第7話 夜の鍵と少年の影
東京の夜は、俺を飲み込むように冷たかった。桜荘の窓から見える光は、人工的で鋭く、故郷の星空の柔らかさとはまるで別物だ。ベッドの上で、俺、佐々木悠真は、擦り切れた革のバッグを握りしめた。シャベル、懐中電灯、ロープ、ドライバー、ワイヤーカッター、ハンマー、ペンチ、ナイフ、精密ドライバー、錠前、電池、LEDライト、防水テープ、工具キット。これらは、俺の目的を開く鍵だ。あの日の悔恨、あの日の誓い。それを果たすために、俺はここにいる。だが、この街は俺を迷路に閉じ込め、桜荘は軋む壁で警告する。
高梨彩花の言葉が頭にこびりついている。
「俺も騙したことがある」。
横浜での彼女の過去、借金に苦しむ女性を救った話と、金持ちの老人を破産に追い込んだ話。彼女の占いは本物か? それとも、俺の心を操る詐欺師の術か? あの自嘲する目は、俺の目的に迫る鍵なのか、罠なのか? 壁の向こうから聞こえる軋み。低く、不規則な音。まるで、この家が隠された鍵を守っているかのようだ。今日、俺は夜の東京に飛び込み、高梨の過去の真偽を探る。そして、あの少年の気配が、俺を追い続ける。
夕暮れを過ぎ、桜荘のリビングは静かだった。北村亮は外に出かけ、佐藤葵は部屋に籠もっている。山崎悠斗はソファでスマホをいじり、「お前、夜の東京行ってみね? 面白いぜ」と軽薄に笑うが、俺は無視した。面白い? 冗談じゃない。渋谷のスクランブル交差点で迷子になり、コンビニでICカードを知らずに恥をかいた記憶が、胸に重く残る。この街は、俺を拒むように冷たく、複雑だ。
夜の買い出しが必要だった。道具のための電池が切れかけ、食料も底をついていた。桜荘から数分の24時間営業のコンビニへ向かった。夜の東京は、昼とは異なる顔を見せる。ネオンが眩しく、酔った若者の笑い声、クラクションの響きが耳を刺す。コンビニの蛍光灯は、田舎の月明かりとは違い、冷たく俺を照らす。電池とカップ麺をカゴに入れ、レジに並ぶ。店員が「ICカードで?」と聞くが、俺は千円札を出し、「現金」と呟いた。店員の無表情な視線が、俺の田舎者ぶりを突き刺す。
店を出た瞬間、トラブルが起きた。路地裏で、酔っ払った男が絡んできた。
「おい、兄ちゃん、金貸せよ!」
男の目は血走り、酒の匂いが鼻をつく。俺はバッグを握りしめ、「持ってねえ」と答えたが、男は一歩近づいてきた。
「嘘つくな! 都会に来たばっかのガキだろ?」
俺の心臓が跳ねた。どうして、俺が田舎者だとわかる? 男の背後、路地の影に人影が動いた。あの少年か? いや、暗くて見えない。俺は後ずさり、逃げようとしたが、男が腕を掴んできた。
「おい、待てよ!」
男の声が響く瞬間、別の声が割って入った。
「やめなよ、おっさん。警察呼ぶよ」
振り向くと、フードを被った少年。14歳か15歳くらい。あの視線。あの気配。間違いない、俺を追っていた少年だ。男は舌打ちし、ふらつきながら去っていった。少年は俺をじっと見つめ、ニヤリと笑った。
「田舎者、気をつけな。この街、鍵だらけだよ」
彼の声は低く、まるで俺の目的を知っているかのようだった。
「てめえ、誰だ?」
俺は声を荒げたが、少年は一瞬で路地に消えた。追いかけようとしたが、ネオンの光と人の波に阻まれる。心臓が早鐘を打つ。あいつ、俺を追ってる。何を知ってる? バッグの中の道具が、突然重みを増した気がした。俺の鍵。目的を開く鍵を、少年は狙っているのか?
桜荘に戻ると、夜の静けさがリビングを包んでいた。高梨彩花が、テーブルにタロットカードを広げ、煙草の煙を吐き出していた。彼女のネイルは、蛍光灯に血のように赤く光る。
「お前、夜の街で何かあった?」
彼女の声は低く、まるで俺のトラブルを見透かしたようだ。
「別に」
俺はそっけなく答え、バッグを置いた。だが、高梨はカードをめくりながら、微笑んだ。
「嘘だね。カードが騒がしいよ。誰かに会っただろ?」
俺の胸が締め付けられた。少年のことか? 彼女はどうやって知った?
「お前の占い、どこまで本物だ?」
俺は声を硬くした。彼女の過去、横浜での事件。借金女性を救い、金持ちの老人を破産に追い込んだ話。あれは本当か? それとも、俺を惑わす詐欺師の物語か?
高梨は煙草を灰皿に押しつけ、カードをシャッフルした。
「もう一つの話を聞きたい? 横浜での別の事件」
俺は頷いた。彼女は目を細め、話し始めた。
「2年前、若い男が俺の店に来た。20代半ば、恋人に裏切られて、自暴自棄だった。カードを引いて、こう言った。『新しい出会いがある。信じな』。男は信じて、立ち直った。後で知ったよ。新しい恋人を見つけて、幸せになったって」
彼女の声は、どこか遠くを眺めるようだった。
「でもな、同じ頃、別の客がいた。会社の金を横領した女。バレそうになって、俺にすがってきた。『逃げ切れるか』って。俺はカードを引いて、『大丈夫、逃げられる』って言った。女は金を隠して海外に逃げた。けど、捕まった。俺、知ってたんだ。カードは嘘だった」
高梨の目は、冷たく光った。
「なんでそんなことした?」
俺の声は、思わず鋭くなった。彼女は笑い、煙草に火をつけた。
「金だよ。彼女、俺に大金を払った。占い師なんて、信じたい人間を利用する商売さ」
俺は息を呑んだ。彼女は詐欺師を自認する。だが、彼女の声には、どこか自嘲するような響きがあった。
「お前、俺を騙してるのか?」
俺はバッグを握りしめた。彼女はカードをめくり、鍵の絵柄を指した。
「お前の鍵、隠してるだろ? 俺が騙してるかどうかは、お前が決めるさ。この家、鍵だらけだよ」
彼女の微笑みは、まるで俺の目的を暴く鍵穴のようだった。
夜、部屋に戻り、俺は窓の外を見た。東京の夜景は、冷たく輝く。少年との接触が、頭にこびりついている。
「この街、鍵だらけだよ」
あいつの言葉は、高梨の占いと重なる。バッグを開き、道具を一つ一つ確認した。シャベル、懐中電灯、ロープ、ドライバー、ワイヤーカッター、ハンマー、ペンチ、ナイフ、精密ドライバー、錠前、電池、LEDライト、防水テープ、工具キット。これらは、俺の目的を開く鍵だ。だが、少年の視線、高梨の過去、桜荘の軋み。全てが、俺の鍵を狙っている気がする。
壁の向こうから、またあの軋みが聞こえた。低く、不規則な音。まるで、この家が隠された鍵を守るように、俺に警告している。俺は壁に耳を当てたが、音はすぐに止まり、静寂だけが残った。この家、何を隠している? 高梨の過去は、俺の目的にどう繋がる? 少年は、俺の鍵を知っているのか? 東京での6日目は、俺にこの街の危険と、鍵の重さを突きつけてきた。