第5話 詐欺の匂い
東京の朝は、俺を拒むように冷たかった。桜荘の窓から差し込む光は、コンクリートの隙間を縫うように薄く、故郷の田んぼを照らす朝日の温かみとはまるで別物だ。ベッドの上で、俺、佐々木悠真は、擦り切れたバッグを握りしめた。シャベル、懐中電灯、ロープ、ドライバー、ワイヤーカッター、ハンマー、ペンチ、ナイフ、精密ドライバー、錠前。これらは、俺の目的を開く鍵だ。あの日の悔恨、あの日の誓い。それを果たすために、俺はここにいる。だが、この街は俺を迷路に閉じ込め、桜荘は軋む壁で警告する。
昨夜、高梨彩花の言葉が頭にこびりついている。「お前、隠してる鍵」。彼女のタロットカード、鍵の絵柄、倒れた塔。占いは本物か? それとも、彼女は俺の心を操る詐欺師なのか? あの鋭い目は、まるで俺の目的を見透かす鍵穴のようだった。彼女の占いが、ただの戯言でないとしたら、この家、桜荘の秘密にも繋がるのか? 壁の向こうから聞こえる軋み。低く、不規則な音。まるで、この家が隠された鍵を守っているかのようだ。今日、俺は高梨の真偽に迫り、この街での生活をもう一歩進める。
朝、リビングは静かだった。北村亮は早朝に出かけ、佐藤葵は部屋に籠もっている。山崎悠斗はソファでスマホをいじり、「お前、今日も出かける? 東京、慣れた?」と軽薄に笑うが、俺は無視した。慣れる? 冗談じゃない。渋谷のスクランブル交差点で迷子になり、強い日差しで眩暈に襲われた昨日が、頭に重く残る。この街は、俺を拒むように複雑で冷たい。
近所のコンビニで朝食を買おうと、桜荘を出た。店内は、田舎のスーパーとは違い、商品が所狭しと並び、蛍光灯が目を刺す。弁当を手にレジに並ぶが、店員が「袋にお入れしますか?」と聞く前に、別の客が「ICで」と言いながらカードをかざす。IC? 交通系ICカードのことか? 昨日、東京メトロで切符を買った苦い記憶がよみがえる。俺は財布から千円札を出し、「現金で」と呟いた。店員の無表情な視線が、俺の田舎者ぶりを突き刺す。袋に弁当を詰め、店を出る。外の空気は、排気ガスとアスファルトの熱で重い。田舎なら、朝の空は草の匂いで満ちていたのに。
次に、近所の小さな電気店へ向かった。目的のための道具に、電池と小型のLEDライトを追加する。店員が「ポイントカードありますか?」と聞くが、俺は首を振った。ポイントカード、ICカード、スマホ決済。この街は、俺が知らない「鍵」で溢れている。バッグの中で、道具たちがかすかに擦れる音がした。俺の鍵。目的を開くための、唯一の頼りだ。
桜荘に戻ったのは昼過ぎ。リビングでは、高梨彩花がいつものようにタロットカードを広げ、煙草の煙を吐き出していた。彼女のネイルは、午後の光に血のように赤く光る。
「お前、コンビニで何かあった?」
彼女の声は低く、まるで俺の朝の戸惑いを見透かしたようだ。
「別に」
俺はそっけなく答え、バッグを置いた。だが、高梨はカードをめくりながら、微笑んだ。
「隠してるね。恥ずかしいことでも? 田舎者らしい失敗とか?」
俺の胸が締め付けられた。彼女はどうやって、俺のコンビニでの気まずさを知った? まさか、俺を監視してる? いや、ただの当てずっぽうか?
「お前の占い、どこまで本物なんだ?」
俺は昨日と同じ質問を投げた。高梨の占いが、俺の目的に迫る鍵なら、その真偽を知る必要がある。彼女は煙草を灰皿に押しつけ、カードをシャッフルした。
「本物かどうかは、お前が決めることさ。試してみる?」 俺は頷いた。彼女はカードを3枚並べた。過去、現在、未来。
過去のカードは、剣に刺された心臓。
「裏切り。誰かを失っただろ? お前の目がそう言ってる」
俺の喉が詰まった。あの日の悔恨が、胸の奥で疼く。現在のカードは、鍵の絵柄。
「隠してる鍵。お前、誰にも話さない何かを持ってる。この家で、それが危ないよ」
高梨の目は、まるで俺の心を切り裂く刃だ。未来のカードは、月。暗闇に浮かぶ影。
「欺瞞と秘密。お前、誰かを信じたい? それとも、誰も信じない?」
「占いなんて、詐欺師の道具だろ」
俺は声を硬くしたが、心臓は早鐘を打っていた。高梨は笑い、煙草に火をつけた。
「詐欺師? いいね、その考え。なら、俺はどうだ? お前を騙してると思う?」
彼女の微笑みは、まるで鍵穴に差し込まれた鍵のようだ。俺は言葉に詰まった。彼女は俺の目的を知っているのか? それとも、俺の心を操るために、言葉を巧みに選んでいるだけか?
夕方、リビングに残ったのは俺と高梨だけだった。北村はまだ戻らず、山崎は外へ出かけ、佐藤は部屋に籠もっている。高梨はカードをシャッフルしながら、ふと言った。
「お前、田舎で何があった? カードが、なんか重いものを感じるよ」
俺は一瞬息を止めた。彼女の目は、まるで俺の過去を覗き込むようだった。
「関係ない」
俺はそっけなく答えたが、高梨は笑った。
「関係あるよ。この家、みんな何か隠してる。俺もね」 彼女は煙草を手に、窓の外を見た。「昔、占いで人を救ったこともある。けど、騙したこともある。どっちが本物だと思う?」
俺は言葉を失った。彼女は詐欺師を自認するのか? だが、彼女の声には、どこか自嘲するような響きがあった。
「この家の軋み、聞いたことあるだろ?」
高梨は続ける。
「あれ、鍵の音だよ。何かを閉じ込めてる。開けたいなら、覚悟しな」
彼女がめくったカードは、鍵の絵柄。俺のバッグの中の道具が、突然重みを増した気がした。彼女は知っている。俺の鍵、俺の目的を。だが、彼女の占いは本物か? それとも、俺を惑わす詐欺師の術か?
夜、部屋に戻り、俺は窓の外を見た。東京の夜景は、冷たく輝く。少年の気配は今日も感じなかったが、どこかで俺を見ている。あの視線が、俺の鍵を狙っている気がしてならない。バッグを開き、道具を一つ一つ確認した。シャベル、懐中電灯、ロープ、ドライバー、ワイヤーカッター、ハンマー、ペンチ、ナイフ、精密ドライバー、錠前、電池、LEDライト。これらは、俺の目的を開く鍵だ。だが、高梨の言葉が頭に響く。
「誰も信じない?」
壁の向こうから、またあの軋みが聞こえた。低く、不規則な音。まるで、桜荘が隠された鍵を守るように、俺に警告している。俺は壁に耳を当てたが、音はすぐに止まり、静寂だけが残った。この家、何を隠している? 高梨の占いは、俺の目的を暴く鍵か? それとも、俺を迷路に閉じ込める罠か? 東京での4日目は、俺にこの街の冷たさと、鍵の重さを突きつけてきた。