵意も悪意も感じない。
だが、バス停のほのかな明かりに煌めく、濃い蜂蜜のような金色の目が、肉食獣の瞳のようにみえた。
◆ ◇ ◆
薔薇と夕映は、今週掃除当番だった。
机を全部前へ後ろへ移動させるのは、週の最後だけで、ふだんは机の隙間を箒で縫うように歩き回って埃を集め、黒板の日付と日直を書き換える。そして、春星高校の地域に合わせたゴミ収集日の前日に、教室内のゴミ箱のゴミをまとめて、校舎裏の巨大な集積ボックスに捨てる。
「じゃ、あたしらこれ入れて、そのまま帰るねー、ばいばーい!」
「ありがと、よろしくー! ばいばーい!」
他の掃除当番は、それぞれ部活や帰宅にと散っていく。半透明のゴミ袋を下げているのは、薔薇と夕映。集積ボックスは、校舎裏の、車両出入口のそばにある。たいていは帰宅部が持っていきそのまま帰るわけだが、この車両出入口は、薔薇たちのバイト先へ繋がる道に面している。なので、ふたりは自らゴミ捨ての役目を引き受け、他のクラスメイトは素直に頼むこととなった。
夕映の日常は、倉庫での一件以来、これといった変化はない。中学の頃のいじめっ子どもは再来しないし、倉庫へは入らずに過ごせている。もちろん夕映は、前より気を配るようにしている。
防犯や護身というのは、まずは心構えだ。
自ら危険行為をしない、危険な場所へ行かない。分かりやすくいえば、歩きスマホをしないとか、人通りの少ない夜道は通らない、とか。
次に、身の危険にさらされた時、冷静さを失わないこと。可及的速やかにその場から脱出し、生還することが、護身術なのだ。敵は、倒さなくていい。第一目的は逃げること。逃げるが勝ち。恥などではない。武力行使は、逃げるための手段に過ぎない。
こちらの勝利条件は、敵の目的を果たさせず、自分の身を守ること。
夕映は改めて、護身術の心構えを胸に刻み、習慣化しようとしている。引きこもっていたので、実戦経験が皆無なのだ。いつもビクビク怯えていろ、ということではなく、危険は日常に潜んでいることを忘れないようにするのだ。
夕映も薔薇も、学校指定の通学かばんを使っている。一番安くて頑丈で、三年間買い換える必要がない。薔薇のかばんには、家族が手作りしたという、やたら完成度の高いサカバンバスピスのぬいぐるみがぶらさがっている。販売可能なレベルの古代生物が、あのなんともいえない顔で揺れている。
それぞれ、ゴミ袋とかばんを持ち、校舎裏へ向かう。高いフェンスと、種類の分からない木が数本植わっていて、校舎側は窓があまりない薄暗い場所。職員室などからも遠く、面しているのはほぼ廊下。人気がないからこそ、ゴミの集積ボックスがあるわけだが、ここは、嫌な条件を満たしている、と夕映は警戒心を強めた。校舎側からも、郊外からも、人の視線が通りづらく、訪れる人もない。
中一の頃、こういうところでボールみたいに蹴り転がされたな。
そんなことを考えながら、集積ボックスの蓋を押し上げ(身長的に薔薇には無理だった。凄く悔しそうな顔をしながらゴミ袋を手渡された)、ゴミ袋を投げ込むと、金属製の重い蓋をバタンと閉める。
と、同時に。
「姫川くん、囲まれてる」
あの夜の倉庫で聞いた、人間味を失った冷たく平静な声が、夕映の背中にぶつかってきた。




