第20話 鍵の暗号の深淵
心臓が、まるで胸を突き破る勢いで脈打つ。桜荘の管理人室は、闇と腐臭が渦巻き、まるでこの部屋が地獄の深淵そのもののように俺たちを飲み込もうとしている。埃まみれの鉄製デスクには、古びた書類が散乱し、錆びたペーパーナイフが不気味に光る。壁のひび割れは、まるで生き物の傷口が裂けるようにうねり、黒い液体が血のように滲み出す。床下から漏れる冷気は、俺の足首を凍てつく刃で刺すようだ。ダクトの奥で、金属が軋む音が低く響き、まるで建物が怨霊の咆哮を上げる。佐藤のノートパソコンの画面が、かすかに点滅し、闇の中で不気味な光を放つ。亮太の懐中電灯は、電池が切れかけ、頼りなく揺れる光で管理人室の暗闇を切り裂く。誰もが息を殺し、この部屋の怨念を恐れている。俺もだ。
奈津子の日記を握りしめる俺の手は、震えている。黄ばんだページに、乱雑な筆跡。
「オーナー、黒沢と取引。桜荘の秘密を隠すため、葵を黙らせろと。報酬は…」。
その先は、暗号化されたメモ。奇妙な記号と数字の羅列。*黒沢…お前が真犯人か? いや、背後にいる影は誰だ?* 高梨の占いが、頭の中で響く。
「真犯人は黒沢の背後に潜む影。暗号化メモに名前がある」。
*真犯人を見つけなきゃ、葵は成仏できない。桜荘は崩れる*。十年前、雪深い山間の集落で、葵は血に染まって死んだ。胸に突き刺さったナイフ、犯人の冷酷な目、嘲るような笑い声。復讐のために東京へ来た。匿名のメモ、「犯人は東京にいる。桜荘を探せ」。それが俺をこの呪われたアパートに導いた。七年前、俺の部屋の真上で起きた未解決の殺人事件。被害者の名前も葵。*俺の葵と同じ*。彩花の証言――階段でナイフを持った北村と、奈津子の声、「彼女を黙らせろ」。北村は操られた駒。真犯人は、黒沢の背後にいる。佐藤のSNS、「#7年前の桜荘の事件って知ってる?」で接触した「ShadowWalker」の言葉が頭を離れねえ。
「7年前、あの部屋でひどい事件が起こってねぇ。犯人はまだ捕まってないし、以来夜中に変な声とか現象が起こるって。この辺じゃ有名よ」。
日記と暗号が、真実への鍵だ。
佐藤が、ノートパソコンを叩きながら言う。
「悠真、暗号化メモ、解析始めた。記号と数字、単純な暗号じゃねえ。奈津子が隠したかった真実、黒沢の背後の影の名前がここに隠れてる。時間かかるが、絶対解く」
*佐藤…頼む*。彼の指がキーボードを叩く音が、静寂の中で異様に響く。画面には、暗号の羅列が映し出され、解析ソフトが数字と記号を一つずつ分解していく。だが、俺の胸に、焦りと恐怖が広がる。*時間がない。桜荘が…葵が…* 俺は日記を握りしめ、言う。
「佐藤、急がなくていい。確実に解け。黒沢の背後の影、真犯人の名前を見つけなきゃ、葵が…」
突然、部屋の空気が裂けた。まるで、空間そのものが崩壊するように。ダクトから吹き込む風が、血の匂いを帯びた怨嗟の咆哮に変わる。*ゴゴゴ…* 壁が、まるで生き物が咆哮するように震え、ひび割れから黒い液体が血のように噴き出す。床が、生き物の喉のようにうねり、俺たちの足元を飲み込もうとする。*何だ…この部屋は!?* 佐藤のパソコンの画面が、突然、チカチカと点滅し、血のような赤いノイズが走る。
「くそっ、怨念が干渉してくる! 解析、邪魔されてる!」
佐藤の声が、焦りを帯びる。亮太の懐中電灯が、血のような赤い光に変わり、床下の隠し扉を照らす。扉の隙間から、黒い手のような影が這い出てくる。*何!?* 俺は咄嗟に佐藤を庇い、床に伏せる。影の手が、俺の足を掴もうとする。*離せ!* 鋭い冷気が、俺の骨まで凍らせる。
その瞬間、ダクトから葵の声が響いた。「悠真…真実を…つかめ…」 声が、まるで俺の心臓を直接握り潰す。*葵、お前なのか?* あの夜、葵が最後に呟いた言葉。「お兄ちゃん…助けて…」その声が、頭の中で暴れ回る。だが、すぐに別の声が割り込む。「悠真…知りすぎた…全員、黙らせてやる…」 低く、冷たい女の声。*奈津子だ*。俺の背筋が凍りつく。*お前…黒沢の秘密を守ってるのか?*
突然、部屋の隅の古い鏡が、ガタガタと激しく揺れ始めた。誰も触れてねえ。鏡の表面に、女の影が映る。長い髪、血に染まった服。*七年前の葵*。だが、影が分裂する。一つは七年前の葵、もう一つは…*俺の葵*。二つの影が、俺をじっと見つめる。*何!?* 俺の喉が締め付けられ、声が出ねえ。彩花が管理人室の入り口で震え、囁く。「やめて…来ないで…」 彼女の声が、恐怖で途切れる。鏡の影が、突然、動き出す。*俺に向かってくる!* 影が、まるで実体を持ったように、俺の目の前まで迫る。*近い…近すぎる!* 俺の身体が、恐怖で凍りつく。
突然、鏡がバリンと爆発し、破片が部屋中に飛び散る。住人たちの悲鳴が響く。破片が、まるで意志を持ったように、空中で回転し、俺たちを切り裂こうとする。*キイイ…* 鋭い音が、頭を劈く。俺は咄嗟に亮太と彩花を庇い、床に伏せる。破片が、俺の肩を切り裂き、血が流れ出す。*くそっ…!* 壁が、まるで生き物の口のように裂け、黒い液体が噴き出す。床が、生き物の喉のようにうねり、黒い手のような影が無数に伸びてくる。*奈津子…お前だろ!?* 俺は必死に振り払うが、影の手が、まるで鎖のように俺の足を掴む。*離せ!*
高梨が、静かに新たなカードを引く。「正義」のカード。真実と因果応報の象徴。彼女が囁く。「悠真、佐藤の暗号解読が、奈津子の怨念に挑んでる。黒沢の背後の影、真犯人の名前が、メモに隠されてる。だが、怨念が真実を隠そうとしてる。急がないと、桜荘は崩れるよ」 *真犯人の名前…* 俺の心臓が、凍りつく。*葵、真犯人を見つけなきゃ、お前は…*
佐藤が、額に汗を浮かべながら叫ぶ。「悠真! 暗号、6割解けた! 黒沢が奈津子に指示を出した。『桜荘の秘密、葵が知りすぎた。黙らせろ』。報酬は金と…何か、桜荘の権利に関係するもの。だが、真犯人の名前、別の暗号層に隠れてる! もう少しだ!」 *真犯人…黒沢の背後にいる奴*。俺の頭が、混乱で埋め尽くされる。*誰だ!?* 佐藤が続ける。「フォロワーからの情報、黒沢が七年前、桜荘の改装資金で怪しい取引してた。相手は…名前がまだ出てこねえ。もう一つの隠しスペース、探せ!」
突然、佐藤のパソコンが火花を散らし、画面が血のような赤に染まる。「知りすぎた…黙れ…」 奈津子の声が、パソコンから直接響く。*何!?* 佐藤が叫ぶ。「くそっ、怨念が俺の解析を妨害してくる! コードが書き換えられてる!」 画面に、奈津子の顔が一瞬映る。青白い肌、血のような赤い目。*奈津子!* 俺は叫ぶ。「お前、真犯人を隠してるだろ! 黒沢の背後の影は誰だ!?」 だが、奈津子の声が、部屋全体に響く。「悠真…全員…黙らせてやる…」
部屋の天井が、*ゴゴゴ…*と崩れるように軋み、黒い雫が血のように滴り落ちる。床が、まるで生き物の口のように開き、俺たちを飲み込もうとする。壁が、まるで怨霊の咆哮のように震え、ひび割れから黒い影が這い出してくる。*何!?* 影が、まるで実体を持ったように、俺たちに迫る。*葵…奈津子…真犯人?* 俺は叫ぶ。「葵! 教えてくれ! 真犯人は誰だ!?」
ダクトから、葵の声が響く。「悠真…真実を…つかめ…」 だが、奈津子の声が割り込む。「悠真…全員…黙らせてやる…」 声が、頭の中で交錯し、俺の視界が歪む。部屋全体が、まるで地震のように揺れ、壁が崩れ落ちる。*桜荘が…崩れる!* 俺は亮太と彩花を掴み、叫ぶ。「佐藤、暗号を解け! 俺たちは隠しスペースを探す! 真犯人の名前、絶対に暴く!」
桜荘の「訳あり」の真実は、今、鍵を開けられようとしている。彩花の証言、高梨の占い、奈津子の怨念、佐藤の暗号解読。北村は犯人じゃない。真犯人は、黒沢の背後に潜む影。超自然現象が、俺たちを地獄の底に引きずり込む。だが、俺と亮太、佐藤は、暗号化メモと隠しスペースを暴き、真犯人に迫る。その鍵が解き放つのは、葵の成仏か、それとも桜荘の崩壊と俺の心を飲み込む無限の絶望か――俺には、まだわからねえ。