表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

燈火



 その人影に気がついたのは、引越しを終えて、しばらくしてのことでした。


 駅から離れた2DK。マンションとは名ばかりの賃貸ですが、シングルマザーには十分です。ダイニングの端にクマ柄のラグを敷いたささやかなリビングは、娘二人に大受けでした。


部屋は二階で、正面の窓は裏道に面しています。そこから見える街灯が、日暮れに合わせ(とも)るのを合図に夕食を始めるのが、我が家の習慣になりました。


 人影が立っているのは、きまってその時刻、その街灯の下でした。


 最初は見間違いかと思いました。食後の片づけを終え、換気をしようと窓を開けた時、こちらを見上げる視線に気がついたのです。薄暗い明かりの下、電柱に隠れるように(たたず)むそれは、男性のようでした。声もなく、物陰から見上げる様子はまるで幽霊のようで、思わずカーテンを引きました。一瞬、別れた夫が来たのかと思ったのです。


 気もそぞろに娘たちを寝かせ、リビングを消灯した後にこわごわ確かめると、人影はもうありませんでした。夫でないことに安堵した反面、得体のしれない不安が残りました。


 それから毎晩、この時刻になると、その人影は姿を見せるようになりました。

 部屋の明かりを消すまで、微動だにせず、ずっと。 

 窓のカーテンを閉めても、それは変わりませんでした。


 人影は道端から、こちらをただ見上げるばかり。

 家族に害があるわけではありません。

 ですが正体がわからず、気持ちが悪い。

 春とはいえ夜は肌寒いこの時期に、何時間も外に立ち続けているのですから。

 それとも本当に、人ならぬ亡霊なのでしょうか。

 

 娘は小学生ですが、ストーカーかもしれない。

 そう思うと、とても怖くなりました。

 通報も考えましたが、引っ越し先で騒動を起こすのは躊躇(ためら)われ、かといって頼れる男手のあてもありません。


 その夜、わたしは勇気を振り絞りました。

 夕食の後、部屋を出て、街灯の下に向かったのです。

 娘に買った防犯ブザーと懐中電灯を握りしめて。


 足音を忍ばせ近づくと、果たして人影は電柱の陰にいました。

 作業服を着た、小柄な中年の男性です。

 声をかけると、慌てた様子で平謝りされました。

 少し拍子抜けしながら、わたしは理由(わけ)をたずねました。


 その方は、わたしの前の住人。

 一年前まであの部屋に住んでいたそうです。


 持病を抱えた老母との二人暮らし。

 わずかな稼ぎと年金が頼りの、(つま)しい生活。

 介護のため親元を離れられず。結婚もできず。

 それでも、母と食卓を挟む日々は幸せだったと。


 家路に(とも)る窓明かりは、母が無事な報せ。

 胸を撫でおろし、夕餉(ゆうげ)の香り漂う階段を昇る。

 ()(きた)りで何事もない、平凡な毎日。

 一年前、街灯の下で、真っ暗な窓を見上げるまでは。


 葬儀の後、男性は近所のアパートに越しました。

 けれど、誰もいない真っ暗な窓に耐えられず。

 次第に()()なく、町をさ迷うようになり。

 ふと立ち寄った折、かつての部屋に新たな住人が越していると知ったそうです。

 

 母と暮らした場所に明かりがついている。

 ただそれだけで、胸が熱くなったと。

 久々に穏やかな気持ちで帰宅できたと。

 それから毎晩、立ち寄るようになった、と。

 そう語る眼差しは、また部屋を見上げながら。

 

 ──ちょっと見ていきますか?

 何故そんなことを言ったのか、自分でもわかりません。

 けれど、わたしの不用意な申し出に、男性は静かに首を振りました。


 ──もう来ません。

 最後に頭を下げると、男性は闇の中に姿を消したのです。



     ◇ ◇ ◇



 部屋に戻ると、(まぶ)しいリビングから娘たちが駆け付け、いつものように騒ぎ始めました。


 ママ、コンビニ行ったの? 

 お土産は? チョコは? アイスは?


 わたしは、二人を抱きしめました。

 それしかできない──

 そして、そうせずにはいられなかったのです。

 

 


                   ― 了 ―

 



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
昔住んでた家は今も夢に見たり、時々通りがかってはツイ見てしまうなんて事も多々あるので、男性の気持ちがよく分かります。自分達が変わっても思い出の家は変わらないというのは、思い出の場所が消えるのと同じくら…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ