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隠された鍵  作者: 東雲明
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第9話 錆びついた鍵

心臓が耳元でドクドクと脈打つ。桜荘の居間は、まるで時間が止まったかのように重苦しい。古びた木製のテーブルには、高梨のタロットカードが散らばり、埃が薄く積もっている。窓の外は真っ暗で、遠くの街灯が微かに揺れる光を投げかけるだけだ。壁にはひび割れが走り、剥がれた壁紙がだらりと垂れ下がっている。この建物、まるで生き物みたいに息を潜めてやがる。ダクトの隙間から冷気が漏れ、かすかな金属音が響く。住人たちは円形に座り、誰もが口を開くのをためらってる。俺もだ。


高梨の声が、静寂を切り裂いた。


「占いによると、悠真…君には、この世から消したいほど憎い人物がいる。そのために東京へ来た。違うか?」


その言葉は、まるでナイフで胸を抉るようだった。俺は椅子に座ったまま、顔を上げず、膝の上で拳を握りしめた。影が顔を半分覆い、感情を見せたくなかった。だが、心の奥で、憎悪の炎がメラメラと燃え上がる。


(どうして…どうして高梨は知ってるんだ?) 


頭の中で、妹の葵の笑顔がフラッシュバックする。あれは十年前、雪深い山間の集落でのことだった。葵、16歳。笑顔が絶えない、俺のたった一人の家族。あいつはいつも俺の後ろをついてきて、「お兄ちゃん、待ってよ!」って笑ってた。あの夜、俺がバイトから帰ると、家は血の海だった。葵の体は冷たくなり、胸にナイフが突き刺さっていた。犯人の影は闇に消え、警察は「通り魔の可能性が高い」と結論づけた。だが、俺は見た。あの男の冷酷な目、嘲るような笑い声。葵を奪っただけでなく、俺の人生を壊した。以来、俺はそいつの顔を追い続けてる。復讐のために東京へ来た。そして、なぜかこの桜荘に流れ着いた。匿名のメモがポストに投げ込まれていた。


「犯人は東京にいる。桜荘を探せ」


その一文が、俺をこの呪われたアパートに導いた。


桜荘の最上階、俺の部屋の真上で起きた未解決の殺人事件。七年前、若い女が惨殺された。犯人は捕まっていない。夜になると、這いずる音や、ダクトから「助けて」とおどろおどろしい声が聞こえる。トイレを流すと、真っ赤な血が噴き出すって噂もある。葵の事件と重なるこの場所。俺は確信してる。あのメモは偶然じゃない。葵を殺した犯人が、ここにいる。もしくは、この建物が何か知ってる。


「…当たってるよ、高梨。でも、それは秘密だ。掘り返さないでくれ」


俺の声は低く、抑揚がなかった。内心じゃ焦りが渦巻いてる。葵の血に濡れた床、警察の無能さ、村人たちの冷ややかな目。あの町で誰も俺を信じなかった。「悠真が何か隠してるんじゃないか」って噂まで流れた。俺は何も隠してねえ。ただ、犯人を追い詰めたいだけだ。なのに、なぜ高梨の目は俺の魂を暴こうとするんだ?


部屋の空気がさらに重くなり、住人たちの視線が俺に突き刺さる。彩花、若い女が膝を抱え、震える声で呟いた。


「やめてよ…高梨さん、怖いこと言わないで…桜荘の事件、知ってるよね? あの女の人が死んだ部屋…悠真の部屋の真上なの…!」


その言葉に、心臓が一瞬止まった。彩花の怯えた目が、なぜか俺を避けるように揺れる。 


(こいつ…何か知ってる?)



彩花は桜荘に来てまだ数ヶ月だが、妙に落ち着きがなく、夜中に部屋から出て行く姿を何度か見た。七年前の事件当時、彩花はまだ高校生だったはず。だが、なぜか俺の勘が囁く。


(こいつが怪しい) 


決定的な証拠はない。だが、葵を殺した男と桜荘の事件が繋がってるなら、彩花が何か隠してる可能性は捨てきれない。


突然、部屋の電灯がチカチカと点滅し始めた。まるで誰かがスイッチを弄ってるみたいに、明滅が不規則に繰り返す。壁のひび割れが、目に見えて広がった気がする。ダクトから冷たい風が吹き込み、テーブル上のタロットカードが一枚、床に滑り落ちた。「死神」のカードだ。彩花が小さな悲鳴を上げ、ソファに縮こまる。


「やだ…やめて…!」


彼女の声はか細く、涙で濡れてる。


その瞬間、ダクトの奥から声が響いた。


「助けて…私を…見つけて…」


かすれた、喉を潰されたような声。だが、今度ははっきり、まるで耳元で囁かれたみたいに全員に届いた。*あの夜と同じだ…葵が死んだ夜、聞こえたあの声…* 背筋が凍りつく。葵が最後に呟いた言葉。「お兄ちゃん…助けて…」その声が、ダクトの声と重なる。


(まさか…葵がここに?)


いや、そんなわけない。葵はあの町で死んだ。桜荘とは関係ないはずだ。なのに、なぜこの声は俺を責める?


壮太、でかい体の男が立ち上がり、叫んだ。


「何だよ、これ! ただの風の音だろ!?」


だが、そいつの声も震えてやがる。壮太はトイレに駆け込み、水を流した。排水管からゴボゴボって不気味な音が響き、真っ赤な液体が逆流してきた。血の匂いが部屋に広がり、住人たちは顔を覆う。錆びた水道水かもしれない。だが、俺の鼻には、葵の血の匂いと同じ鉄臭さが突き刺さる。


(あの夜の匂いだ…)


頭がクラクラする。


そこに、いつも静かな少年、亮太が口を開いた。


「…この建物、変だよね。悠真さん、なんでここに住んでるの?」


亮太は高校生くらいに見えるが、妙に落ち着いた目をしてる。桜荘の事件を追ってる自称「探偵」だ。最初はガキの戯言だと思ってたが、亮太の質問はいつも核心を突く。


(こいつも何か知ってるのか?)


亮太の視線が、俺と彩花を交互に見る。まるで、俺たちの秘密を暴こうとしてるみたいだ。


高梨は静かに微笑み、俺に視線を戻した。


「悠真、君が隠してる鍵は、この建物そのものだ。桜荘はあの事件の記憶を刻んでる。十年前、君の妹を殺した犯人…そいつはまだ生きてる。そして、ここにいる誰かが知ってるんだ」


「ふざけるな!」


俺は立ち上がり、高梨の胸ぐらをつかんだ。怒りが爆発しちまいそうだった。葵の死を、こんな占いごっこで弄ばれるなんて我慢できねえ。だが、その瞬間、窓ガラスがバリンと割れ、冷たい風が吹き込んだ。誰も触れてねえのに、カーテンが激しく揺れ、床に散らばったガラス片が不自然に円を描く。まるで何者かが部屋に侵入したみたいだ。彩花が泣きながら叫ぶ。


「やだ、来ないで! あたし、関係ないよ! 知らないんだから!」


その声に、俺の疑惑がさらに強まる。(彩花、お前、何を隠してる?) 壮太はドアに駆け寄るが、鍵が開かねえ。


「くそっ、閉じ込められた!?」


住人たちのパニックが頂点に達する中、俺の目が鋭く光った。高梨を離し、ゆっくり振り返る。


「…お前、知ってるな? あの夜、葵を殺した奴のことを」


高梨の顔から笑みが消えた。彼女の目は、まるで俺の魂の奥底を覗き込むようだった。


「占いは嘘をつかないよ、悠真。君の鍵は、葵の死と桜荘の事件を繋ぐ。さあ、教えてくれ。なぜこの場所を選んだ? 匿名のメモ…誰が送ったと思う?」


その言葉に、俺の記憶がさらに遡る。あのメモを受け取った夜、俺は震えながら封を開けた。


「犯人は東京にいる。桜荘を探せ」


筆跡は見覚えがない。だが、なぜか葵の香水の匂いがした。(まさか…葵が?)いや、ありえねえ。死んだ人間がメモを書くわけねえ。だが、俺はこの桜荘に来てから、葵の気配を感じる。ダクトの声、血の匂い、這いずる音。すべてが、葵の死と重なる。*ここには何かがある。犯人の手がかりが…*


床下からドンッって鈍い音が響いた。まるで誰かが這いずるような、引きずるような音が続く。住人たちは凍りつき、誰も動けねえ。音は俺の部屋の真上――七年前の事件が起きた部屋から聞こえてくる。ダクトの声が再び、はっきりと響いた。


「悠真…なぜ…私を…見殺しにした…?」


俺の顔が歪んだ。憎悪か、恐怖か、後悔か――自分でもわからねえ。あの夜、俺は家に早く帰れなかった。バイトをサボって、葵と一緒にいれば…あいつは死ななかったかもしれない。*俺が見殺しにした?* そんなわけねえ! だが、ダクトの声は俺の罪悪感を抉る。葵が最後に見たのは、俺じゃなかった。犯人の冷たい目だった。


部屋の空気がさらに冷え込み、電灯が完全に消えた。暗闇の中で、住人たちの荒々しい息遣いだけが響く。床下の音が近づいてくる。ゴリ…ゴリ…まるで爪で木を引っかくような音。彩花がすすり泣き、壮太が呟く。


「…来るな…来るなよ…!」


亮太が静かに言う。


「悠真さん、この建物、君の過去を知ってるよ」。


その言葉に、俺の心がざわつく。


(亮太…お前、どこまで知ってる?)


高梨だけが、静かにタロットカードを手に持つ。その手は、微かに震えてやがる。彼女が囁く。


「悠真、次のカードを引く? それとも…自分で鍵を開ける?」


桜荘の「訳あり」の真実は、今夜、鍵を開けられようとしてる。葵の死、桜荘の事件、彩花の秘密、亮太の探偵ごっこ。すべてが繋がり始めている。だが、その鍵が解き放つのは、犯人の顔か、それとも俺の心を飲み込むさらなる絶望か――俺には、わからねえ。

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