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隠された鍵  作者: 東雲明
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第2話 都会の迷路

東京の朝は、俺が知るどの朝とも違った。田んぼの向こうに昇る朝日も、牛の鳴き声も、草の匂いもない。代わりに、コンクリートの壁とアスファルトの熱、遠くで響く電車の軋みが耳を刺す。桜荘の窓から見えるのは、隣のビルの灰色の壁と、絡まる電線だけだ。俺、佐々木悠真は、擦り切れたバッグを握りしめ、今日という一日を胸に刻んだ。この街で、俺の目的を果たす。そのために、まず生き延びなきゃいけない。


昨夜の少年の視線が、頭から離れない。あのフードを被った少年、まるで俺の心の奥を見透かすような目。あれは偶然じゃなかった。だが、今はそんなことを考えてる場合じゃない。今日は、道具の買い足しと、この街での生活を始めるための第一歩だ。ポケットに手を入れると、財布の中には数枚の千円札と、故郷の信用金庫のキャッシュカード。都会の暮らしに、これで足りるのか? 不安が胸を締め付ける。


桜荘を出て、近くの駅へ向かった。東京メトロ。名前だけは聞いたことがあるが、実際に乗るのは初めてだ。駅の入口は、まるで地下に飲み込まれるような巨大な口だ。人々が吸い込まれるように階段を下りていく。俺もその流れに身を任せたが、改札の前で立ち尽くした。


目の前に並ぶ自動改札機。みんながカードやスマホをかざして、スルスルと通り抜けていく。俺は…どうすればいい? ポケットを探るが、故郷で使っていたバスカードはここでは無意味だ。近くの券売機に近づき、画面を凝視する。路線図は、まるで蜘蛛の巣のように複雑に絡み合い、俺の頭を混乱させる。「新宿まで…いくらだ?」 呟きながら画面をタッチすると、数字と路線名が次々に変わる。わけがわからない。


「SuicaとかPasmo、持ってねえの?」

背後からの声に振り返ると、制服姿の女子高生が呆れた顔で俺を見ていた。「いや…持ってない」 俺の声は、情けないほど小さかった。彼女はため息をつき、「じゃ、切符買えば? 券売機で目的地選んで、現金入れるだけ」と投げやりな口調。俺は慌てて千円札を入れ、新宿までの切符を買った。190円。こんな短い距離で、こんな値段なのか。田舎のバスなら、隣町まで行けるぞ。


改札を通り、ホームに降りると、電車が轟音とともに滑り込んできた。ドアが開き、人々が吐き出され、吸い込まれる。俺は流されるように乗り込み、つり革を握った。車内は、汗と香水、紙の匂いが混ざり合い、息苦しい。窓の外は真っ暗なトンネル。田んぼの緑も、牛の鳴き声もない。この街は、俺を飲み込む気なのか?


新宿に着いたのは昼前。地上に出ると、ビル群と広告の洪水が目に飛び込む。看板のネオン、クラクションの響き、人の波。全てが俺を圧倒する。ホームセンターを探し、スマホの地図アプリを頼りに歩き始めたが、道は迷路のようだ。田舎なら、目印は一本の木や古い看板だった。だが、ここでは全てが人工的で、同じように見える。


やっと見つけたホームセンターで、昨日買いそびれた工具を追加した。ドライバー、ワイヤーカッター、小さなハンマー。カゴに入れるたび、目的が胸の中で重みを増す。あの日の約束。あの日の悔恨。それを果たすために、俺はここにいる。レジで支払いを済ませ、店を出る瞬間、またあの視線を感じた。振り返ると、雑踏の向こうにフードの少年。昨日と同じ目。俺をじっと見つめ、ニヤリと笑う。追いかけようと一歩踏み出したが、少年は人混みに溶けるように消えた。心臓が早鐘を打つ。あいつ、誰だ? 俺の目的を知っているのか?


桜荘に戻ったのは夕暮れ時。アパートの外壁は、夕陽に染まって一瞬だけ温かみを帯びるが、すぐに冷たい影に覆われる。リビングに入ると、4人の同居人がそれぞれの場所にいた。北村亮は、ソファに座り、コーヒーを飲みながら新聞をめくる。元刑事の彼の目は、まるで俺の動きを監視するように鋭い。「また買い物か? ずいぶん道具好きだな」と言うが、その声には探るような響きがある。


高梨彩花は、テーブルにタロットカードを広げ、煙草の煙を吐きながら俺を見た。「お前、今日は運が悪い。カードがそう言ってるよ」 彼女の微笑みは、まるで俺の心を切り裂く刃のようだ。山崎悠斗は、テレビの前に寝転がり、「新宿? いいとこ行ったな! 次は俺と組まね?」と軽薄に笑うが、その目はどこか冷たい。佐藤葵は、部屋の隅でノートパソコンを叩く。彼女の指がキーボードを叩く音は、まるで時計の針のように俺を急かす。


「ただの買い物だ」


俺はそっけなく答え、自分の部屋に引っ込んだ。だが、ドアを閉める瞬間、北村の声が背中に刺さった。


「夜中、変な音がするぞ。気をつけろ」


彼の言葉に、俺の胸がざわついた。この家、ただの古いアパートじゃない。何か隠してる。


夜、窓の外を見ると、東京の夜景は冷たく光っていた。田舎の星空とはまるで違う、人工的な輝き。ふと、路地裏に人影が動いた。あの少年だ。フードを被り、俺の窓を見上げる。その目は、まるで俺の目的を暴こうとするかのようだ。俺は窓を閉め、カーテンを引いたが、心臓の鼓動は止まらない。あいつは、俺を追ってる。なぜだ? 何を知ってる?


ベッドに横になりながら、俺はバッグの中の道具を思い出した。シャベル、懐中電灯、ロープ、ドライバー、ワイヤーカッター、ハンマー。これで、俺の目的は果たせる。だが、この家、この同居人たち、そしてあの少年。全てが、俺の計画を脅かす影のように感じる。東京での初日は、俺にこの街の冷たさと、目的の重さを突きつけてきた。

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